※ 続きものっぽく終わっておりますが続きません



家庭の事情を理由に、謙也が学校を休んで三日になる。
あいつのまわりにできる、明るいの度がすぎて騒々しい人だかりのない 心なし静かな教室で、取りだした携帯にメールの返信はやはりなかった。 電話は長い長いコールの果てに 呼び出したが応答がないようだ、という無機質なアナウンスが持ち主に代わって答えるばかり。 担任にもくわしい理由が伝えられていないと知って、かえって子どもである引け目を感じているうちに一日、また一日と音信不通の時間は長くなっていた。 週末をはさんで早くも五日、周囲のだれも謙也と連絡がとれない。 メール魔、かつ電話魔のあいつにはありえない事態だ。

そして本日。 限界がきた。
俺と、連日プリントを山ほどつっこまれた廊下側の空の机に。 分からないことを分からないままにできないことを短気というのであれば、そう呼ばれても俺は強く否定はしない。 雪崩を起こしたA4のざらついた紙の角を揃えてファイルに挟む。 自主練を休む伝言を頼んで学校をでた。
自転車や徒歩の距離だった中学と違って、高校は俺も謙也も電車で通っている。 車窓を流れていく景色がずいぶんと寒々しいことにいまさら気づいて、カレンダーを頭のなかに描きながら爪先と目を合わせた。 ここしばらくは年末に出たゲームの冬休みをまたいでの進捗の話しかしてなかった。 とりあえず買ってはみたもののあんまり興味がわかなくて放置していたところ、いつのまにか友香里が相当やりこんでいた話をして謙也に呆れ笑われてから、たぶん一週間も経ってないはずだけれど、すっかり遠い昔のことのようだ。
両開きの扉にもたれて、気まぐれな気質のにじむ目もとがこちらを向いてふと細められる。 二人のときにそういう表情をされると嬉しくて、あつかいの難しい生き物を手なずけたような喜びがあった。 もっとそうして笑ってほしくて、キャラにないようなことをいうとたいてい次の瞬間には渋い顔をされるわけだけれど。
だれにでもなににでも、こういうこだわりをもつわけではなく、俺はいつだって、手もとにないことに苛立ちを感じるようになってはじめて執着を知るのだ。 中学のときから一つ残らず同じクラスで同じ部活を続けてきて、となりにあることがあたりまえになっていた。 それだけならほかにも近い人間はいたのだけれど、謙也がとりわけ特別だったのは呼吸の自然さで俺の意を汲み感情の共有ができる人間だったことだ、と思う。 思い出したらなんだか無性に顔が見たいような気がして困った。
駅からは自転車で家を通りこして道頓堀のほど近く、高い塀で囲われたザ・豪邸に自分の一生を揺るがすあれやこれが待ち構えているだなんて、もちろんこのときはまだ知る由もない。

知る由もない。 けれどなにか重大なことになっているのは分かった。 謙也の家へとつづく角を曲がったとたん、名だたる高級車が門からずらりと横付けされている。 路上駐車の取り締まりでもされたらどうするんだろうってハラハラするレベル。
それを横目に、邪魔にならないところに自転車を停めて、今日はぴたりと閉じられている格子の引き戸からなかをうかがう。 あいかわらず、人の気配があるのかないのか、わかりづらい大きな家だ。 季節によって色の違う花が迎える玄関までの植え込みも、冬のくすんだ緑ばかりで景色をいっそう寂しげに見せた。
深呼吸をひとつ。 呼び鈴のボタンに指をかける。 ピンポーン。 鳴っているか分からないから心のなかで。

「白石か?」

背後から、謙也よりも低い声がいぶかしげに俺を呼んだ。 聞き覚えはある。 でもそれを耳にしたのは大阪ではなかった。 思いながら振り返ったところにはやっぱり思い浮かべた通りの人が立っている。

「……いとこくん、やんな」

謙也とは対照的な、夜より深い黒髪に切れ長の眼。 記憶と異なっているのは、薄いレンズで隔たれることであいまいにしか察することのできなかった感情の機微が、今日は苛立ちという一方向のベクトルでつよく滲みでていることだろうか。 白いブレザーがあの学校の冬の装いなのだろうか。 この寒さで防寒着もまとわず、手ぶらの出で立ちを不自然だと感じる間もなく、足早に近づいてきた謙也の従兄弟は、俺の正面に立つと低い声をいっそう低めて 呼ばれたんか、といった。

「は?」
「……なわけないか。 すまん、聞かんかったことにして」
「へ?」

頬にかかる髪をぞんざいに払い、少しも眼差しはゆるまないのにくちびるの端をほんのわずかに持ちあげてみせる。 面差しはよく似ているけれど、開けっぴろげな謙也にはまずできない表情だ。 言葉も意味深で、まともに反応できないうちに格子戸の向こうで玄関が開いた。

「……白石か? って、侑士もおるん?」
「あほ、はよ開けんかい」
「あほは自分や。 そんな格好で来よって」

オレンジ色のつっかけでぱたぱたと敷石を渡ってきた謙也が門を開けると、従兄弟くんは勝手知ったるていで家のなかへと向かっていく。 なんやねん。 謙也にも分からないらしい。 招かれて、逡巡した一瞬を見逃すことなく「みんなひととこに集まってるから遠慮はいらんで」 と、言葉で俺の背を押した。

「謙也」
「あ、メールとか電話とかほんま悪かったな。 なんて説明したらええか迷っとるうちに延び延びになってもて……ごめん」
「いや、体調悪いのと違ってよかった」
「病気とかはぜんぜん! 学校、また明日から行くし」

謙也が笑うと、冬の灰色の空気を跳ね返してそのまわりが明るくなるようだった。 ああ、この顔を見れてよかった。 五日分のわだかまりが一瞬で消しとんで、つられて笑ってしまった。

「そらよかった。 ほなテニスは俺が相手になるわ」
「あー…、っとそれがなあ」
「ん?」

従兄弟くんが開け放したままだった玄関をくぐりながら、謙也は口にしづらそうに言葉を濁した。 訊き返した俺とかちあった視線をわずかに外して、困ったようにうつむいてしまう。 いったいなにが起きているというのだろう。 三和土に並べられたたくさんの靴を睨めつけて、もう一度口を開こうとした。
このときはただ、わけの分からない事態に巻き込まれた親友とも呼べる友人の、困惑を分かち合うことを許されないことが腹立たしかった。 あとになって思えばなんとも身勝手な怒りだ。 渦中のど真ん中にいた謙也にそれをぶつけることをせずにすんでほんとうによかった。 苛立ちを含んだ言葉は一音も外界にこぼれることなく、それを上回る従兄弟くんの大きな声に掻き消されたのだった。

「ったい認めへん!」
「こら侑士……!」
「おれが嫁にもらう。 責任なんかなんもない謙也に、引きこもりの無職あてがうなんて揃いも揃ってどういう了見しとるんや……! おれが婿でもなんでもなればええやろ、おれのが間違いなく甲斐性あるわ」
「侑士くん声抑えて……、まだなんも話は決まってへんのよ。 謙也くんを不安にさせたらあかんでしょう」
「侑士、とりあえずなかへ」
「は、ちょ……」

戸を閉められたのだと思う。 従兄弟くんはまだなにかいっているようだけれど、内容はもう分からなかった。 分かってもきっと理解しがたい言葉だっただろう。 嫁にもらうってなんだ。 引きこもりの無職の夫の座を謙也と従兄弟くんが取り合っているとか、まさか。 従兄弟くんだってまだ18歳にはなっていないし、あてがうという言い方がおかしい。 謙也の両親とも違う大人の声は、それがすべて謙也に繋がる話なのだといっていたはずだ。 混乱していた。 なにか世界が揺らいでしまうような不安でいっぱいで。

「変なこと聞かせてもうてごめんな」
「いや。 でもこれ、どうなってんの、て訊いてええんかな」

問いかける声は、戸惑いを隠しきれずに情けなく響いた。 謙也は予想していたよりかんたんに頷いて、ただし と続けた。

「たぶん想像してるよりだいぶ突拍子もない事態やと思う。 せやけど、おれはほんとうのことしかいわへんから、信じてほしい」
「……わかった」
「ありがとう、白石」

もしかして、ずっとだれかに聞いてほしかったのかなと思う。 ほっとしたように浮かべられた笑顔は見ているこちらがさびしくなるほど頼りないものだった。

「あんな、翔太の彼女に子どもができてん」
「ええっ」

外観の洒落た和風の佇まいと打って変わった、広い洋風のダイニングに通される。 そして、ほかほかと湯気をあげる湯のみを俺の前に置きながら謙也が切りだしてきたのがそれ。 構えていたのとはぜんぜん違うところから死角を狙われたような衝撃。
翔太くんといったら俺らの二つ下になる謙也の弟のことだ。 見た目からして謙也とは正反対の優等生然とした印象を受けた。 謙也も高校に上がってからはほんのり落ち着いた髪色になったけれど、中学時代の外見しか知らない人間からはそのままの中身を想像されていて、意外なギャップに驚かれることもまだ多い。

「あ、でもそれ自体はべつにええねん。 最初は将来のことも考えて、うちの親も止めはしたんやけど相手の子がなんやめっちゃ真剣に考えてくれてて、生むって決めたらしい。 翔太が18になったら籍入れるってことになって、うちは全力でバックアップするって話で向こうの家族とも落ち着いた」
「そらまた……、大変やろうけど、まあおまえん家ならある意味頼もしいな」

せやろ? それが冬休み明けてすぐの話。 といって謙也はあっけらかんと笑う。 手始めに、忍足家の親戚がしてる産婦人科をかかりつけにしてもらったらしい。 さすが、身内だけで医学部のカタログができるとか嫌味もなくのたまうだけはある。 相手のこともあるしそのときは詳しいことをほとんど聞かされていなかったのだ、といってすぐ俺に話さなかったことを詫びようとする謙也に首を振った。 たぶん、知ってもなにもできなかったはずだ。 歯がゆいけれど、頭のどこかにいる冷めた俺が一番リアルな可能性を突きつけてくる。

「ほんで先週のあたまに定期健診があってな。 もう四ヶ月近いと超音波で子どもの性別とかも分かるらしい」
「へえ、科学の進歩やなあ」
「うんうん、目覚ましい進歩や」

上から目線でひとしきり笑って、何気なく「で、どっちやったん?」と尋ねた。 他意なんてない。 一難を乗り越えた謙也の家族にもたらされた、それは幸せな知らせのように聞こえたからだ。 恋が実ったクラスメイトを、どんなふうに告白したんだとからかうような、お約束にも似た気持ちだった。 そうしてそれに謙也が答える。 静かに、それがなあ、と笑みをのせた声のままで。

「なんと男や」
「へえ、そらおめでとう。 翔太くんに似たらええな」

男兄弟をもたない俺にも懐いてくれて、兄貴風を吹かせることをこころよく許容してくれていたあの大人びた子どもがもう父親になるのか。 妙に感慨深い。 湯のみに口をつけると、飲みやすいくらいにぬるまっていた。 お茶に隠れたテーブルの向かいで、謙也が素直にありがとう、と答えるのが聞こえた。 だから、見えないところで次の言葉を一瞬言いよどんだあいつのためらいを見逃してしまったのだ。 だから。

「そんでな、おれはお婿をとることになってん」

だから俺は、その突拍子もないせりふを聞いたとたんに、まるでだめなコントのオチみたいにお茶を吹いた。


140101


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