いつもとなりあっていた親友に、ほんとうなら生まれない感情を向けていることを自覚して、心が壊れてしまいそうな苦しさを抱えたままいくつかの季節を通り過ぎた。 いま思い出しても呆然とするほどたった一人しかいなかった。 鼻の頭を赤くして笑う冬も、くせのある金髪に桜の花びらがついているのを誰にも教えてもらえずに膨れる春も、並んで静かに見送った中学最後の夏も。 謙也だけだった。

あいつのとなりに、あいつより小さな女の子が並ぶのを目にするたびにもうやめようと決意して、すぐにそれも無理だと思い知ることの繰り返し。 そうして終わりを迎えるたびに相手の分まで傷ついたような横顔を見るのもただとなりにいるしかできないのもつらくて、とうとう想いをぶちまけてしまったのが三年になってしばらく経った日のことだった。
はじめて得た親友を失うかもしれないと思ったし、それがどういうことなのかも一通り想像してはみたものの、たぶんこのころには心のどこかが麻痺してしまっていたんだろう。 謙也を想い続けるよりも苦しいことがあるとは思えなかった。

身勝手な恋だったと、いまさらに思う。
すべて見透かされていたのかもしれないし、友達だと思っていた人間からの告白にどれくらい悩んだのかなんて、謙也はきっと教えてくれない。 せっかちなあいつにしては長い長い時間をかけて出された答えは、俺と恋人として向き合うことだった。

心が壊れてしまいそうな想いの果てに、心が潰れてしまいそうな幸福があった。 ふるえる俺の指先に頬をよせて、はにかむように笑って目を伏せた顔を、一生忘れることはないと思った。


――人間てよくばりやなあ。


窓辺でこぼれた声を拾って、少し離れた机で書きものをしていた養護教諭が笑う気配がした。 陽の傾きはじめた保健室、委員会の仕事もほとんど引き継ぎの終わった時期だけれど、定年間近の丸顔の教師が主の部屋はひどく居心地がよくて、後輩たちの邪魔にならないくらいの頻度で顔を出していた。

今日は、こっそり保健室用といっしょに発注してもらっている包帯を受け取るために立ち寄っただけ、ほんとうにすぐ退室するはずだった。 それなのに、間の悪いことに薬品棚のとなりの窓から見えてしまった。

午後の光に溶け出してしまいそうな金色の髪。 背筋の伸びた後ろ姿から表情を推し量ることはできない。 教室の並びからは死角になる大きな木の下、そこは、なんというか、いわゆるひとつの告白スポットだ、と思う。 俺も過去に何度か同じ場所に呼び出されたことがあった。

昼休み、うちのクラスの女子経由で謙也に持ちかけられた呼び出しは、まさに俺の目の前で締結された。 二年がなんの用やろ、と滅多にないことのせいでこの方面にかんしては普段の察しと気遣いが微塵も発揮されない台詞に、わざわざそれたぶん告白ですよと教えてやるのも悔しくて、余裕ぶって送り出した。 その場所を聞き逃したのは完全に俺の落ち度だ。
見たくもない彼氏の告白現場を目にして、見届けずに済むほど寛容にもなれずに立ち尽くしたまま、時が過ぎるのを待つことになった。 なんて不毛な時間。 でも動けない。

謙也の正面に立っているのは、小柄な女子生徒だった。 短い前髪の下から、大きな瞳で食い入るように見上げていた表情が一瞬、泣き出しそうに歪んでうつむく。 謙也の手があたふたと落ち着きなく揺れて、驚いたように顔を上げたその子は一つ間をおいて屈託なく笑った。 短いやり取りのあいだ、少しの不自然さもなく保たれていた笑顔が、謙也の姿が校舎に消えたのを見送ったあと、小さな手のひらの下に隠れてしまうまで見てしまって、俺は窓辺を離れた。

欲のない人間なんておらへんわ。

保健室をあとにする背を、笑みを含んだ声が押した。 徳の高いお坊さんのようなこの人の、若いころの数々の衝撃的な体験を知っているだけに、黙って聞くほかにない。 タイミングも相変わらず絶妙で、ちょっとくらい恋に溺れて知ったような口をきいても、まったく太刀打ちできそうもなかった。

想いが通じたら通じたで悩みは尽きない。
なにせ俺の想い人は、笑顔一つで相手の心を開かせてしまうスーパーな社交性の持ち主で、息をするように分け隔てのない優しさを差し出せるところも、それでいて真正面からの好意にとても弱いところも、猫のような気まぐれすら途方もなく愛しかった。

そんな人を独り占めすることを許されて、でも実際にひとひとりを独り占めするなんてことは困難だ。 まして中学生の俺では、足りないものが多すぎる。 そう頭では理解しているのに、一度でも腕の中にある温もりを知ったあとではとてもじゃないけれど手放せる気がしなかった。 泣かれても、請われても、この身に縛りつけてしまう。 俺がそんなふうに思っていることをきっと謙也は知らなはずだ。告白したときですら向けられなかった嫌悪の表情を示されるくらいなら、どんなことがあっても知られるわけにはいかなかった。

ほとんどの部活で三年生の引退したこの時期、それぞれに図書館だとか塾だとかに勤しんでいるらしく、三階の廊下はがらんとしている。
二組も、残って問題集を解いていたのだという数人と戸口ですれ違ったのを最後に俺ひとりになった。 窓際の自分の席には、謙也と二人分のかばんが無造作に並んでいる。

登下校にはマフラー必須のこの時期だというのに、開きっぱなしの窓が薄寒い。
後ろから順に戸締まりをしながらふと見下ろした渡り廊下を、謙也が競歩並の早歩きで教室棟に向かってくるのが見えた。 ちらりと見上げた目と目が合って、反応が早かったのは向こう。 ぱっと、冬の夕暮れに明かりがともるような笑顔が浮かんで、俺に向かって手を振ろうとした。 のだと思う。

ケンヤやんけ、とあいつを呼びとめるときのお約束ともいえる回文で、ちょうどさっきすれ違ったクラスメイトたちが俺と謙也を遮った。

今日はついてない。 占いに、アンラッキーポイントという項目がもしあったとしたら、おひつじ座のそれは絶対に窓際だ。
中学生にしては長身の部類に入るはずの謙也よりさらに上背のあるやつらで、親しげに肩を組んでは聞く人もいないだろうに顔を寄せあい、耳打ちしあっては閉めた窓ガラス越しにも聞こえるような声でげらげらと笑っている。 ヤンキーの手本のようだ。

そんな、いつもならどうってことない光景にも打ちのめされる。 暗い感情が身体の奥底から湧きあがって、俺はきっとひどい顔をしている。
謙也が見上げてきたような気がしたけれど、思わずカーテンに背中を預けるようにしてそのまっすぐな目から隠れてしまった。
12秒後。

「こら、いまおまえシカトしたやろ」
「ほんまに早いなあ」
「あほか、当たり前や」

息も乱さず現れた謙也は、ちょっと拗ねたような顔をしていた。 手招きすると、見知らぬ人間に大好物を差し出された野良猫みたいに、じりじりと距離を詰めてくる。

たまらず、手を伸ばせば届くところまできた身体を不意打ちで抱きしめた。
すべらかな首筋に額を預けて深く息を吸うと、日なたの匂いがした。 強張りが溶けていくような気がして、泣きたくなる。 もうだめだ。 こいつのほかを、俺は知らなくていい。

「ああしたら、謙也すぐきてくれるかなーと思って。 ごめんな」
「……あほか、」

言葉よりもずっと雄弁な腕がつんけんした響きに反して控えめに背中に回される。 ゆっくりと手のひらが上下して、高い体温が流れこんでくるような錯覚を覚えた。

「なんか、あったん」
「……んー…、んーん?」

いまのは失敗したと、すぐに思った。 心配なんかさせたくない、いつも完璧でいたいと願う一方で、ただひとり、謙也にだけは気づいてほしいと叫ぶ弱い俺がいる。 だから気を抜くとすぐに態度に出てしまうのだった。 敏い謙也にはそれで十分で、少しの沈黙のあと、うそやん、とふて腐れた声が断言した。

小さな衣擦れの音に顔をあげると、学ランに包まれた腕が背後のカーテンを引っ張っていた。 その端を自分の後ろにも回して一周、最後に俺の肩に腕を引っ掛けたなら、まるで春巻の具にでもなったみたいに、薄い布の内側に、二人きりの小さな世界ができた。

しらいし。
布に擦れた後ろ髪をなだめるようにくしけずられて、吐息の触れる距離で名前を呼ばれた。 硬質に響く謙也の声は、わずかに震えていた。 目を合わせるのを恐れるように、上げかけた目蓋は降りてきたくちびるに阻まれた。

身じろぎするのが布越しに伝わる。
やわらかい感触は、目蓋から額に、鼻筋を辿ってくちびるに触れた。 慈しむような、という例えはこのキスのためにあるのかもしれないと目を閉じたままたゆたうように思った。 そう多くはない謙也からの口づけは、いつだってうまく言葉を紡げない不器用さを補って余りある。 上手いとか下手というのではなくて、しいていうならとても、愛しい。

狭い空間に小さな水音が余韻のように残る。 自分から寄越したキスの音に、照れて赤くなった顔を手の甲で覆いながら、謙也はわずかにうつむいた。

「おれ、おまえのためならガッコでちゅーもできるんですけど」
「けんや……」

なんで敬語なん、とか茶化すことなんてできなくて、俺は、呼吸も忘れてそれを見つめていた。
手指の隙間から見える頬も、金色の髪から少しだけのぞかせる耳の縁も、言葉を重ねるごとにじわりと染まっていく。 しきりにまばたくつり目がちの瞳は、水の膜がゆらゆらして、小さな刺激でも決壊しそうなほど。

「それって、おれ的には、けっこう、」

あふれる。

「すごいことなんですけ……っ」
勢いのままに抱きしめた身体は、驚きに強ばって、それからゆるゆると体重を預けるようにもたれてきた。 お互いにいつもより早い鼓動も体温も分けあって、深い安堵につつまれた。

「ありがとう」
「……つぎ、シカトしたら、な……」
「殴る?」
「泣く。 ほんで白石の学ランで鼻かむ」

やから、不安にさせんとって。
肩口で、すん、と音がして、本当はすっかりべそをかいているんだと分かってたまらなくなる。 俺をこんなに夢中にさせている謙也が不安になるなんて、と思って、それはきっと俺が抱える不安と同じものなんだと気づいた。 震える語尾は、俺の耳元で痺れるほど甘く響いた。

「そんなんされたら困るわ」
「クリーニング代とか、出さんし」
「あほ、お前を泣かせるんが嫌や言うてんの。 ……ごめんな」

静かに顔をあげた謙也は想像した通りの顔をしていて、薄い茶色を濡らしたまま小さく頷く顔も、それはそれでとても可愛いと思ってしまった。 俺たちをくるんだカーテンの布地で拭こうとしたら、思いがけず埃っぽくて二人して盛大なくしゃみが転がり出てきて、大笑いしたらまたくしゃみが出て止まらなくなった。

この恋は、息もできないくらいの苦しさと、このまま死んでもいいくらいの幸福が背中合わせで俺を振りまわす。 ぜんぜん慣れていないからたまに息切れしたりするけれど、たぶん大丈夫だ。
もしかしたらこの先、また謙也を泣かせてしまうことがないとはいえなくて、でも手放すことはきっともっとできない。 だから、そんなときは絶対にそばにいて笑わせるのは俺の役目にしようと心に決めた。 先は長いし、相手は謙也だし。 たぶん大丈夫だと思う。



それが君なら 


ゆんさまへ
リクエストありがとうございました
101127


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