柔道部の日常





 一日学校を休んで、部活はその次の日までお休み。
 話によると四十度近くまで熱が上がったらしいのに、結さんは最短コースで元気に部活復帰を果たした。

「……結さん、すげえ回復力だよね」

「我ながらどんびき。もっとか弱い生き物に生まれたかった」

 そもそも風邪そのものが十年ぶりなんだって。どんだけ強ぇのこの人の身体。
 俺はどんびきはしねえけど、素直に「すげえ」って思う。
 ……てか早くよくなってくれてよかったよ。強い体に、感謝だ。


「私がいない間ちゃんとやった? 一年生」


 柔軟中の一年生部員(もちろん俺含む)に語りかけるその声も、笑顔も、すっかりいつも通り。
 皆マネージャー復帰が嬉しいらしい。いい笑顔で、いい声で、もちろん! とそれぞれが首を縦に振る。


「よし。……あれ? ニーナは?」

「やった! やりましたよ!」

「ならよし」

 ああ、いいなあこの感じ。
 結さんは決して癒し効果のある人じゃないけど、いるだけで空気がさーっと流れていく。雰囲気のせいかな。気質のせいかな。そう、たとえるなら空気清浄機的な? 
 
 この人不在の二日間、正直柔道部の空気は濃厚すぎるくらい濃厚かつ重苦しかった。
 男臭さとはまた別の何か。気を抜けない緊張感の中の練習は多分すげえ身にはついたけど、ずっとそれなら確実に俺リタイアしてるもん。


 女の人って凄い。
 てか。この部にとって、この人の存在は、偉大だ。


「ご褒美にハグしてくれてもいいよ?」


 結さんが普通にいる。

 それが嬉しくて、ついつい、いつもの調子がぽろりと出た。

 あ。やべえ怒られる。

 ……そう思ったのも束の間


「お? いいよ別に」

「え!」


 まさかのOKが飛び出し、思わず身を乗り出す。


「覚悟があるなら、おいで」


 結さんはそう言ってにこりと笑い、両手を控えめに広げた。


 表情も、態度もウエルカム。
 ……なのになんだろう。


 怖ぇ。つか


「……覚悟?」


 覚悟って、何スか、先輩。


「……やめとけ新名」


 笑顔で槍をつけつけられているみたいな、嫌な感じの恐怖。
 それに圧された俺を見かねてか、それまで黙って柔軟をしていた嵐さんが間に入った。


「あ、嵐さん……」


 やめとけもなにも。そもそも冗談のつもりだったし、謎の覚悟求められていけるわけないでしょ。

 覚悟って何の覚悟?
 抱きついた瞬間このごつい兄ちゃんこと嵐さんが襲い掛かってくるとかそういう最強トラップ的な? 


「そいつ、強ぇぞ」

「え?」


 いや、これはまさか。まさかの


「いや……別に強くは……」


 マネージャー、最強説?!


「ちょ、ちょい待ち。結さん、柔道すんの?!」


「しない。けど」


「……けど?」


「空手を少々」


 少々という言葉に添えられた微笑みが怖い。


 そして


「と」

「と?!」

「……合気道を、がっっっつり?」

 溜めの長いがっつりという言葉が、重い。
 ……何ちょっと照れてるの。
 えへへ! とかそういう可愛い話じゃないじゃん、これ。


「なにその格闘マシーンっぷり!」

「少々っつっても、黒帯だしな。両方」

「怖ぇ! すげ怖ぇ!!」


 黒帯。
 てことは段持ち。
 てことは、つまり。
   

「初段は別に凄くはない。それに合気道はちっちゃいときからお稽古ごととして習わされてただけだし。空手に関しては上手くのせられただけ」


「どうやったら乗るんすかそんなもん」


「だっておじいちゃんが合気道は実戦向きじゃないからもう一個武道やっとけって。……でも中学ん時ふとした拍子に『実戦って何だよ』ってことに気づいて、初段だけ取ってやめた」


「……それは確かに、そっすね」

「でしょ? 桜井兄弟みたいにストリートファイトするわけでもなし、いらないじゃんね。攻撃手段なんて。だから今は合気道一本。それも目標段とれたから稽古減らした。よーやく部にがっちり集中できるよ」


 あ。やっぱそういうのするのねあの兄弟。
 って。今はそこ、そんな重要じゃねえわ。


「……ちなみに合気道の方、段位は」

「最近二段が取れたとこ」

「ちなみに合気道の二段はこの年齢で取れる最高段位だ」


「へ、へえ……」

 解説を加えてくれた嵐さん。
 その腰には、当然黒帯。

 パネエ。
 このコンビに逆らったら、なんか色々終わる。絶対。


「で? どうするニーナ。ぎゅっとしてあげるよ?」


 んでこれはぎゅっていうか。
 ブンッと投げられちゃう予感?

 じりじりと後ろに下がる俺。
 ニヤニヤと笑いながら俺ににじりよってくる結さん。
 対照的な表示で向き合う俺達に、部員全員の視線が集まる。


「駄目だ」


 だけど一人楽しそうな結さんの手を、嵐さんが座った体勢のまま掴んだ。
 
 手首や腕をなんとなく、じゃない。大きな手でしっかりと、手の甲を包み込んでいる。


「あいつの受身じゃまだ怖え」

「って、そこかよ!」


 手を取り、取られ、見つめあう二人。

 ……なんか、どきっとした。
 見ちゃいけないものを、「見せつけ」られた気がした。

 なのに結局そういうオチって。
 色気があるのかないのか、はっきりしろっつーの!


「……ま、冗談なんで」


「冗談に見えねえよ。お前俺すらぶん投げるからな」


「あれは不二山が受けてみたいっていうから! 合意の元に!」

 
 あ。ない。ないわ色気。
 ……少なくとも、一瞬流れたアレな雰囲気はさっさと、霧みたいに散ってしまった。 

「……あんた、嵐さんみたいなゴツイ人も投げられんの?」

「合気道は体格にはそこまでシビアじゃないよ。勢いよくガッときてくれたらガガッといけるね」

「すげえカッケー。俺もそっちやればよかったかな」

「や。あんたは向いてない。どっちかっていうと精神鍛練の分野だし、試合とかないから」

「マジで」
 
「マジ。マジ地味。」


 ぱっ……というよりはするりと、嵐さんの手が外れて。 
 結さんは何事もなかったかのように、そして当たり前みたいに嵐さんの隣に座った。

 嵐さんはあぐらで。
 結さんは正座。
 
 あんな話を聞いたせいかな。


 ……なんか、なんかやけにカッケェぞ、この絵面。


「嵐さんが結さんを部に引き入れたんすよね? それはやっぱ、武道の腕前を見込んで?」

「いや、違う。それはオマケみたいなもん」

「クラスも違うのに、初対面でいきなり誘ってきたよこの人」

「じゃあ何で結さんを…?」

「ビビっときた」

「ビ、ビビっ?!」

「校門前で勧誘活動してたら、すげえ目立ってる奴がいてよ。あー絶対こいつ何かやってんな、欲しいなって思いながらなんとなく見送ってたら……」


 ああ、そうか。わかった。


「後ろ姿が綺麗だったんだ。背筋が真っ直ぐに伸びてて、歪んだところが全くなかった。……そこに惚れた」


 この二人、無茶苦茶姿勢がいいんだ。


 それに、俺の結さんの第一印象も「後ろ姿の綺麗な人」だ。嵐さんが惚れるのも無理は……って。
 
 ん? 


「……惚れたんすか?」


「ああ」


「……不二山の言葉のチョイスがアレなのはいつものことだから気にしないように」


「あ、悪ぃ」


 だから、何なんだよあんたらは。
 ……いちいちどきまぎしなきゃならない周囲の身にもなってほしい。


「合気道をみっちりやってる奴は目も鍛えられてる。……そのオマケも大当たりだったし、笠原はいい収穫だったな」

「当時のことは思い出したくもないけどね……私は……」

「バカ、忘れんな。覚えとけ」


 忘れたい程の勧誘ってどんなよ。 
 嵐さんはなんか悪ぃ顔してるし。……超楽しそうだなこの人。


 でも今はこれが二人の当たり前の毎日。
 この一年、俺らがドキドキさせられてるみたいに、周囲に誤解を振りまいてきたんだろう。

 そしてこの光景が、俺にとっても見慣れた、当たり前のことになっていくんだ。
 きっと。

「……よし、はじめっか。笠原」

「はい」

 名前を呼んだだけで差し出される手。そこにコロリと、ストップウォッチが転がる。
 
 
 
 ああ、『戻って』きたんだなあ。



 改めて。
 おかえり、『日常』
 









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(11.09.17)






 

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