RUN!
柔道部の活動がスタートして一週間。
素人集団相手に全く手加減のない「主将」のしごきにより、俺ら新入部員達は最初の山場ともいうべき疲労のピークを迎えていた。
ただでさえ両手で足りる人数なのに、すでに二人の脱落者が出でている。……まあ、あいつらは明らかに美人マネージャーに釣られていたクチだったから、当然といえば当然の流れではあるけど。
結さん曰く、この山を越えちゃえばあとはもうヤミツキ!……らしい。
らしい。って。
そんなもん、誰が信じるかっつーの!
「新名、どうよ柔道部は」
「どーもこーもねえよ……シンドい、メンドい、むさくるしいで心身共にボッロボロだっつの」
柔道部に入った。
そう報告した時、このクラスの悪ノリ仲間達は大爆笑で俺の船出を祝福した。
祝福っつーか、完全にネタ扱いだったけどな。
まあ、俺の外見やキャラクターで柔道なんて、本来ならぜーったいに結び付かない組み合わせだし。笑いたくなる気持ちはよくわかる。
「でも俺絶対三日で辞めると思ってた」
「俺も俺も」
でも三日で辞めると思ってた奴が一週間続いている(……って、なんか全然大差ない気ぃすんだけど)という事実は更に意外だったようだ。
そういや言葉に含まれていたからかいの色が、日に日に薄れてきているような気もする。
「……まあ、新しい事覚えんのは楽しいよ。筋トレとかはマジもう勘弁だけど」
「筋トレいらねえ運動部なんて聞いたことねえし。我慢だろそこは」
少なくともこんなまっとうな切り替えしされる日がくるなんて思わなかった。
周りの見方が少しずつ冗談からマジになってきているのは、確か。
なんとなく……うん、体感的に。
「それより、どうなん。マネージャーとは」
って。
「は?」
「とぼけんなって! どうせマネージャー目当てなんだろ? お前」
うっかり感動しかけた俺が馬鹿だった。
理解とも誤解ともいいがたいその見事な思い込みに、がたりとカラダが崩れる。
「あ、あのねえ」
「でもあのマネージャー……笠原先輩だっけ? ちょっと怖くね? 雰囲気っつーか……や、美人だけど」
「うん。まさにドMな俺向け! ストライク!」
……なんかそんなこと言ってたなあ。辞めてった二人も。
「ええっお前そうなん?!」
「なんちゅーか、いじめてください! オネーサマ! みたいな、変な気分になるあの人見ると」
そうそう。ほんと、コピペしたみたいに同じ事言ってた。
叱られたいだの、なんだの。
全然そんなんじゃないのにね。あの人。……あ、だからやめたんだ。
「……ちょっとやめてくんね?」
あいつらみたいなこいつらに、「そう」思われるのは心外だ。
ツレなくされたからって。女が想像と違ってたからって。それだけを理由にやめてったやつらと同じにされたくない。
「に、新名?」
「人の先輩を性的な目で見ないでくださーい」
思わず、持っていた雑誌でばしんと背中をたたいた。
たたいたっていっても、雑誌で。しかもむかつき30%カットの力で、だ。痛みはない。
腹がたつってことは、それだけ本気になってきてるっていうこと。
それを認めるのは癪だけど。……癪だから、ぜってー言わないけど。
「おーいニーナー」
微妙な空気になりかけたその時。教室のドアががらりと開いた。
「はいはい……えっ結さん?!」
ドアのところに立っていたのは、今まさに頭に思い描いていた二人の片割れ。
思わず時計を見る。
……午後四時三十分。とっくに部活が始まっている時間だ。
制服で、しかもカバンを肩から下げて。どう見ても帰り支度なんだけど。これ。
「ど、どーしたの? 部活の時間じゃ」
「や、それそのままお返しするけど」
おっと、ヤブヘビ。
そういや俺、今日は部活休んじゃう気満々で教室に残ってたんだっけ。
サボりじゃない。休息だ!
……って、高らかに宣言したけど。まあ、サボりだよな。この人から見れば立派に。
「えーと、その……今日は体調が……」
「バレバレな言い訳は結構です。……別に叱りに来たわけじゃないから安心して」
さすが上級生。
結さんは何の躊躇いもなく教室に入ると、たまっていた俺らのグループの目の前までやってきた。
それまで話……しかもよからぬ話題のタネにしていたご本人の登場に、他の連中は気まずさと緊張で固まってしまっている。
「あのね、私今日もう帰るんだわ」
「あ、やっぱそうなの?」
「うん。長いこと飼ってた風邪菌がようやく本領を発揮してきてさ……」
「マジ? 大丈夫なの」
「へーきへーき。たいしたことはない。ただ今何日も寝込むと色々まずいからさあ。大事をとってね」
言われてみると確かに、あんま顔色がよくないような気ぃする。
喋り方も、いつものはきはき喋りより鈍い。
「……そか」
うわ。これ、罪悪感パネェ。
だって俺は元気な仮病人。片や元気ぶる仮病人だ。この状況に何も感じないほど、性根は腐っちゃいねえぞ、俺。
「……で、帰る前に、可愛い後輩の面倒を見に来たわけよ」
「……面倒?」
「ニーナ、屈伸してみて」
「は?」
「いいから」
屈伸。……なんでいきなり屈伸?
よくはわからないけど、とりあえず言われた通りに。体調悪いのにわざわざ一緒にやってくれようとしている結さんの声と動きにあわせて動いた。
……あの、スカート、超気になるんすけど。
「はい次、アキレス」
「あのさ、」
「いいから」
だから、なんでいきなり柔軟なんだよ。
やるけど。そりゃやるけど。
だからっ今度は脚が気になるんだって! 長ぇ! 無駄に長ぇ!
「ちゃんとしっかり伸ばしてる?」
「してるよ!」
あんたこそ、男共にガン見されてるの気付いてる?
……気付いてやってたらとんだ悪魔だ。
「はい足首ーほぐしてほぐしてー」
「ねえ、何なのこれ」
「準備運動」
「え?」
あ。
なんかすげえ、いやな予感。
ちなみにこの「いやな予感」は、ここんとこハズレなし絶好調だ。
「新名! いるか!」
逃げろ!
そのサインが出たのと同時に、結さん登場時の倍くらいの騒々しさでドアが開いた。
「ゲッ嵐さん!」
胴着姿でこんにちわ。
……うう、すげえ迫力。
「……ん? 笠原?」
「いきなり走るのはよくないかと思って軽いストレッチを少々」
「……流石。でもお前、早く帰れ。キツいだろ今も」
だけど結さんを見る目は優しい。
彼女が目に入るやいなや対俺の殺気混じりのやる気なんか一瞬でどこかに消えた。声も、表情も、何もかも違う。
穏やかな声。さらにこんなにあからさまに心配です! って目をされちゃあ、女子はイチコロっしょ、普通。
「大丈夫大丈夫。もー帰るし」
「……ホントは送ってやりてえんだけど。……なあ、誰か捕まんねえの、一緒帰る奴。最悪、桜井のどっちかでもいいし」
「桜井兄弟の位置付け低ぅ……友達なんですけど一応」
そう。普通、は。
……なんかずれてんだよな、この二人。部活中はばっちり、あうんの呼吸で動けるくせに。
「んなこた今はどうでもいい。どうするんだ。今この場で決めろ」
「……うう…だいじょうぶなのに……」
結さんは渋々といった様子で携帯(あ、すげえ。最新のスマホだ)を取り出すと、手早くメールを打ちはじめた。
一緒に帰る人を探すのだろう。
たぶん、電話で一人一人に当たるのではなく一斉送信で片をつけるつもりだ。
一週間一緒にいて気付いたけど、この人はきっと、かなり頭がイイ。作業や動きに無駄がないっていうか。何をやっても、びっくりするくらいスマート。
「……さて」
結さんが帰りのお相手探しをはじめたのに安心したのか、それまで抑えられていた嵐さんのオーラ……的な何かが再び、ゆらりと揺れた。
「……さ、て?」
カンカンカンカン!
いきなりMAXで鳴り始めた警戒警報に思わず足が一歩下がる。
「お前は、来るよな? 部活」
「……え、ええと……あ、あの、俺が結さんを送るって手もあ……」
「ねえな」
「ないねえ」
スマホに指を滑らせながら、結さんがにやり。
ああ、そうか。
この人達は、俺を
「不二山、大丈夫。見つかった」
「誰」
「カレン。今日部活ないんだって」
「……そか。気を付けて帰れよ」
「うん。そっちも、怪我なく」
「ああ。……新名。行くぞっ!」
「うわああっ」
俺を、捕まえにきたんだ!
行くぞ! を合図に、嵐さんがスタートを切った。
人間は、追われたら逃げる生き物だ。
待てと言われて待つ奴はいない。
言葉は逆でも効果は同じ。
行くぞって。あんなド迫力で行われたら逃げたくもなるって!
ほとんど条件反射で、嵐さんのいない後方ドアへと走る。
「がんばれー」
完全にヒトゴトな結さんに見送られ、俺らは同時に廊下へと飛び出した。
今度こそ逃げ切れるかな。
てか、ゴールはどこよ!
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(11.09.10)
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