謙也は、はじめてうちに連れてきたときから白石家のかしましい女たちのアイドルだった。

流行の、とついていくものを周囲よりほんの少しずつ先取りしていくセンスのよさと軽いノリ、それなのにふとした時にかいま見せる厳しい家庭で育てられた子ども特有の、子どもらしくない折り目正しさとのギャップがたまらないのだそうだ。

いわれてみれば、驚くほどの人懐っこさの反面、困惑するほどの律儀さや寛容さは、幼いころからそれが正しいのだと躾られていなければとうてい耐えがたい深度で謙也の精神に根付いていて、今でこそ、そういう部分も含めて忍足謙也という人間だと納得できるけれど、最初は踏み越えてはいけない線でも引かれているようで相当苛立った覚えがある。

はじめてうちに招かれて来た謙也が、あほかと疑わずにはいられないほど大きな菓子折りを携えていたのを見るにつけ、積もりに積もった苛立ちが爆発して家族の目の前で取っ組みあいになった。 それは中学にあがって四ヶ月、謙也とのはじめてのけんかだった。

小学生のころに比べれば少しは落ち着いてきたか、といくぶん評価を見直されていた矢先の、母や姉たちからすれば突然の俺の暴走、しかも顔だけはいたいけな中学一年生相手に、とくれば味方をしてくれるはずもなく、俺だって同じ中一だとか家族のくせになんでとか、自分でも混乱した頭のまま、むしゃくしゃした気持ちを無茶苦茶にぶつけたあげく、いったいどうやって仲直りできたのかはすっかり忘れてしまっている。

気づいたときには、オレンジ色に沈んだ子ども部屋の隅、向かい合ってふたり黙々と菓子折りの中身を空にしていた。
年配のご進物に大人気の老舗和菓子屋の水ようかん。 けんかの罰として夕飯を抜かれた俺に謙也が付き合ってくれたのだと思う。

ふと目が合って、気まずさのあまりぎこちなく笑うしかできない俺に、ならはじめからすんなや、とさっぱりした顔で笑い返す謙也の髪は少し乱れたまま、背後から注ぐ夕日で毛先がきらきらしていた。

ひまわりみたいなやつだ。 照りつける太陽をものともせず、澄みきった空をいつだってまっすぐに見上げている、そのものが光みたいな花。 そんなふうに、たしかこの時はじめて思った。

――とすれば、いつからだろう。

俺の心があれに寄り添おうとするようになったのは。
あのころよりも、もう少し深くてややこしいところで、結局はその花に焦がれつづけていた。

「くーちゃん、謙也くん」

たったいま思い浮かべていた相手の名前が唐突に耳に届いて我に返った。 いつもならば、猫をかぶりかぶり率先して出迎えにでる妹が困ったように来訪を告げたのは夕暮れ時。

俺は、そろって帰宅の遅い両親の代わりに夕食当番として立っていたキッチンでそれを聞いた。 門扉のインターホンで確認したものらしい。 通したで、と言ったきり目を伏せると、玄関にはくーちゃんが迎えに出てあげたほうがええと思う、といいにくそうに続いた。

「は? どういうことや」

眉をひそめて聞き返した台詞に返る言葉はなく、うちはなんも見てへんから大丈夫っていうてよ、と見え透いた嘘だけを重ねると、夢中で観ていたDVDを止めもせずに部屋に籠ってしまった。

胸騒ぎがする。 そもそも、間違いでなければ そいつはよその夕食時間を邪魔するようなまねを一番嫌がるやつだ。 分かっていてなおそんなことに構っていられないのか、それとも意識すらできないくらい切迫しているのか、どちらにせよいい予感などするはずがない。

アプローチを通った謙也が玄関ポーチに立つタイミングを読んで、チャイムを鳴らす前にこちらから扉を開けてやる。 ほとんど同じ高さに泣きはらした、赤い目。 中途半端に持ち上げられた腕はすでにボタンに触れていた。 ピンポーン。 固まる二人の頭上で 間の抜けた音がする。

「け、んや……おまえ、」

なにか、適当な言葉はもっとなかったろうか。 こぼれ落ちてしまいそうに大きな目を潤ませて、はじめて自分を頼ってきた親友にかけるために、もっとふさわしい言葉は。

薄い氷の上を渡るような沈黙が二人を包みきるまえに、ばっ、とか ぶっ、とかいう声をあげて謙也が我にかえった。

「あはは、すまんな白石! 邪魔するつもりはなかってん、ほな」
またな。
言葉の軽さとは裏腹に 右半身すべてを使って本気で扉を閉めようとするのを左半身をめいいっぱい扉に押し付けて阻止しながら叫ぶ。 柄にもなく必死だった。 いま、俺の家の扉はまるで謙也の心そのもののようにすら思えたせいだ。 まさかこんな失態で失うなんてどうかしている。
とてもじゃないけれど、耐えられそうになかった。

「ちゃう……謙っ、そういう意味やない」

少し優勢になった隙に、Tシャツから伸びる腕を引く。 そのまま、ずるずると力の抜けていく手首の、相変わらずの高い体温になぜだかほっとした。

「ほら、あがり。 どっかで、雨降っとったんやな」

パーカーの袖口で真っ赤な頬を少し強めに拭ってやって、扉と身体の間に閉じ込めるようにうちの中へ招き入れた。
すべてに従順な様子は謙也の安堵を素直に物語っていた。

ドアノブから離した手をそのまま薄い背に回す。 何度か添えた手のひらをゆっくりと上下させると、やがてむずかるような声をあげて、1センチだけ小さな相手はこらえていたものを吐き出すようにしがみついてきた。

肩越しの金髪は、しゃくりあげるたびに小さく揺れて、俺は、ずいぶんと長いことそれを眺めていた。

「……あー、俺のひまわりをこんなにしよって」
「…………、しらいし?」
「なんも。 さ、謙也は飯にする? 風呂にする? それとも、お」
「めし!」

身体を張った甲斐あって、かどうかは知らないけれど、即答とともにこぼれた笑顔は相変わらず眩しかった。 気遣って無理矢理つくったものだと分かっていても、俺にできることなどごくわずかだ。 ほほ笑み返した眼差しを、謙也に見えないようにゆっくりと伏せた。

理由なんて、言葉にされるまでもなかった。 泣いたひまわり。 おまえに預けた俺の心も 隣で一緒に泣いていた。

知らないとは、思うけれど。



未 必 の 恋



100816(初出 090831)

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