惚れたら、きっと負けだ。
いつか、東京の従兄弟が電話越しに呟いた言葉だ。

どうでもいいから優しいのだということを上手く隠して周囲に溶け込みながら、結局は、透けるほど薄いのに呆れるほど頑丈な殻でいつだって最終最後は自分を守ることを選ぶような人間が、不本意な色を隠しもせずにそんなことをいうものだから、謙也は、それはどう聞いたって手遅れの敗北宣言だ、と笑って相手を絶句させてやったのだ。
あれはなかなかいい気分だった――なんて、今となってはどうしてそんな人間がそんな台詞を口にするに至ったのか、ほんのわずかも想像できなかった幼さに往復ビンタでもかましたい気分だった。
案外潔く敗北を認めたらしい従兄弟の顛末を知った今、謝るつもりなどさらさらないけれど。

「 謙也 」

移動教室の帰り、先を行くクラスメイト達のざわめきが残る 古びた階段で、不意に足を止めた白石に名前を呼ばれた。
段差のためにいつもより角度をつけて見上げることになった謙也が、何か言葉を発する前に口を塞がれた。 遮蔽物は白石のくちびるだった。

鼻腔に抜ける柑橘系の淡い匂いは、前の生物の授業中に同じグループの女子にわけてもらった飴のものだろう。
ということは、同じ絵柄の包みを選んだ謙也も この甘い香りのする舌を差し出しているということになる。

そこまで考えて、ちょっとめまいがした。

くちびるにくちびるで触れ、舌を舌でなぞって、白石が口にしたものを推測できてしまうような、そういう行為を人知れず許し合うようになってしばらく経つ。
恋愛感情が伴っているかと問われれば、それはすこし返答に迷うレベルで、それでもいいと言われてなすがまま、されるがままだ。
明確な形にあてはめてしまうにはもったいない、それくらいには特別な白石が与えてくれた猶予は無限に思えた。

実際は謙也も白石も中学生で、互いが思っているよりだいぶ短気だった。 けれども、だからといってまさか昼間の校内で(夕方ならいいというわけでもない)行動を起こされるのははじめてのことで、白石にこんな、感情に任せて動くような一面があったのだということにいまさら驚かされた。
いつかの往復ビンタをいまになって受けているようだ。 なぜ、いま、ここで。

情けなく取り乱して、しどろもどろになりながらなんとか口にした問いに、涼しげな目元をやわらかく細めた白石は、こともなげに答えたのだった。

なんとなく、と。

「せやけど今したかってん。 な、けんや 、もっかい」

すこし舌足らずに名前を呼ばれて、唖然としている謙也の 手すりにかけた手に、白石の手が重なる。
骨をなぞるように触れたかと思えば指と指の間に滑り込んで、結びつけるように絡ませる。

子どもっぽい仕草に思わず笑みを漏らしてしまえばもうだめだった。 薄い茶の虹彩は瞬くごとにとろけるような光を浮かべて謙也を映している。
白石にそんな顔をされたら、たいていの人間は できることなら叶えてやりたいと思うに違いない。

表面で判断されるのをひどく嫌がるくせに、たまの意図的な振る舞いはその価値を寸分たがわず把握しているのだから憎たらしい。 すぐ下の弟が時折見せる、許容を確信したわがままに似ていると思う。
思っても、母親が代わって甘やかすように、謙也以外の誰かが白石の望みを叶える可能性なんて、想像するのも嫌なのだ。
それが答えで、それがすべてだった。
眼を伏せて思案する、ふりをした一瞬、今は遠い従兄弟のいつかの言葉を思い出した。

「白石……、も、すんならはよ、う」

済ませえ、と続けようとした言葉は途中で二度目に阻まれて、なんだか待ちきれずに急かしたような、恥ずかしい台詞に響いた。
あとは無断のうちに三度目も四度目も、五度目までもやすやすと奪われて、ぼんやりしはじめた頭上で六限の予鈴を聞く。

包帯からのぞく乾いた指で謙也のくちびるを拭いながら、しまいやな、と告げる相手の赤みのさした目元をみとめた途端、その手を離すのがとても惜しいような気がしてしまうのだから、なるほど、惚れたらきっと負けだ。



も う 笑 え な い



100816 (初出 090919)

×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -