// 全砲門がきみに振り向く



「リジーくんだっけ」
「名前知らない」
「リジェント、リディナルドなんとか、だっけな両親が面白がってとにかく長い名前にしちゃったらしい、一回聞いたけどすごい長くて」
 メイドたちの心地よいお喋りを聞きながら紅茶を淹れる。レイジュ様の部屋付きは他のご兄弟の召使たちより幾分か心に余裕がある。
「お願いxxx、これ着てみせて」
「レイジュ様それは、その、どいうった趣で」
 はずだったのですが。非日常が通りすがりに日常をぶん殴ってきた。
 コットンタフタのしっかりとした生地の黒い長袖ワンピースに、ぐるりと腰から下を覆う真っ白のロングエプロン。エプロンのレースの装飾は細やかに目立たせず、ヒダはどこまでも美しく。ロングスカートのクラシカルなメイド服を、レイジュ様は特に理由もなく俺に着てみせてと言ったのだった。無邪気な笑みを作ったレイジュ様は、写真で拝見したお母上に似ていらっしゃった。


 昨日は酷い目にあった。思い出したくないが思い出すたびに無限にため息が吐き出される。
 タキシードを剥ぎ取られ眼鏡を外され、化粧までされた時には目が接着されて開かなくなると思った。何度も鏡を見せられ、俺が何が変わったかわからないと言うと、レイジュ様の部屋へ集まってきたメイドたちが目が大きくなっただとか睫毛が伸びただとか盛り上がり、生物学的に有り得ない事象が起きていて怖かった。絞ったり詰められたりして服を着せられ、髪をひっつめられ上から上品なシニョンにセットされたカツラまで乗せられた。やっと終わったかと思えば極め付けにレイジュ様は「冷めてしまった紅茶のおかわりをくださる?」と俺を部屋から放り出したのであった。
 レイジュ様はお遊びされるような方では無く長く仕える者たちを大切にしてくださる。何故私にこのような試練を。できるだけ給仕やメイドたちの目に止まらないように、かつ最短距離で戻る途中、廊下の先から鮮やかな光の三原色が見えた。慌てて紅茶とクッキーを乗せた小さなワゴンごと急カーブをきって曲がる。しかし慣れない靴で思い切り両方の足首を捻り蹲った。あっと言う暇もなく背後から影が重なり万事休すの中、おいお前、の低い声に顔をあげると、まさかぼやけて二重に見える視界の中で、微かにご兄弟の目がハートの形に見えたなど。

 命辛々とはあのことだ。なんとかご兄弟を振り切ってレイジュ様のお部屋へ逃げ込んだ。あれからどうやら正体は守られたままのようだ。しばらくお暇をいただきたいくらいだ。また何度目かのため息をついて厨房へワゴンを押していく。xxxの紅茶が大好き、といつもレイジュ様がお褒めくださる。角を曲がると、死角の壁に背中を預けたイチジ様が腕を組んで俯いていた。
 息を吸った時には既に左耳の横ですドンと爆発音のような音がして、数秒遅れて頭の中にキンと響く。右腕は動かない。
「見つけたぞ」
 炎のようにまとめられた硬めの赤い髪、一切の光を吸収するサングラスが眼前にあった。眉間には深いシワがよっていた。
「手間をかけさせるな」
 蝋で固められたように動かない腕はイチジ様が掴んでいるだけだった。
「視覚支援ユニットの交換、演算速度支援端末の更新、ニジに至っては全身の伝達系統の異常を疑って検査に出した、アイツの首から上は最先端の物理科学技術の集積だってのに再交換で国庫が揺れたぞ」
 左耳の横に埋められた右ストレートの拳がゆっくりとひかれて戻される。兄弟喧嘩に耐える特殊な材質で構成された城の壁が、拳の形に歪んでいた。威嚇の範囲に止めてくれたのだろう。日々真面目に勤めていた折に突然ご兄弟の逆鱗に触れ、想像を絶するほどの暴力を振るわれ故郷に帰った同僚たちの姿が思い出された。ニジ様も恐ろしいがイチジ様もきっちりと恐ろしい。レイジュ様何故勤続八年の私にこのような試練を。貴女の紅茶係は今殺されてしまいます。
「何故さっさと名乗り出ない」
「申し訳のしようも御座いません」
 弱々しいが思っていたよりしっかりとした声が出てよかった。謝意は伝えられただろう。探していた正体が男だとは思わなかっただろう。怒らせるのも無理はない。心火が燃えるとはよく言ったものだ。
 掴まれていた腕をぐいと頭上に持ち上げられた。壁に押さえられて固定される。腰が抜けそうだったので助かった。もう殴られるのだろうか。反省する時間もなく、もう今か。顔は痛そうだな。いや、見えない部位より顔の方がレイジュ様には反省していただけるだろうか。恐ろしいから出来れば早めに気を失いたい。真っ直ぐなど見ていられるはずもなく、顔を背けて目を伏せた。
「ご、御慈悲を」
 懇願の返事の代わりに、ぱた、と小さな水滴が落ちる音が聞こえた。わずかに目蓋を持ち上げると、爪先の横あたりの床に血液のような液体の正円があった。鼻先から血液の滴がもう一滴落ちたイチジ様も、床の同じ位置を見ていた。イチジ様が徐に空いている手で口元を鼻まで覆い隠し子供のように一息だけ啜り上げる。
「あ!だめです血を飲んでは、こちらに」
 咄嗟に大きな声が出てしまった。ポケットチーフを抜いて手を添えた。体がバネのように勝手に動いた。さっきまで萎縮し切っていたとは思えない。
「下を向いて、動かないで」
「汚れる」
「それが仕事です」
 鼻を私に任せて手を下ろしたイチジ様は何もお返事せず、言われた通りにそのままぴたりと動かなかった。なのに一気に白かった麻の生地が真紅に染まり、吸い取り切れず血が床へと落ち始めた。今度は血の滝のように。
「ああ何故!医務室!医務室へ行きましょう!」
「手を離せ、自分で行く」
「はいっあの」
「離れろ」
「い、イチジ様が、手を離してくだされば、すぐに」
「……、…………」


「うふふ、昨日よりも面白いものが見れちゃった」
「ハハハ!ついにイチジにバレたか!私が一番だがな!」




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