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ロマンス・パターン

誕生日を祝われること自体はいくつになっても純粋に嬉しいものだけれど、歳を重ねることそのものにはやはり目を背けたくなる。自分の年齢に疎くなる一方で、年に一度嫌でも現実を突きつけられては地味にショックを受けるのだ。アラサー、アラフォー、アラフィフ――いつの間にか浸透したその言葉に想像以上にダメージを食らっている。

「帰りたい……」

誰もいない総務課のオフィスで独りごちる。腕を投げ出し、机に突っ伏すいかにも脱力した行動は一人だから許されることだ。
誕生日だからといって特別なことをするわけではないにしろ、それにしたって何が悲しくて誕生日に残業までして働かなければならないんだ。
顔を上げ、掛け時計に目をやれば誕生日の終了まで残り三時間と言ったところだった。うん、帰りたい。今日何時から働いてたっけ?不規則な職種のせいでずいぶん昔に脳が麻痺している。警視庁勤務と言えど、総務ならある程度勤務時間が定まっているホワイトだと信じて疑わなかった遠い昔の私に言ってやりたい。警察官をナメるな!
疲れた時には甘いもの、と言わんばかりに身体が糖分を求めている。いっそホールケーキを買って夢の一人食いをここで叶えようか――なんて途中でギブアップするオチが目に見えるのに、思わず買ってしまいそうなくらいには思考が鈍りに鈍っている。
でも本音を言えば、こうして仕事をしているほうが実は都合が良かったりもする。
とりあえず残りは明日の私に託す。今日はもう帰ろう――そう思った矢先、不意に開放されたままの入口の扉をノックする音が耳に抜ける。欠伸が出そうになるのを堪えながら音のするほうへと視線を向ければ、私にとって“都合がいい”人物が紙切れを手に立っていた。

「こんな時間に来るのあなたくらいしかいないですよ……松田くん」
「申請書。承認のハンコくれ」

椅子から立ち上がり、受付の台に置かれたそれに目を通すも、答えは決まっていつも同じである。

「だからこれは経費で落ちません」
「んでだよ。張り込みだって立派な仕事だろうが。メシ代くらい大目に見て欲しいね」
「刑事課は特に不規則なのでそれは否定はしませんけど規則なので」
「相変わらず堅いねぇ」

頬杖をついてやれやれといった視線を向けられるが、構うことなくご丁寧にその紙切れをスッと戻す。毎回拒否しているというのに懲りずに申請に来る諦めの悪さ――粘り強さは刑事としては立派なものではあるけども。

「大体こんな時間に来ないでくださいって何度言えば」
「刑事は朝も夜も関係ねーんだよ」

ここですかさず一刀両断出来ないのは惚れた弱みか。
本当に困ったものだ。むしろこの短い時間に交わされるやり取りを、いつからか期待してしまっている自分がいる。
最初の頃は萩原くんが一緒に来ていたが、私の内なる感情を察したのか彼なりに気を遣ったのか、最近はこうして松田くんが一人で来ていた。そうやって毎回決まった問答を繰り返し、他愛ない会話をして彼は去っていく。松田くんとの関係性はその程度のものだ。それとなく食事に誘ってみようかと思ったこともあったけれど、繋がりが浅すぎて未だ実行には移せていない。こういう時に萩原くんがいてくれたら助かったんだけど。人に頼るなという神様からのメッセージなのかもしれない。

「あ、そういやなんか萩からもらったのがあんだけどよ」
「?」

唐突なそれに首を傾げていれば、彼の内ポケットから姿を現したのはポップな色合いのチケットらしきもので、某有名店のアイスクリームの商品券だった。

「えっ、これを私に?」
「本庁と寮の行き来だけだと使うタイミングねぇしよ。食うならやる」
「ありがとう。アイス好きだから嬉しい」

手に取ってしばし眺めて、店名からダイレクトに年齢を突きつけられて思わず自嘲的な笑みがこぼれた。

「何か言いたそうだな?」
「ああ……実は今日誕生日なんですよ。で、店名が偶然年齢と同じものだったからつい。もうそんな歳かあ、ってだけの話です」
「アラサーってやつか」
「私が意地でも使うのを避けていた単語をサラッと言うのやめてくれない?」
「抗ってるねぇ」

くつくつと笑う松田くんにジト目を送る。その一言は自分で思っている以上に刺さるんだぞ。なんかこう、主に響きが良くないせいで。そのダメージは面と向かって“おばさん”と言われるのと同等である。周りはやれ結婚だの出産だの言っているなか私は日々仕事に追われ、いい歳して目の前の年下男子に片想い中だなんて多少なりとも漠然とした不安が芽生えるのは否定出来ない。
しかし偶然とはいえ、誕生日に松田くんから何かをもらえるというのは素直に嬉しくて内心小躍りしている状態だ。元は萩原くんからもらったものが私に流れてきただけだから松田くんに意図はないと知りつつも、それでもやっぱり嬉しいものは嬉しい。刑事課の女性に渡せばいいものを私にくれた事実だけで今日という日が淡く色づいていく。歳を重ねるのも悪くないな、と思えてしまうのだから単純だ。

「……なあ、このあと時間あっか?」
「まあ。ちょうど帰ろうとしてたところに松田くんが来たからむしろロスしてるんですけどね」
「お詫びと言っちゃあなんだがケーキ奢るぜ。知ったからにはこれくらいはな」

得意げな笑みに私の恋心はいとも簡単にカンストしてしまった。偶然の流れなんかじゃない、れっきとした意思のあるお祝いだ。こんなもの、どうしたって期待にまみれる他ない。

「じゃあホールケーキ頼んじゃおうかな」
「こんな時間に食えんのかよ。太るぜ」
「今日だけは特別なの!」

そしてこの日をきっかけに徐々に距離が近づいて、クリスマスに気の利いたプレゼントが贈られることになるのはもう少し先の話だったりする。


2022/09/06
title:金星

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