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かなしみの忘却

私は、焼却炉の目の前に立っていた。ふたを開けると暗闇を抱えた赤が待ち受けていた。私は右手にあの絵を持っている。焼くために来たのだ。目を知らぬ間に閉じると暗黒の世界の中にぽつんと神田の冷徹な表情が浮かぶ。


「絵を、見る気が失せた。」


ばっさり。今までの私の期待を裏切る言葉が頭の中にこだましていく。

どうして、とも、そうなんだ、とも、何も私はいえない。口を開くことができない。呆然と神田を見ていた。


「その絵、ほかのやつに見せてないんだろ。ほかのやつに見せてこいよ。」


神田はいつものような強い瞳でなく、無気力に近い瞳で言い放つ。視線に触るとひやりと冷たい気がした。

神田はきびすを返し去っていく。立ち尽くす私は後ろ姿を見詰めながら最後にポツリと言った。


「・・・・神田が一番じゃなくちゃ、意味がないんだよ。」




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ぱちり。目を覚ますと左のほうでゴーレムがぱたぱた飛んでいた。

夢か。息を吐き出すと体がベッドへとふかく沈みこんでいった。


任務地での朝だった。昨日任務は終えたばかりで、今日、帰る予定だ。きっと帰ったら次の任務が待っているに違いないけれど。そして帰ったら帰ったでみんなもそれぞれ任務にいっているはずだから、会える可能性も低い。ましてや神田は・・・きっと無理だろう。それならば――

荷物をまとめ、私は一度コムイさんに連絡をとることにした。


『あ、コムイさん?昨日任務終わりました。』


『うん、お疲れ様。早く帰っておいで、みんなが君の絵を見たいって待ってるよ。』


『あの、そのことなんですけど。もし次の任務があるならこのまま行こうと思ってるんです。』


『・・・大丈夫かい?』


『はい。大丈夫です。』


『それなら、問題はないけど・・・』


『お願いします。いちいち帰るの面倒じゃないですか。』


『じゃあ・・・一応言っとくけど無理はだめだからね。』


『はい。』


コムイさんは心配そうにしながら私に次の任務内容を伝えた。次の任務の相手を向かわせるから詳しい説明は聞くようにと言って。私は分かりましたといって通話をきった。

少ない荷物を手に持ち、宿を出る。

次の任務地へと向かう駅へと歩きながら、やはり考えたのはあの絵と神田のことだった。

一般的に夢というのは起きてしばらくすればすぐに忘れてしまうものだ。しかし今回は内容が内容なだけにそうは行かなかった。起きてから随分たっているが今でも細部まで鮮明に思い出せる。そして思い出すたびに胸が締め付けられるように痛むのだ。縄で縛り付けられたようにぎいぎいと音を立てて、強くゆっくりと。

やはり絵を焼くなんて私にはできない気がする。自分の心の一部を殺してしまう行為に思えてきたのだ。今まで私は自分の絵を一枚も捨てたことはない。どの絵もどこかで光り輝けるように売ってしまったり誰かに譲ったりしていた。だから私が命を吹き込み、ほんの少しだけ切り分けた魂が入った絵はどこかで生きているのだ。そんな私の分身とも呼べる絵を、自らの手で焼くなどできるはずもない。

神田がもし見てくれないというのなら、きっと私は夢の中での神田の言葉に従うのだろう。いつものようにみんなに絵を見せ、しばらくしたら売って、どこかの誰かに引き取ってもらって生きていくのだ。そこにほんの少しの寂しさと後悔、そして罪悪感のようなものを抱えながら、また私は絵を描く。きっとそうなるに違いない。

このもやもやを、いったいどうすればいいというのだろう。

朝の独特の湿っぽかった空気が、太陽がきちんと顔を出したことによってからっと晴れる。これから任務なのだから、と私は湿っぽかった気持ちを切り替えた。




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任務地は、私のいた場所から列車で2時間ほどのところだった。

資料によれば、戦争で富を得た成金の家にある絵画が奇怪を起こしているらしい。現地に降り立った直後私はファインダーと合流できた。

そのファインダーはすらりとした長身の男だった。程よく筋肉がついているようだ。服越しだがなんとなく分かった。
しかし外套を目深にかぶり、首に巻いた布のようなものに口元をうずめ、顔はまったく分からなかった。少し不気味だ。しかしあまりじろじろと見るのも失礼だからと顔を見たいという気持ちは抑えておく。


「どうぞよろしく。」


「・・・・」


挨拶をしても何かが返ってくるということはなく。会釈さえもされなかった。やりづらいなあと思いながらも表に出すことだけはやめておく。どっかの誰かであれば迷わず舌打ちするか鋭い視線を浴びせるかしていたかもしれない。

ファインダーは私に背を向け歩き出した。どうやら奇怪な現象が起こっている場所へと向かうようだ。


「ファインダーさん、あなたの名前は?」


「・・・・」


「まさか、任務の間ずっと無言なわけじゃないでしょ。名前だけでも知っておかないと。」


「・・・・ジャン。」


「ジャン?ジャンって言う名前なの?」


ジャンと名乗ったファインダーはうなずいた。


「それで、ジャンはいくつ?私は25歳なんだけど。」


やっと声を出してくれたから、もう少しはしゃべってくれるだろう、と思ってもっと声をかけた。

が。


「・・・・・あまり、話が好きじゃないんで。」


ジャンはそういって私に資料を渡した。追加の資料のようだ。これを適当に読んで暇つぶしをしろということだろうか。そして自分にしゃべりかけるなと。


(・・・なんなのよまったく。)


「じゃあせめて、そのフードとってくれない?あまりあなたとは話せないんだから、アイコンタクトぐらいは必要でしょう。」


「・・・・」


「ねえ、だめなの?」


私はジャンの横に立ち、彼の外套の中を覗き込むようにしていった。ジャンはすぐに顔を背けた。やはり外套をとるのはいやらしい。


「外したくないのね。なら無理にはしないけど。」


無理やりしてもいいことは一つもないというのを自覚しているし、ジャンという人間そのものにあまり面白味を感じなかったので私は追求はしなかった。ジャンもあまり気にかけて欲しくなかったようで、ほっとしている。

つまらない男だと思いながら、私は彼の斜め後ろのポジションでついていった。

話しかけるなと言われたので私は暇つぶしにと資料をぺらぺらとめくる。
資料には、絵画の起こす奇怪が詳しく書いてあった。


その奇怪が起こるのは、ちょうど午前零時からほんの三十分間のようである。絵画を買った成金の、妻が午前零時になると毎晩のようにベッドを抜け出す主人を怪しんで跡をつけたときに発覚した。絵を買った当初は全くそんなことはなく、一ヶ月経った頃に急に奇怪は起こり始めたようだった。
妻が見た光景は、絵が飾ってある部屋が幻想的な世界で満ち溢れたものだった。まるで夢の中の世界のようだった。そしてそれは彼女の主人がよく嬉しそうに語っていた理想が現れていた。これは主人の望んでいる世界なのではないか、これを見て、主人は幸せを感じているのではないかと思った妻は、初めは黒の教団に連絡しなかった。しかし、毎晩幸せな世界を見ているはずの主人は、機嫌は良くてもだんだんとやせ細っていることに気づいた妻は、もしかするとあの絵画のせいではないのかと考え、主人が倒れてしまったことを機に黒の教団に連絡をしたのだった。


この資料を読むと絵画には見る人の願望を幻としてみさせる力があると推測できる。
さて、ならばその絵画はイノセンスの力によって相当美しい姿をしているに違いない。そんな素晴らしい絵画ならば、どれほどのものか。
私は期待を込めて次の資料をめくった。


「え・・・!!」


私のほんの小さな驚きの声にジャンが反応して立ち止まる。彼の左肩に軽くぶつかって静止した私は、彼を見上げて言った。(相変わらず顔は見えない。)


「これ、私が描いた絵なの。」


「・・・」


若干、彼は驚いているようだった。彼の気配が怪訝そうなものに変わっていたのだ。


「まさか、この絵が奇怪を起こしているなんて、」


とは言ってみたものの、この絵が奇怪を起こしたことに少しだけ納得もいく自分がいた。

この絵は手放すか手放すまいか随分悩んだ。自分の中でも気に入っていたし周りからの反応もそれまでに描いたどの絵よりも良かった。それだけではない。自分自身でも驚きだったが、知らぬ間に絵の中の世界へと入り込めそうな気がしてくるのだ。今まで何度、絵の世界へと入りたいと思ったことか。できないことだとわかっていながら妄想する自分がいたのだった。だから手放そうとは思えなかった。
しかしその絵を描きあげてから、描きたいと思うものと出会ってもホームに戻るとめっきりかけなくなってしまったのだった。絵は、ずっと自分の部屋の中に飾ったままにしていた。せっかく描きあげたのだからどこかに押しやるなんてことはできずに部屋に飾っていたのだ。どこかへ押しやるくらいであったら手放そうと思っていた。絵は見られてこそ意味があるのだからと。そのせいで、新しい絵を描こうにもどうしてもその絵に影響を受けて納得のいくものが生み出せなくなってしまっていた。
そのことに気づいたのが絵が描けなくなって二ヶ月たとうとしたときだ。私はしばらく迷ったものの、絵を手放すことを決心した。二ヶ月の間、しょっちゅうその絵を見に来ていた人たちは、絵を見たさに談話室などに飾ってはどうかと提案してくれたけれど、新しい絵を描くためには手放すしかないとその提案を跳ね除けてまで手放した。

描いた本人でさえも惹きつけられる、そんな絵が、奇怪を起こしている。その事実によって、この絵は出来上がったときから作者の意図すらも超えたところで不思議な魔力を宿していたことに私は気づく。
それはとろりと甘い蜜の味を胸中に広がらせた。







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