※ 高校生くらい


謙也の部屋が好きだった。
南向きの大きな出窓からあふれる透き通った春の陽射しは金色にかがやいて、まるで部屋のあるじの髪のようにまばゆい。 細く開かれた窓を、この広い家で一番に新しい季節がもたらされる場所なのだと信仰じみた確信をもっていた。 いま、このときですらも。 道すがら かき合わせてきたコートの襟もとからマフラーを引きぬいて、そして嘘みたいに現実味のない光で部屋じゅうを満たした静かな春に、思わず跪いてしまいたかった。

実際に跪いたのはそこから四歩めのところ、柱や床と同じ落ち着いた色味の、細やかな木目をもつベッドのかたわらだった。 焼きたてのスポンジ色のふとんのかたまりは大きなオムレツに似ていると思った。 乾いた音をたててラグに沈むコンビニのビニール袋、それからマットレスに肘をつく俺を順に追った薄い茶色の瞳と視線が合った。 発熱して潤んだ眼差しはひどく頼りなげで、けれどそのどこにも、事前のうかがいなしに来たことをとがめる様子のないことにほっとしながら口を開いた。

「具合どう?」
「……朝よりはだいぶまし。 昼に薬も飲んだし」

水色の冷却シートが貼りついた額に手を伸ばす。 ぬるくなった長方形のシートにかかる前髪をくしけずって、しっとりと熱をはらんだ頬に指の甲をすべらせると、猫のような目が心地よさげにゆるりと細められた。
そと、つめたいんや。 語尾がすこし上向きになったせりふとともに、ふとんの下から蒸したての中華まんみたいな手が俺の手の上に重ねられた。 ちょっとさむかった、と答えかけた視界に、ほんのり朱を刷いた指先がうつりこむ。 節だった長い指。 その先の赤らんだ丸い爪を数えて、もうさむないよ、と笑った。 謙也のそばはあたたかい。 太陽にひいきされているのに違いないなんて、おかしなことを思いついてしまうくらい。

「見舞いっちゅーほどたいしたもんちゃうけど。 ポカリ飲む?」
「ああ、ありがと。 のむ」

オムレツの卵みたいな上掛けをずらして謙也が起きあがる。 襟ぐりのゆるい黒のカットソーから桃色の鎖骨がこんにちは! しているのにぐっとくるのを耐え、500ml のペットボトルにストローを挿して渡した。

「あとアイスとか缶詰? いろいろ聞いてもってきてんけど、万里子さんに渡しとったからあとで食って」
「あー……せっかく集まってくれるいうてたのに。 ほんま悪いことしたなあ」
「こればっかりはしゃあないわ、はよ治し」

うう、と唸り声をあげながらポカリをすすって、人心地着いたような吐息をこぼす謙也をふたたびオムレツの具にする。
十数時間前に誕生日を迎えたこいつを祝うため、数年ぶりにテニス部のメンバーで集まって遊ぶ予定が朝から、そして夕方には同じクラスの人間たちで企画したサプライズドッキリ(祝うことより驚かせる方に重きが置かれていたから、この表現でほぼ間違いない)に仕掛ける方で一枚噛んでいたのだが、早朝に届いた主役の「ねつでた」メールですべて白紙になった。 
「おまえは遠足の日の小学生か」という満場一致のツッコミを我慢できずに、謙也からの同報メールを全員に見えるように返信したユウジは、直後に小春からきたメールになだめられ、健二郎のとりなしですぐに次の日程が決まった。 クラスのやつらはもともと本人には秘密だったから、週明けの風当たりは若干厳しいだろうがすぐにいつも通りに戻るはずだ。

「白石も、おーきに」
「俺? 俺なんもしてへん」

渋い色の毛布の上にふとんを重ねて、肩まで引きあげながら思ったままを正直に伝える。 赤く染まった耳のふちに手のひらを添わせて、くすぐったげに身を捩る謙也にうまく笑いかけられた気がしなかった。 自分のためだ。 電話ではなにもかもがとうてい足りなくて、負担をかけるのを承知で会いにきたのも、未練がましく触れずにいられないことも。

「……、なんとなく、今日は会えんのやろなって思ってたから。 来てくれてうれしかった」
「謙也」
「あ、でもうつしたらいややからぼちぼち帰りや」

おそろしいほどの素直さのあとに照れ隠しのようにまくしたてる言葉を、どこまでまともに聞けたか知れない。 謙也の強がりは、冬を越し芽ぶいた植物の心もとないやわらかな甘いとげだ。 触れても決して痛くない。 肘をついていた腕をくずして、間髪いれずに謙也のくるまったふとんの中腹につっぷした。 おふ、という うめきを振動で聞いた。
しばしの沈黙。
言葉はなく、ゆっくりと頭を撫でられた。 息を吸うと、肌ざわりのいい寝具は日なたの匂いがする。 それが謙也の呼吸に合わせて上下するから、手の感触とあいまってだんだん眠くなってきた。 まるで子どもだ。

すこし低いところから見あげた出窓。 まるで雲間からそそぐ白い光のなかにいるようだった。 窓の外に向けて張りだしたカウンターには、謙也がこれまで集めてきた消しゴムたちが小さなレゴブロックでできた世界に仲良く暮らしているのが見える。 食玩のおまけについてきた恐竜も草食動物もアニメのキャラクターも、とても消しゴムと原料を同じくしているとは思えない精巧な新幹線も空母も戦闘機も、この部屋を訪うたびにすこしずつ位置を変えながら、小さな世界の創造主の願いを写したようにおだやかに共存していた。 もう一つの窓辺では、チョロQからプラモデルまで大小さまざまの自動車の模型がすこしずつ増えては整然と並べられていることにほんとうは気づいている。 
学習机をはさんでわりと本格的な天体望遠鏡と黒い樹脂と骨組みでできた電子ドラムセット、インテリアのようなオーディオ機器と螺旋を描いて床から伸びるカラフルなCDラックが一角に密集している。 階段のように積み上げた正方形のカラーボックスにはジャンプのコミックスが意外と几帳面に並んでいて、テニスラケットは二段めのボックスの扉に立てかけるのが定位置のようだった。 見えない背後のクローゼットと、帽子とベルトだけ仕舞われている姿見付きの棚、愛しのスピーディーちゃん用の小部屋に通じる引き戸まで思い描いて、謙也の部屋の一周は終わる。

「謙也の部屋、居心地よくて好きや」
「……そう?」

髪をなぜる手はしばらく前から止まっていたから、もし返事がなければ、だだをこねる子どものかたくなさで「だから帰りたくない」くらいいっていたかもしれない。 頭の上から滑り落ちてきた謙也の手をとる。 顔をあげてそちらを向けば、ぼんやりと眠たそうな、けれどどこか喜色をにじませた表情に出会った。

「おかんには……、ものが多すぎておちつかん、ていわれるけど」
「まあ、俺の部屋と比べても、だいぶ物は多いかもしらんけどな。 せやけど、この部屋にあるもんは、ひとつ残らず謙也にだいじにされてんのが見ててわかるやろ。 謙也の好きなものにあふれて、謙也そのものみたいに思えるから俺も居心地ええんかもしれん」
「……」

絶句しているのか、もうほとんど眠りのなかにいるのか。 ぬくい手を素直に睡魔に明け渡してしまうのがなんとなく惜しく思えて、ささやくように あかん? と尋ねると、ずいぶんと長い間のあとに、あかんくないよ、と信じられないほどやわらかないらえがある。 もともといつもより血色のいい頬をりんごのように染めて、ほとんど下りた目蓋は笑みの形を描きだした。

「ほな、おまえがおったら、おれのすきなもんは、ぜーんぶ、この部屋に、あるっちゅー…はなしゃ………せや、ろ……?」

きゅっと指先に力が込められる。
謙也の部屋が好きだった。 謙也の好きなものにあふれて、ひとつ残らずだいじにされて、謙也が好きな俺は、謙也の部屋が好きだった。



春 の 微 熱 


120317


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