ずびっ、

ちっとも可愛いげのない音がして、自称浪速のスピードスターは見方によってはたいそう男らしいべそかき顔をさらした。 言うならべちょんべちょん。
ドン引きである。

本来なら文化部の活動日の今日、肝心の顧問がZeppに来るなんとかというイギリスのオッサンバンドのライブに行くからと中止になった。 置きっぱなしにしていたCDを取りに部室(と正式に呼んでいいのかは不明)に行けば、がらんとした音楽準備室のドラムセットの足元で、膝を抱えて小さくなっている謙也を見つけてしまった。

見上げるつり目ぎみの瞳は決壊寸前。 そんな、捨て猫のような目と目が合ってさえ、見なかった振りをしてなんとか帰れないかと思ったのだ。

だって、謙也にこんな顔をさせられる相手なんていうのは、四天宝寺中探し回ってもたった一人しかいない。 そしてそいつは、端から見て呆れるほど謙也にとって特別なポジションに置かれていることにたったひとり気づくことなく、うんざりするほどつまらない理由でたやすく仲違いをしてみせる。

「ああ、あった。 これで鼻かみ」
「ユージ……、ありがと」

小春が泣いたときや、小春の鼻炎が発症したとき、それから小春のあぶらとり紙が切れたとき、もしくは小春の裏拳ツッコミが運悪く顔面にヒットしたときの自分のために、日ごろからズボンに忍ばせてある鼻セレブを仕方なく差し出すと、謙也はコントみたいな音を立てて鼻をかんだ。 長くはないけれど密に並んだ睫毛の先には、小さな水滴がまつわって、しきりにまばたきを繰り返す顔をいつもより幼く見せている。

放っておけるわけがない。
観念して、謙也の横のハイハットをどかし、隣にあぐらをかいた。
てらいもなく素直な表情を見せることは、謙也にとって甘えることと同義だ。 それが許されているから特別になれるし、ケンカもする。

「泣かしたんスか」
「なわけないやろアホ」

標準装備品の携帯片手に現れたのは、所属部活がまるかぶりの後輩。 今日はその肩に、テニスバッグではなく、ノート一冊入っていそうもない薄っぺらのトートバッグがかかっている。 吹奏楽と軽音の打楽器が混ざった狭い室内を泳ぐように歩み寄り、無表情のままフロアタムの位置を変えると、俺と同じように謙也の横にしゃがみこんだ。
骨っぽい右手が黙って掲げられる。

カシャッ、ウィーン

「ちょ、黙って撮るなや」
「……じゃあ、密会現場一枚いただき」
「断ってもだめ! 密会やないし!」
「ちゅーか俺も写っとんのかい」
「ブログにアップすんのと小春先輩に転送するの、どっちがええです?」
「「どっちもあかんわ!」」

チッ、と舌打ちが聞こえる。 可愛くない。 財前が小春のように可憐だったら、それはそれで困るけれど。 横目で睨む俺をよそに、謙也が隣で吹き出した。 泣いたカラスがなんとかだ。

おまえ何しに来たん、とうんざり尋ねれば、小春先輩が、とトートバッグから出てきたポカリとコーラのペットボトルが差し出される。 そのあと、自分用とおぼしき甘そうなカフェオレのボトルも出てきた。 相変わらずぺちゃんこのバッグには誰もノータッチ。 ツッコミはあいにくお留守のようだ。

「小春が?」
「はい、部室で会って……、謙也さんは塩分と水分の補給だそうです。 あと、一氏は鼻からコーラでも飲んどけ、いわ「あっ、やきもちや! そうやな!」

心底面倒そうな眼差しでスルーされても俺はめげたりしない。 コーラもきちんと口から飲みます、身体張って笑わせる必要はないみたいなので、と小春に念を送ってキャツプを開けた。
めっちゃ振られとった。

音楽室と準備室だけは古い木造の床板で、背の高い窓から差し込む夕日が三人の足元まで迫っていた。 特別、話が弾むかといえばそうでもないのに、居心地がいいような気がするのが不思議だ。
ぼんやりとオレンジ色の移り変わりを眺める俺の横で、謙也はポカリとにらめっこ、その横で財前の指が携帯のテンキーの上を高速移動している。

「なあ、もう頭も冷えたやろ? 今日のところはおまえが折れてやれや」
「……」
「そうですよ。 部長なんかわざわざ部室まで来てめそめそするし、勘弁してほしいっすわ」
「……そうなん?」
「あ、気になる感じですかwww」
「こら、芝生をはやすな」
「おまえら、何の話しとんのかさっぱりわからん……」

あーとも、うーともつかない、くぐもった声をあげて謙也の手が目元をこする。 ぐする幼稚園児そのままだ。 ふりだしに戻るやな、と頭を抱えたくなった。

けれど。

「謙也!」
「あ、なん、しらいし……」

立て付けの悪い引き戸を蹴破る勢いで乗り込んで来たのは、スピードスターのツレ。 ほう、と横目で後輩を見やれば小さく肩を竦める仕草で応えられる。

長引くと面倒そうなんで。
ふうん、やるやん。

謙也を挟んで、眼差しだけで会話する俺たちは、ずんずんと打楽器の波をかき分けてきた白石の前ですっかり空気と化していた。

「また泣かしてもうたな、……おいで」
「……うん」

ドラムセットに埋もれている謙也に向けて、白石の腕が伸ばされる。 普段は端然として隙のないイケメンが、心なし眉を下げ、困ったように笑って。 許しているのか、許されようとしているのか、そとからは判断つきかねる表情だ。

絶賛ケンカ中のはずの謙也は、まるで待っていたみたいに迷いなくその手をとると、引き上げられる力に逆らうことなく俺と財前の間から抜け出した。
迷子と母親の再会のようだ。

「財前、さっきはありがとう。 ユウジも、今度礼さしてや」
「あー…、その、すまん」

根回しに気づいたというよりは、無意識にもためらうことなく白石の手を取ったことに対するばつの悪さを詫びるように、謙也が頭を下げる。 手を繋いだままその様子を眺める白石の笑顔は、心からの安堵を浮かべて素直にきれいだった。

べつにもともと口に出して言ったわけではないけれど、おれは前言を撤回した。 白石のああいう顔を見かけるのは、いつだって謙也の隣だけだ。 たった一人、謙也だけがそれに気づくことなく(当然だ、自分に向けられているのがすべて特別なのだとはさすがに思わない)うんざりするほどつまらない理由でたやすく仲違いをしてみせる。 どっちもどっち。 おあいこだ。

そして残念ながら、毎度こうなると分かっていて、放っておけない俺たちも。



似 た り 寄 っ た り



「いっそくっついてまえばええのに」
「え、本気で言ってるんスか」
「なんや財前、まさか男同士がどうとかつまらんこというつもりやないよな」
「違います。 つか、」
「……なんよ」
「…………いえ」



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