笠原 結





 車で吐かなかったその意地は評価してほしい。



 その一言を残し、結はベッドの上で息絶えた。
 ……いや、全然生きてるけど。それくらいスコンと落ちたって話。
 今はもう呼吸で体が上下するほかはまったく、ぴくりともしない。


「……どんだけ無理すりゃそこまで悪化すんのよ」

 溜息と共にぽつりと、そんな言葉がこぼれる。
 今日もずっと一緒にいたけど、全然そんな素振りは見せなかった。
 改めて振り返ってみればそういや午後はだるそうだったなとか、動きがまったりしてたなとか、だんだんそんな気はしてくるけれど、それは今寝込んでいる姿を見ているからだ。何も知らずに帰っていたら疑ってもみなかっただろう。

 大した根性だと思う。……方向性はちょっと間違ってるけど。

 丸まってしまった布団の裾をちょっとだけ直して、床に脱ぎ捨てられた制服を拾上げる。


 まずはスカート。
 履いている時はすごく短く見えるけれど、こうして布だけ見るとそうでもない。
 足が長いんだわ、この子。いつの間にか身長も抜かれちゃたし。
 ……とりあえずこの恩をフルに活かして今度着せ替え人形にでもなっていただこうか。てか、ノーケアでこのウエストサイズはずるい。

 次はベスト。
 結は何故か指定の白ベストじゃなくて、体型より大き目の、ゆったりとした紺ベストを通年で愛用している。
 ブレザーを着るときはサイズダウン。冬は袖が足される(カーデね)感じ。
 ちゃんとした区切りの場……式典や始業式なんかは校則に従っているけれど、なんでそこだけこだわって違反しているのかは謎だ。
 たまに会長に捕まっているのも見る。面倒を嫌うくせに変なの、っていつも思うけど。……まあ、わかった上で校則違反する人ってみんなそんな感じよね。


 ブラウスと靴下は洗濯しておいてあげよう。
 んで、リボンと髪留めはベストのポケットに突っ込んで。
 えーと、それから……

「……あら」

 ドット柄のブラジャー。
 えと、ネット洗いでいいのかな?

 友達の下着に触るなんてなんかすごく変な感じ。
 やましくない、全くやましくないけど、ちょっとドキドキしちゃう。


 ああ、そういや着替えがいるんじゃない?

 パジャマ代わりのTシャツやジャージはいくらでも貸してあげられるけど、下着はそうはいかない。

 参ったなあ。車を持ってきてくれた沢さんに飲み物や薬はお願いしたけど、流石に四十代男性に女性用下着までは頼みにくい。
 かといって、この状態の結を置いて私が買いに行くのも……。


 さて、どうしたものか。


 そんな私のお悩みに応えるように、携帯がもう何度目かの着信を告げた。
 結から預かって、身内対応用に自分のポケットに入れておいたスマホだ。
 慌てて画面を見ると、そこには電話の受話器マークと『梨央』の文字。
 
 これは願ってもないチャンスだった。


「あ、バンビ? 今まだ学校にいる?」


 バンビは部活が終わってから、たまたま一緒になったミヨと同時に携帯を開いたらしい。その時はじめて結からのメールを見て電話をしてきたと。そういうこと。

 驚いたでしょうね。
 私は、驚いたわ。

 だって結からのメールは一言「たすけて」。それだけだったんだから。






「お邪魔します……どう? 結の具合」

 買い物の使命を快く引き受けてくれた二人が部屋に到着したのは、電話から一時間後のこと。

「今は爆睡。よく寝てるよ」

「病院にはいかなくてもいいの?」

「とりあえず様子見。本人が薬飲んで寝てれば治るっていうし、正直動くのがしんどそうだからさ。まあ今以上熱が出るようなら無理矢理にでも連れて行くけど」

 適当に使ってくれと預かった財布から押収しておいた保険証を振って見せると、バンビはようやく、ほっと安堵の溜息をついた。
 こりゃ看病も気が抜けないぞ、と変な気合が入る。


「あ、カレン。これ」

「ありがとっ助かったわー!」

 そしてバンビから手渡された、大手衣料品メーカーの袋。
 頼んでいたブツだ。
 中身をざっと広げてみると、キャミソールが三枚とレディースのボクサーパンツが二枚入っていた。
 そうそう。これ、一枚一枚がきっちり袋に詰められてるから助かるのよね。
 即戦力ゲット。

 ただひとつ気になるのは


「上はいらないんだよね?」

「うん。くたばっている間は使わないし、今日の分選択すれば間に合う。……だけどバンビ、何でこれ?」

 なぜあえてボクサータイプなのか、ということ。
 いくらレディースラインとはいえ。星柄ドットはいえ。色々楽ちんなのもわかるけど。これは色気も可愛げもなさすぎじゃない?

「え? どうせなら後々使えたほうがいいよね? 部活ある日はだいたいこれって前に言ってたけど」


「マジで。ねえ、あの子女子力どこに置いてきちゃったの」

 部活用といっても、あの子はマネージャー。
 激しく動くこともなければ組み合うこともない。見えないことが大前提とはいえ、万が一、なにかの拍子にその色気のなさがチラリズムしちゃったりしたら、なんか気まずくないだろうか。
 女子マネの下着が、ボクサーて。男子の夢ぶち壊し。
 ……いや、そんなもの守る義務はないけども! でも!


「結の場合はわざとだよ」

「わざと?」

「ほら、ずっと不二山君と二人だったでしょ? スカートが捲れたり、何かの拍子で見えたり見られたり……そううっかりハプニングが起きたら気まずいからって」

「……はあ、なるほど……」

 でも、そうか。男女二人だと、そういう気まずさもあるのか。
 言われてみたら、わからなくもない理由だ。
 二人だけの部活でそういう意味での「異性」を意識するのはちょっとばかりきつい。(あの二人がデキてんならまた違うんだろうけれど、それはまだみたいだし)
 
 まさか下着にまでそんな気を遣っているなんて。
 てか、そんなことまで普通気を回せるもんなの?


「……実際そういうハプニングがあったから、二度目を警戒しているのかも」

「……それだ!」

 悩み始めた私の脳みそに、ミヨのつぶやきがぴたりとはまった。
 そうよ。実際何かが起きて、気まずかったから。だからスポーティーも通り越して全く色気のない「ここ」に行き着いたんだわ!


「……となると、何があったのかが気になるわね」

「カレン、」

「あの結が動じるようなこと……」

「ミヨまで……もう……」

 本人が寝ているのをいいことに好き放題盛り上がる私たちに、バンビはむうっと頬を膨らませた。
 悪乗りが過ぎたかな。
 ちょっとだけ反省。


「ごめんごめん。悪かった」

「……そうだカレン。これ、私とバンビから」

 そしてあんまり反省してなさそうなミヨから差し出されたのは、小さな白い箱。

「プリン。四つ入ってるから、ひとつくらいならカレンもたべていいよ」

 お見舞いの品、らしい。
 病人に三つも食べさせる気? と思ったけれど、ここは素直に「ありがとう」で受け取る。

「結、明日学校は無理かな」

「無理無理てか絶対行かせないし私が」

「……そういえば、結の家の人には」

「……や、それがさ。なーんかそのへん、複雑そうで……」


 家への連絡。 
 何よりも優先されるべきことなのに、結は「いらない」とはっきりと言った。
 ひとりだから。とも。 
 私のように一人暮らしでもしているのだろうか。
 だけど事情はより複雑なようで、実家なり何なり連絡先はないかと触らせてもらった携帯には、「自宅」も「実家」も登録されておらず、ご両親らしき連絡先もさっぱり見当たらなかったのだ。


「……結の中には、ぽっかりと穴が開いてる」

「……穴?」

「そう。……穴というよりも、大きくて深い……空洞」


 私が知っている結は、キレイで、逞しくて。裏表のないはっきりとした女の子。
 とにかく自由。そして馬鹿がつくほど正直。
 一緒にいるとただ楽しくて。気持ちをすごく楽にしてくれる存在だ。



「持っている星の輝きは強いけれど、でもその色は淡いブルー。それに時々、消えてしまいそうな弱々しい瞬きをする」


 我慢しているの?
 無理して笑ってるの?
 ……やっぱ根性使う方向性、間違ってるわよ、馬鹿。


  いつもはよく当たるミヨの占いだけど、こればかりは信じたくない。……そう思う。



「……持っているものは全然違うけれど、その光り方は桜井琉夏と少しだけ似てるかもしれない」

 ミヨの言葉に被せるように、テーブルの上に置いていた携帯が震えた。
 ガタガタ、ガタタタタってすごい音。マナーモードの意味がない。


「ごめんちょっと」


 顔を俯けてしまったバンビの肩をぽんとひとつたたいて、携帯に駆け寄る。


「……あ、メールだった」


 メール着信。表示された名前は、

 
「……愛されてんなあ、結」

 不二山嵐。

 多分、結の具合の事も知っている。
 だから電話じゃなくてメールなんだ。
 起きたら。具合がよくなったら返信してって。そういうことでしょ?


「……あ、あいって」 

「あ、いやいや。ラブかどうかはともかく、大事にされてるよねって話」 


 流石にメールは開けないから、電話で現在地を報告してあげよう。 
 相手が私じゃがっかりするかもしれないけど、安心は提供できるはずだ。


「……あ、もしもし? えと、花椿です。結の携帯から失礼! 私不二山君の番号知らないからさあ」



 これだけみんなに愛されて、それでも埋まらない「空洞」。


 それって一体、何? 
 

 




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(11.09.13)







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