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ピュア・クェーサー

今日は丸一日内勤でひたすら画面と資料とにらめっこ。さすがに疲れた。おかげで目が疲れて焦点が合わないし身体は凝り固まっているし眠いしお腹は減るし、とりあえずこの仕事の山が片付いたら温かい湯船に浸かってふかふかの布団で寝たい。
しかしデスクの上が資料で散らかったこの状況。もとより泊まり込みは覚悟の上だったが、さすがに終わりの見えない量に自然とため息が漏れるのは避けられなかった。

「はあーーっ!」

勢いよく椅子の背もたれに体を預ける。うう、蛍光灯が眩しい。机に埋もれた目薬を手繰り寄せ、今日何度目かわからないそれを差して目を閉じる。あーやばい、このまま閉じてたら絶対寝る。いっそ寝てしまいたい。いや、だめだ、まだ寝るわけにはいかない。

「お前まだいたのかよ」

葛藤していれば突然聞こえてきた声に思わず目を開ける。なんだ松田か。

「今日は泊まり込み覚悟だよ。松田も?」
「そもそもデスクワークなんざ性に合わねぇんだよ」
「現場に出ることだけが刑事の仕事じゃないわよ。こうして報告書まとめたり捜査資料を隅々読むことだって――」
「へーへーわかってますよ」

適当に流しやがったなコノヤロウ。しかし今の状態でぐちぐち説教する気力などない。
私の言葉を受け流した松田は、わずかに空いていたデスクの上にコンビニの袋を置いて斜め後ろの席にドカッと腰を下ろした。

「夜食?コンビニ行ったならついでに私の分も買ってきて欲しかったわ」
「あ?自分で行け。どうせロクに休憩してねぇんだろ。息抜きにちょうどいいじゃねぇか」

そう言って松田はガサガサと音を立てながらおにぎりを頬張った。
くそぅ、ド正論かまされて何も言い返せない。悔しい。しかしそれ以上に立ち上がることすらも億劫だった。むしろそれは業務を終了させることを意味する。すなわち寝る、ということだ。

「もうそれすらも嫌だ……。ね、倍の金額払うからもう一個のおにぎり私にくれない?」

ふざけんな、と言われるとわかっていても思考能力が低下した今、理性が働くはずもなく思ったことがそのまま口に出てしまった。しかし松田からは何の反応もない。え、言い返すのが面倒で無視された?

「……ったくしゃーねぇな。ほらよ」
「……へ?」

かと思えば松田がおにぎりを私に向けて差し出していた。あれ?本当にくれるの?お金とか関係なく絶対にくれはしないと思っていたから思わず間抜けな声が出てしまった。

「何だよ、いらねぇんなら食うぞ」
「え、あ、いるいる!食べます!120円だから手数料込で300円でいい?むしろ500円払う」
「やる。腹減ってんなら黙ってさっさと食え」

え、なに、どうしちゃったの?松田がなんか優しくて怖いんだけど。空腹に負けてつい「いる」って言っちゃったけど、これもしかしたらものすごい借りを作ってしまったのでは?
松田から何かをする時は大抵面倒事を押し付けられたり尻拭いをさせられたりでろくなことがない。冷静に考えたらこれは絶対何か裏がある……!

「ついでだからこれもやるよ」
「ひっ!冷たっ!」

頬に当てられたそれを手に取れば、おにぎりと一緒に買ってきたらしい缶コーヒーだった。え、本当に何?手に収まったそれらと松田を思わず交互に見てしまうくらいには今の彼が信じられない。

「何かとんでもないこと企んでない?」
「お前なあ……俺のこと何だと思ってやがる」
「いやあ松田には毎回と言っていいほど面倒なことばっか押し付けられてるからつい」
「……俺がお前に優しくすんのがそんなにおかしいかよ」

そう言われて即座に肯定しようとしたが、体ごとこちらに振り返った松田が何だかいつもより真面目な顔をしていたからその言葉は喉元で自然と消えた。
まさかあの松田に優しくされる日が来ようとは。少しひねくれてるけれど、これが彼なりの優しさなのかと思ったら何だかむず痒いような照れくさいような調子が狂うような不思議な気持ちだ。

「ありがと。でも私ブラック飲めないから気持ちだけもらっとく。それにおにぎりとコーヒーって合わなくない?」
「お前はいちいち一言多いんだよ」

コーヒーを手渡せば、松田はぶつくさ言いながら立ち上がった。

「どこ行くのよ」
「一服してくる」
「まったく呑気なもんね」
「うるせー」

デスクを見るに松田だってまだまだやること残ってるだろうに。しかし差し入れをもらった手前、口うるさいことは言えまい。
出ていく後ろ姿を見送りながらおにぎりのビニールを剥がす。早速口にすれば、コンビニ特有の新鮮な海苔の音がフロアに広がった。

「おいし……」

刑事は現場でもデスクワークでも生活が不規則なせいで食事と睡眠を疎かにしがちだ。だからこそしっかりとらねばと理解はしていても意識して継続、維持することはなかなか難しい。もしかしたら松田はそんな私を見かねて心配――見るに堪えない、が正しいか?とにかくあの松田にそんな風に思われていたならさすがに改善した方がいいな。とりあえずこの案件を片付けたら仮眠室で横になろう。

「さてと、あと少し頑張るかあ!」

その後しばらくして松田が戻ってくるのだが、煙草がデスクの隅に置きっぱなしになっていたこと、それが単なる口実であったと知るのはもう少し後の話である。


「萩……立ち聞きなんざ趣味が悪いぜ」
「人聞き悪いなぁ。邪魔しちゃ悪いと思って気遣ってたってのに。……ほれ」
「なんだ?カフェオレ……?」
「それなまえちゃんがいつも飲んでるやつ。差し入れしようと思ったけど陣平ちゃんにあげる。今日はもう帰るわ」
「……ったく変な気ィ遣いやがって。つかカフェオレも合わねぇだろうが」


2022/04/28
title:まばたき

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