▽ 思遣3
娟の帰還の知らせを聞いたアルトは、司令室へ向かった。
司令室の方が娟を迎えられる確率が高くなるだろうと推測したからだった。
実際いたのは神田で、少しがっかりしてしまったのは事実である。
「お、おかえりなさい」
がっかりしている様子を見せないように、アルトは神田を迎えた。
表情にでないようにしているが、きっと目ざとい神田は気づいているだろうことを残念に思いつつも、礼儀として、隠す。
神田は目線でだけ応えて、アルトの挨拶には返事をしなかった。むしろ目線でだけでも応えたのは珍しい気がする。
「へーふーん、こんな感じだったんだー。余談なんだけど、今度リナリーにプレゼントするとしたら何が良いと思うかい?」
「知るか。で、この報告で十分かどうか早く言え」
「そーだねー、イノセンスって、人間の魂も媒介できるんだねー。で、リナリーは何に喜ぶと思う?」
「知らねぇっての」
神田はコムイに報告書を渡すためだけに司令室へ来ていたようで、すぐさま立ち去る気満々であるところを、コムイの無駄話に引き止められているようだった。
ふと、神田が何かに焦れているのをアルトは感じた。早く立ち去って、どこかへ行きたいような、そんな感情だ。会いたい、と思っているように思う。意識してイノセンスを少し使えば、もう少し詳しく探ることもできるし、また、操ることもできるのだが、アルトはもちろんやめた。人の感情は、危険が及ばない限りは立ち入らないようにしている。
ただ、神田から伝わる感情の相手がなぜだが娟のような気がした。
「娟は?」
「あいつなら、ヘブラスカのとこだ」
「わかりました。ありがとうございます」
アルトはすぐさま、踵を返してヘブラスカの間へ向かった。司令室からはエレベーターを使って降りた。娟はどうやら、地下水路から帰ってきたらすぐにヘブラスカの間へ向かったようなので、エレベーターは使わなかったようだ。そして、エレベーターで降りてきたアルトに気づいていなかった。
ヘブラスカの間では、イノセンスを渡し終えた娟とヘブラスカが、何やら話していた。
「ヘブラスカ……私、いつ、”その時”が来るんでしょうか」
”その時”? と不思議に思いながら、盗み聞きになるものの、アルトは続きが聞きたくて、こっそり黙っていた。
「わからない……ただ……私にいえる…ことは……シンクロ率が高まった時……」
「シンクロ率が高まった、とき、ですか……?」
「そう……イノセンスの分離は……シンクロ率の低下も引き起こす……低下はすなわち……咎落ちの……危険性を伴うことだ……」
イノセンスの分離という言葉を聞いて、アルトは二人が何を話しているのか悟った。娟が、彼女の母親のときのように身ごもるときだ。
アルトは咎落ちがなんのことかわからなかったが、娟は知っているのであろう、その言葉をきいたときにびくりと肩を震わせていた。
「そうなったら、私は、まだ、戦えますか」
娟の続く質問にアルトは驚いた。娟はいつも怯えていたし、積極的に戦いたいと思っているようにアルトは感じなかったからだ。娟がこれまでがんばっていたのは、単純に、黒の教団で初めて出会った、自分を受け入れてくれる仲間と呼べる人たちの役に立ちたいと思っているからだった。アルトはその娟の気持ちを娟から聞いたことはなかったが、十分に知っていた。
それが、娟の口から「戦えるか」という言葉を聞けるとは。もしかすると今回の任務でなにか変化があったのかもしれない。
「しばらくは……シンクロ率次第……だろう……」
ヘブラスカの回答をうけ、娟は少しうなだれた。
「今は……まだ88%…だから……100%に近づく頃……変化が現れるかも…しれない……娟は…ときが経つほど…シンクロ率が上がっている……この調子なら…数年以内には……”その時”がくるだろう……」
娟は、しばらく沈黙して、神妙にうなずいた。
アルトは、二人の会話に入るタイミングを見失ったばかりか、こんな会話を聞いたことを気づかれるわけにはいかず、ひっそりと、その場をあとにした。
アルトは、娟の事情にも心が傷んだが、娟の心境に変化をもたらしたものが何なのか、気になっていた。そしてなぜかそれが、先程の神田の様子と紐付いてしまうのであった。
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