「謙也くん、それ虫さされですか?」
なんの他意もない問いかけを向けられたのは、車座になって作戦会議をしていたときだった。

温度計が正気を疑われたその日、保護者から差し入れられたのは山盛りのアイスクリームだった。 コンビニで、とりあえず数を揃えるために陳列棚の端から端までごっそり持ってきました感に溢れる品揃えで、一見して単価にもそうとうな開きがあった。
せっかくだからテニスで決着をつけようということになって、アイスを選ぶ順番をかけて部活の最後に紅白戦をすることになった。 いさかいもなく早々に二手に別れた部員たちを見るに、男子テニス部のおやつへの熱意はテニスへのそれに匹敵するんじゃないかと思う。 健二郎と銀を中心に二、三年のダブルスを割り振り、今年もそう多くない一年はおれが一人で引き受けた。

金ちゃんもいるし、形勢は悪くない。
あらかたの振り分けを終え、試合を待つ。 相手方のオーダーにあたりをつけて攻略法を考える合間、あぐらをかいていた足を組みかえるために一度、両膝を立てた。
おれに 虫さされか と訊いてきたのは、どちらかといえば控えめでおとなしい印象のある一年。 人一倍練習熱心で、金ちゃんやほかの同級生からは好意的なニュアンスで メガネくん、とかそういうふうに呼ばれていて(おれらがメガネと呼び捨てにするのは傍目から見てよくないと白石に止められている)、わりとおれにはなついてくれているほうだと思う。

「んん、どこ」
「あ、あの、太ももの裏側です。 赤くなって腫れてるみたい」

もともと下がりぎみのメガネくんの眉が、上手に書けた習字の八の字みたいになる。 痛くないですか とまでいわれるとにわかに気になって、広げた膝のあいだをのぞきこむように顔を傾けた。 座りこんでいるせいですこし丈が短くなったハーフパンツのちょうど裾のあたり、内側に近い部分がいわれたとおりに赤くなっていた。 言われなければ気づかないくらいのものだけれど、蚊に刺された跡にしては微妙に大きい気がする。

「あ? ほんまやな。 なんやこ、」
「謙也くん?」

息を飲むしかなかった。
知らず、膝のうえでつくった拳を握りしめた。 中指の先でほんのわずかに触れただけなのに、そこだけひときわ過敏な神経が通っているようだった。 それはまるで地下深くを流れる水脈の、一番地上に近い部分に付けられた目印のように、作為的に残されたもの。
瞬間、自分ではない手で触れられた感触が 生々しく思い起こされた。 いまのおれにそんなことができる人間なんて二人といない。


――包帯をまとわない左手がのばされる。 揃えて立てた膝頭を撫でた手のひらが、脛側に伸びる骨の形をたどるようにすべりおりていく。 風呂からあがったばかりだというのに 着こんだ衣服はすっかりはだけて、まとわりつくように汗ばんでいるのがひどく恥ずかしかった。
指先が踝のおうとつをくすぐったかと思えば、するりと両足の隙間に忍びこんで 焦らすようにゆっくりとふくらはぎをなぞりあげられる。 いつの間にかおれの膝は白い手を挟みこんでいて、太ももへと撫でおろされるころには、自分の意思で その美しい手の持ち主のために脚を開いている。

「俺、謙也の脚めっちゃ好き」
「……しらいし」

恍惚としか形容できない甘い声。
膝頭にすべらかな頬を寄せられると、洗いざらしの柔い髪が直接皮膚に触れた。 小さな刺激にも敏感になっている。 ふくらはぎを持ちあげられて、かかとを白石の肩にかけるようにされた。 あんまりな体勢だと思う。 爪先から、ことさら音をたてるように皮膚を吸われて、大きな手のひらにくまなく撫でさすられるのに、どうしようもなく感じてしまう。 くちびるを噛んでいなければ、すぐにもおかしくなってしまいそうだった。

「あんなに速く走れる脚にこんなことしてる」
「……変態か」
「謙也がいうならそうかもな」

髪と同じ淡い色のまつ毛の下で、とろけた瞳が上目づかいに細められる。 嘘だ。 白石を変態だと罵ることができる人間は、このベッドの上には存在しない。 その目に映されるだけで性的興奮を覚える人間だってじゅうぶんすぎるほどに変態だ。 変態ですがなにか。

そうして開き直ったからといってだがしかし、ふつうに生活していたら他人の目や手が触れることのない場所を暴かれるのはどうしたって緊張するし不安だった。 嫌だと拒絶しないのは、ひとえにそれが白石によるものだからだ。 きれいな手をおれで汚すのは、すこし申し訳なくて後ろ暗い喜びがある。

「お、れは、そんなとこ舐めるやつとチューしたない」
「……だめ、もう遅い」
「っふ、ぁ」

太ももの内側、触れられただけで身体が震えた。 白石が喉の奥で笑うのがわかる。
間髪入れずにきつく吸いあげられて、なんだか生まれたばかりの子犬みたいな声がでた。 どこかに埋まってしまいたい。

たとえば、大事な試合でミスをしてどうしてもそれを一人で乗り越えられないようなとき、白石が差し出してくれる手だとか、克服するまで続くラリーだとか、そのあとの的確なアドバイスに、救われたことがある人間は部内にも多い。 そうあるべき、と自分で意識して実践しているようだけれど、一番効果的なタイミングを逃さずにいられるのは、いつも全体を見て個々を気にかけている証拠なのだろう。
べつにこんな場面までそれを発揮してくれなくてもいいと思う。 けれど、恥ずか死にそうなおれを救うのは、いつだっておれをその羞恥のどん底に突き落とす白くてきれいな手だった。
くちびるの動きだけで(かわいい) とのたまった白石に髪を撫でられて、伸びあがってきたしなやかな上半身にぎゅうっと抱きすくめられた。 死にそう。 幸せで。

「嫌がる謙也くんのあんなとこも舐めましたけど、やっぱり口にもチューしたいです……ええ?」
「そ」
「ん?」
「……んなん訊くなや。 へんなとこ舐められるより、おれは、おれの脚しか好きじゃないやつとチューするほうがいやや」
「……謙也、自分がなに言うてるかわかっとる?」
「おまえこそ わかってんの? いま重大な脚フェチ容疑をかけられてん、ん」

途中で口を塞がれた。 角度を変えて繰り返す合間に、謙也の脚より謙也が好きや、と予想外の真剣さでいわれてしまえばもうだめだった。 知っているくせに なんていう恨み言さえ甘い。
ほんとうはなにをされても構わない。 この体温を失ってしまう日を思って すこしの身動きもできなくなるおれは、そうなる前に白石の一部になってしまいたかった。


「っつべた!」
「試合へろへろやったな、はい残念賞」

汗だくの冷たいパッケージを押しつけられて我に返った。 コートの隅のわずかな日陰に身をよせたおれのとなりに、長い脚を投げだして白石が座りこむ。
ソーダ味の青いアイス。 すこし溶けかけだった。 口に含むとシャーベットの冷たさが舌になじんですぐに消えた。 昼間には絶対に見せない表情を思い出していた相手を横目でうかがうことすらはばかられて、抱えた膝に顔を埋めた。 とろけた頭の芯では、冷めたいはずのアイスも ものの役にもならない。

「大丈夫か? 謙也」

名前を呼ぶトーンが柔らかくなる。 すこし迷う気配のあとに、髪を撫でられて胸が苦しくなった。 そんなふうに甘やかされたら 我慢なんてできない。
なるべく素早く白石の指をつかんで 見つからないように身体のあいだにすべりこませると迷いなく指を絡めて握り返された。 もうだめだ。
白石が心配するような意味ではまったく大丈夫だったけれど、まったく予想しないだろう意味でぜんぜん大丈夫じゃなかった。
おれはもう、ただ。

ただ。



きみが欲しい 


110801


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