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くちびるを合わせるとき、鼻がぶつからぬよう 白石がほんのわずかに首をかしげるタイミングで、おれは目をつむるようにしている。
受け身のキスにすっかり慣らされていることを 不思議といやだとは思わなかった。 けれど、他人と体温をわかちあうことにためらいのない白石のしぐさに、その腕を通りすぎていったはずの彼女たちが思考をよぎる日がたまにあって、こればかりは、もうどうしようもないと割り切ろうとしても、やっぱりすこしだけ、おれの胸を苦しくさせた。

「ーー全員、お疲れさんでした」

女子用の冬の制服に、フリルのついたエプロン。 エクステのポニーテールにシュシュまでつけた財前が、似たり寄ったりの格好をしたテニス部員たちを集めて文化祭の労をねぎらっている。 あいかわらずの無表情、びっくりするくらいの棒読み。 笑えばかわいく見えないこともない顔には、おまえら なによりまず おれをいたわれよ、って太字で書いてあった。

ぶふっ。 となりの白石が笑いをこらえるのに失敗して、鼻からでたへんな音が部室に響いた。 すぐまえに座っていた金ちゃんと、その横の一年が振り向いて不思議そうな顔をしている。 軽く咳ばらいをした白石が、ドレスの下で長い脚を組みかえながら肘でおれをつついた。

「謙也、うるさいで」
「ハア? あほな声 出したんはおまえやろ!」
「ケンヤ! しー!」
「な、金ちゃんまで……!」
「謙也、そない足あげたらパンツ見えんで」
「……謙也さんも部長も静かにしてください」

目のすわった財前に注意されて揃って口をつぐむ。 ちょっと待て。 おれは悪くない。

「明日の振替休日は1時半から練習をはじめます。夕方 早めに切り上げて、打ち上げはオサムちゃんのおごりで 千代ちゃんのお好み焼きの予定です」

夏じゅうソーメンを食べさせられてきた部員のテンションが、ちょっと上がるのが後ろから見ていてよくわかった。 千代は、学校の近くにある古いけど美味いお好み焼き屋の店と、そこを一人で切り盛りするばあちゃんの名前。 給料日まえのオサムちゃんがよく目撃される場所でもある。
明日以降のモチベーション対策も抜かりなく、淡々と財前が解散を告げた。 二日間におよぶ学校行事で心身とも疲労したのだろう、セーラーのワンピースを着用した男子テニス部員たちは、壁ぎわでパイプ椅子に座ったままのおれと白石に律儀に挨拶をすると、着替えを求めてロッカーや教室へと足早に姿を消していった。

去年の女装喫茶(厳密にいうとメイドのコスプレをした一人の美少年)が学校内外であまりにも好評だったらしく、主にムアンギの個人的要請で、もともと予定していたコント、これも夏に青学とした宴会芸の使いまわしだったらしいけれど、それと二本立てで、今年も女装喫茶をせざるを得なくなったのだという。 頭をかかえていたのは主に財前で、「ほら俺、今年は姫やんか」なんていうせりふとともに優雅にドレスを翻し、企画から離脱した去年のエースのしわ寄せをこうむったおれは、引退を間近にしてまさかの二年連続スカートをはくことになってしまった。

昨年より規模を縮小した関係で、衣装は全員四天宝寺の女子のセーラー服と、給仕担当はふわふわしたフリルのエプロン。 髪型は付け毛でポニーテールか、肩よりすこし短いくらいの長さのウィッグにカチューシャのどちらかで統一されている。 女装メンバーの人選や服装、財前の美意識がすみずみまで反映されたブースのしつらえとも、それはそれは好評だったそうだ。 飲みものを運んだときにも、ネルシャツをジーパンにインした大学生くらいの男に「円熟味が増してますね」と褒められた、のかよくわからないコメントをもらった。
ともあれ、財前が部長を引き継いではじめてのイベントはなかなかの成功をおさめたのだった。 めでたいことだ。
終日スカートでちっとも落ち着かなかったし、襟足で揺れるウイッグが頭を動かすたびに首すじをかすめてずっとこそばゆかった。 はやくいつもの格好に戻りたい。
思って、ロッカーにしまったシャツとズボンに伸ばした手はしかし。

「……ひあっ…、」

白石とおれしかいない部室にへんな声がむなしく響いた。 いま、この喉からでた、あられもない感じの。
最後に戸締まりを確認した財前が 鍵を置いて帰ってからどれくらい時間がすぎただろう。 おれはまだ、制服のワンピースを着ていた。 ウイッグも、フリルのまぬけなエプロンさえ身につけたままだ。 それを、ひらひらした裾からぜんぶたくしあげて、腹から胸へと撫であげる手の気配に思考がままならなくなっている。 長机にもたれるような姿勢で すっかりあらわにされている、ふざけて買ったいちご柄のパンツの弁明をする余裕もない。

「昼間、スカートめくられとったやろ。 知ってた」
「あ、そう」

舞台のない時間、フロアの隅のテーブルを一人で占拠して 働く民草をにこにこ眺めやる白石姫の姿を思いおこす。 とちゅう、うちのクラスのやつらが冷やかしにきて、近くを通るテニス部員のスカートを片っ端からめくりあげていたものだから、目が笑っていない笑顔で姫から出禁を言い渡されていた。
思い出したのか、白石はいまいましげな口調のまま、はじめてのおつかいにでる子どもに小銭を握らせる丁寧さで指先をつつみ、おれに制服の裾を握らせた。
あ、そしてそのいちごパンツは脱がされてしまうのか。 おれのまえにひざまずいたその白石だって、まだドレスなのに。 ディズニープリンセスの魔法がかかっているのに。 白雪姫とおそろいの黄色いフレアがふわりと床に円を描く。 おれがつけられたのと同じ リボンのカチューシャだとか、固められていないやわい髪を見下ろして、でもどうしようもなく期待してしまっている現実を否応なしに突きつけられた。
白石に、されるのだ。 くちで。 薄く化粧されて、いつもより長い曲線のまつ毛がゆっくり伏せられる。 清楚な色を引かれたくちびるがひらいて。 呼吸の仕方も、忘れてしまった。

「んん、っ……」

うつむくと顔の両側を流れていく髪にさえ煽られる。 スカートの裾が、指先の力でしわくちゃになっているのがわかっていたけれど、すがるものがほかになにもなくて、布地噛んで声を殺した。 口をふさぐと、声のかわりに涙がにじんでくる。 白石に触られて敏感になっていた乳首がまた空気にさらされて芯を持ってしまった。
ええ眺め。 白石が笑う。 粘性のつよい水音をはばからず、緩急をつけて上下する包帯をまとった手指の感触。 普段の涼しげな目もとからは想像できない獰猛な光がちらついて、うすいくちびるは笑みをかたどったまま、せりあがるしたの膨らみを甘噛みしているのだ。 めまいがするほどの眺め。 やっと両手で数えられるくらいしかない経験で、しかもキスより先は白石しか知らないおれが、このエロの権化に太刀打ちできるはずもなかった。

「いつもより 早ない?」
「…………知るか」

おれの経験値のすくなさを膝が笑う。 立っていらずに、しゃがみこんださきには膝立ちになっていた白石の腕があった。 背中を支えられて、はじめてのおつかいを成し遂げた子どもにするように頭をなでられた。 そうして気がすんだのか、カチューシャとウイッグを留めるピンが一つずつ外されていく。

「かわいいけど、謙也としてるありがたみが半減するから外すで」
「……? まったくかわいないし、はずすんは願ったり叶ったりやけど、どうせならこっちも脱がして」

噛んでいた部分なんかべとべと、藍色のラインはいっそう色を濃くしてほとんど黒になっている。 そのうえ口に出せないものも若干 付着してしまったセーラー服は、これでいちおう学校からの借り物で、クリーニングの後 きちんと返却することになっている。

「えっ、ええの?」
「これ以上汚したら、近所のクリーニング屋に持って行かれんくなる」
「はは、『忍足さんちのお兄ちゃん、女の子の制服着て一人遊びしたんやわ!』って?」

おれの胸もとのタイを解きながら おばちゃんの声真似をする白石の頭をはたいて、赤いリボンのカチューシャを外す。 きれいな色の髪によく似合っていたから、すこしもったい気もする。 とはいわずにおく。
ふだんはネクタイに隠れる襟のあいだには、頭を通しやすくするための切り込みがあって、内側についたとても小さなホックで留められている。 女子の制服の構造に興味をもって眺めたこともなかったし、今日はじめて着て知ったことだ。 そして意外にも、白石もその小さな留め具に苦戦していた。

「せやけど、俺四天のセーラー脱がすの初めてやもん」

くちびるをとがらせる白石の言葉は、おれが知るかぎりで事実だった。 友だちとして親しくなったころの白石は すでに高校生だったお姉ちゃんの友だちと付き合っていたし、そのあとの短期間の彼女もよその女テニの子だったと思う。 ちなみに制服はブレザーの学校。
この顔だし、ちょっと変わった言動さえ許容できれば文句のつけようのない人間だ。 うちの学校でも告白はあとを絶たなかったけれど、すこし意固地なくらい白石はそれを受けようとしなかった。 おかげで、おれたちは気兼ねなくいっしょにいられたわけだけれど、白石とこういうふうになったいま、もしかして、と思うことがある。 それは、ふつうに女の子の手をとる白石を見ていて、その口からでたおれを好きだという告白を あのときと同じように信じられただろうか、ということ。 彼女を同じ学校に求めなかった理由を、しかもそれを自分に結びつけようとするなんて考えは ひどい自惚れのように思えて、やっぱり今日も とちゅうで思考に蓋をした。

すっかり手慣れたように振る舞われるなかで、おればかりがどうにかなってしまいそうな はずかしさと気持ちよさに翻弄されて、はじめてのときから、とまどいも不安もすべて白石に溶かされた。 だからこそ、きっともう見ることの叶わない白石の表情をおれではない誰かが知っているのかなとか、埒もないことを思ってまぶたがじんわり熱くなってしまう。 泣いたら負けだ。 わかっている。 勝手に嫉妬して 泣いて、白石の優しさにすがるなんていう、そんなみっともないことだけはしたくなかった。

「その顔はあかん」

もどかしげな指が何度も頬をなぞる。 泣かんとって。 困ったようにほほ笑まれて おれも困った。 だって泣いてない。
額を突きあわせて、ほかのだれにも見えない糸をつむぐような小声で 白石はささやいた。 

「そんな顔されるくらい思われてる って俺を図に乗せるだけやで。 おまえのはじめて いろいろもろといて、ずるいって思われてもしゃーないけどな、おまえを、謙也を俺の最後の人にするから」
「……ずるい」
「はは、ですよね」
「でも、それでいい……それが。 せやから、」

どうか、おれだけを。
しなやかな腕が背中にまわって、呼吸も苦しいくらいきつく抱きしめられた。
白石がたいせつにするものが、この先いくつ増えたって構わない。 そう思う一方で、おれ以外のだれにも、なににも、そんな顔を向けないでほしいと、かなしいくらいの切実さで心が叫んでいる。
どうしてこんなに欲の深い人間になってしまったんだろう。 もしも白石にここまで惹かれることがなければ なんて、仮定の時点で切りつけられたように胸が痛むのに。 痛くて、苦しいこともこの想いの代償だというのなら、おれには甘んじて耐えるほかの選択肢がないことをもう知っていた。

「アホ、そんなんとっくや」

そんな言葉ひとつを、ひとかけらの疑いもなく信じられるくらいには、この腕に与えられた幸せのほうが多すぎたせいだ。



セーラー服はやさしく脱がして



白石がはじめて手にかけたセーラー服は 男の恋人がたわむれで着たもので、おれを好きでいるとのたまうかぎり、こいつはほかを知らないまま死んでいくのだ。 大げさだけど。

「かわいそう……」
「ちょっと、ひとの幸せに水ささんといて」


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