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きみが可憐に咲く花なら、ぼくは潤す水になろうか

彼の周りにはいつだってたくさんの人がいた。
人当たりの良さと気さくな性格、ユーモア溢れる話術に人々を魅了する笑顔。彼の人柄は女の子に限ることなく老若男女に愛されていた。
それは初めて出会った警察学校時代から変わらない。誰とでも分け隔てなく接する彼を見て羨ましく思ったのと同時に、純粋に仲良くなりたいと、そう思った。

――よっ、みょうじちゃん。おはよ。

顔を合わせた時には彼の方から挨拶をして来てくれて、私もそれに応えた。挨拶だけだったやり取りは次第に他愛ない話をするまでに進展し、そんな日々がとても心地良かった。

――あ、萩原くん。何だか時計の調子が悪いみたいで……見てもらえないかな?
――あー悪い。陣平ちゃんに見てもらって。

しかし親密になればなるほど、徐々に彼本来の持ち前の明るさがなくなっていくのを感じ取るようになった。歯切れの悪い受け答えに素っ気ない態度。いつしか目を見て話してくれなくなり、そこから私も自然と距離を取るようになってしまった。
あの時の感情は、まるで親友に絶交を言い放たれたような、胸を突き刺すような痛みだった。

そうして関係は修復しないまま警察学校を卒業し、私は本庁へと配属された。
そして先日、彼と庁内で偶然再会を果たすことになるのだが、当時のまま別れたきりで気まずさが影を覆って会話すら交わせなかった。元々彼とは部署が違うから、頻繁に顔を合わせることもなくて正直どこかホッとしている自分がいた。
本当は早くわだかまりをなくしてあの頃みたいに普通に話したいのに。

「やっぱり今でも嫌われてるのかな……」

煙が充満する一室で吐いた深いため息は混ざりあって宙へと消える。しかし私の手に煙を燻らす道具は何ひとつ持ってはいない。同期の松田くんがここへよく行くことを知ってから、私が相談という形で入り浸っているだけだ。こんなことを言えるのは萩原くんと幼なじみであり、同じ刑事部である彼にしか打ち明けられないから。

「萩の奴、まだそんな態度取ってんのかよ」

松田くんは呆れたように大きく息を吐いて煙草をすり潰す。出ていく後を追えばそのまま自販機で缶コーヒーを買い、近くのベンチへと腰を下ろした。

「松田くん何か聞いてない?いや、嫌われてたとしてもそれを聞かされるのは今の私でもだいぶ堪えるんだけど……」

松田くんにそう聞いておきながら、その事実を受け止める勇気などこれっぽっちもない。しかしあれからそれなりの月日が経っているのに、その真実がわからないまま燻った思いを抱えているのも正直しんどいものがあった。

「そんなに気になんなら本人に直接確かめたらいいんじゃねーの」
「松田くん人の話聞いてた?」

それが出来てたら警察学校を卒業する時にすでにしているし、今の今まで喉に刺さった小骨のような思いをしていることもない。私があまりにうじうじしているからいい加減鬱陶しくなってきたのだろうか。同期である松田くんにすらそんな態度を取られてしまったら、いよいよ心の拠り所がなくなってしまう。

「お前知ってっか?あいつモテるくせして恋愛に関しては奥手なんだぜ」
「え、そうなの?意外……」

昔から彼の周りには常に女の子がいて、その女の子たちが萩原くん目当てで寄ってきていないにしても、彼から声を掛ければそんなものには困らないだろうに。気さくに話しているところを見る限り、女の子が苦手ってわけではないようだし。

「でもそれと私が嫌われてることと何の関係が……?」
「まあなんだ、お前のそれがそもそも勘違いだって話だよ」

「ま、あとは本人の口から話すだろ」独り言のように漏らしたその言葉の意味を理解しようと必死に思考を巡らせていれば、松田くんは缶コーヒーを飲み干して立ち上がった。
未だ真意がわからず、問いただそうと休憩室を出ていこうとする彼を追いかければ、不意に視界に入った人物に思わず足を止めた。

「は、ぎわらくん、」

先を行く松田くんを引き止めたい一心だったが、ここでこの問題から目を逸らしてはいけないと踏みとどまり、萩原くんを横目に静かに見送った。
それからゆっくりと萩原くんに視線を移す。緊張で思わず体が強張る。束の間の沈黙を破ったのは萩原くんだった。

「……この間ぶりだな。元気してたか?」

久しぶりに聞いた声はあの頃の気まずさを残したような、それでいて普段と変わらずに振る舞うような、そんな様子が見て取れた。同時にあの頃の記憶が蘇ってきて、どうにも真っ直ぐ彼を見ることが出来なくて俯きながら「ぼちぼちかな」と小さく返す。しかし不思議と悲観さを感じることなくいられるのは、先程松田くんが勘違いであると言ってくれた言葉のおかげかもしれない。

「捜一大変らしいな。陣平ちゃんがボヤいてた」
「確かに松田くんには大変かもしれないね」

苦笑いを浮かべつつ当たり障りのない受け答えをすれば、再び沈黙が私たちの間に流れる。きっと萩原くんも何か話したいことがあってそのタイミングを探っているのだろう。
私から切り出すべきか、萩原くんの言葉を待つか。そんなもの考えるまでもない。

「あの時、」
「ずっと、謝んなきゃいけねーと思ってた」

二つの声が重なったかと思えば、萩原くんはそのまま言葉を紡いだ。真剣な眼差しに、わずかに揺らめく瞳。私が続けようと思った言葉はそれらに飲み込まれてしまった。

「素っ気ない態度取ってみょうじちゃんを傷つけたこと」
「それは……私が何か気に障るようなことしたからなんだよね……?」
「んなワケねぇだろ。……俺が、自覚しちまったんだよ。みょうじちゃんが好きだって。それで意識しすぎちまったせいで上手く話せなくなったんだ」

「マジでダセェよな」と萩原くんは自嘲的な笑みを浮かべる。

「誰とでも分け隔てなく話せるのが俺だと思ってたのによ。好きな子の前じゃまともなこと何ひとつ話せねぇ」

いきなり思いもよらない気持ちを打ち明けられて正直理解が追いつかない。もしかして松田くんが言ってた勘違いってそういうことだったの?徐々に状況を把握した途端、急に力が抜けてベンチに尻もちをつくように座り込んでしまった。

「よかった……嫌われてたわけじゃなかったんだね」

安堵していれば、萩原くんがそっと近付いて隣に腰を下ろす。「またあの頃みたいに話したいな」と素直に打ち明ければ「それは出来ねぇかも」と断られてしまった。

「言ったろ?あの頃からずっとみょうじちゃんのことが好きだって。だから同じようには出来ない」

真っ直ぐな告白を受けて思わずたじろぐ。
正直萩原くんの人柄もあって、彼が誰かひとりを好きになったりすることはないと思っていた。今でも皆の萩原くん、というイメージがあるし、まさかその感情が自分に向けられるなんて思ってもいなかったから。

「あ、もちろん今すぐ返事くれなんて言わねぇよ?好きな子傷付けといてどの口が言ってんだって自分でも思うし」
「そんな。誤解が解けただけでも私は嬉しいよ」

告白の返事は別にしてもこうして普通に会話出来ることが何よりも嬉しい。本音を言うと一人の異性として見ていたかと言われたら正直自分でもわからない。でも、出来ることなら萩原くんの想いに応えたいと思う。
萩原くんは困ったように眉を下げる。こうもいろんな表情を見せる彼はどこか新鮮で、今になってそういった一面が見られることに何だか嬉しい気持ちになった。

「でもひとつだけ我儘言わせてもらうと今後喫煙所の出入り禁止な」
「?」
「みょうじちゃんが煙草の匂い纏ってるの似合わねぇし、陣平ちゃんに嫉妬しかねねーから」

そう言った後「あーこれこそ超ダセェ……」と萩原くんはしなやかな体躯を曲げて頭を掻く。恋愛経験が豊富そうで女の子の扱いにも慣れている萩原くんにこんな一面があるなんて知らなかった。それが何だか可愛らしくて自然と頬が緩んでしまう。

「言われなくてもそのつもりだよ」

だってもう誤解は解けたから。
そんな彼をもっと知りたいという感情の芽生えがいつか花になる未来は、案外そう遠くないのかもしれない。


2022/05/29
title:鈴音

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