「っ……おい、シンディ、リンダ…生きてるか?」 「え、ええ……大丈夫…」 「奇跡だわ……ごほっ」 押し寄せる洪水になす術もなく飲まれた3人は、奇跡的に折れたパイプに引っ掛かって九死に一生を得た。 全身ずぶ濡れのままどうにか点検用通路に上がり、不足した酸素を体内に取り込む。 「結構流されたみたいだな…。ここは一体どこだ?」 「見て!向こうに明かりが…」 「あそこから外に出られそうね」 地獄に垂れた蜘蛛の糸を辿るように明かりが漏れるマンホールから地上に出たシンディは、ある建物を目にして茫然と立ち尽くした。 「ここは……」 見覚えのある焼けた建物。 割れた窓ガラスの近くに記された文字は、"ホテル・アップルイン"。 そこはまさに数時間前に命懸けの脱出劇を繰り広げたホテルの裏通りだったのだ。 馴染みのバーから始まった悪夢から逃れる為に街中を彷徨い続けたあげく、辿り着いたのは"始まりの場所"。 「私達…元の場所に戻って来てしまったの…?」 歩き続ければ、前に進み続ければ、この悪夢から逃れられると信じていた。 だから後ろを振り返る事もなく、ただ前だけを見て走り続けてきた。 しかしなんという運命か。 茫然と焼けたホテルの看板を見上げていると、リンダが持っていた無線機に連絡が入った。 どうやら研究所ではぐれたジョージ達は無事に脱出し、ヘリが待っている大通りへ向かっているようだ。 カーターから無線機を預かっていたデビットの連絡を受けて、シンディ達も大通りへと向かった。 ホテルを脱出した時には死者で溢れ返っていた大通りも、今はゴーストタウンのように静まり返っているらしい。 「…長い一日だったわ…」 歩きながらシンディは呟いた。 悪夢と戦い続けた時間は、数字に置き換えてみればそれほど長い時間ではなかっただろう。 しかし常に緊張と恐怖に包まれ、体力と精神力を酷使し続けた数時間は、本当に辛く長い旅路だった。 その中で出会えた大切な仲間と失ったかけがえのない大切なもの。 様々な感情が心の中で渦巻いて形にできない痛みを募らせる。 「でも…これでやっと眠れるわ…」 今はただあたたかい朝日に包まれながら、ゆっくりと眠りたい。 ここで起きた事を、感じた事を、一生忘れる事はないだろう。 それでも私達はきっと前に進む事ができる。 その強さを、私達は持っている。 今ならそう信じる事ができる。 「もうすぐ夜が明ける…」 徐々に明るさを取り戻していく空の彼方に目をやった次の瞬間、耳をつんざくような鋭い銃声と呻き声が聞こえた。 「リンダ!!」 地面に倒れ込む彼女の左足を銃弾が貫通し、まるで赤いブーツを履いたかのように足を真っ赤に染め上げていく。 「伏せろ!!」 「!」 ケビンの声にシンディは半ば反射的に瓦礫のそばにしゃがみ込んだ。 二度目の銃声が響き渡る。 恐る恐る瓦礫の隙間から暗闇に目を凝らすと、建物の屋上にかすかに人影が見えた。 上半身しか見えないが、着ている服に見覚えがある。 「あれは…大学にいたアンブレラの…」 視線を移すと、少し離れた場所で同じように身を隠すケビンと足を押さえたまま顔を激痛に歪ませるリンダの姿があった。 隙を見て二人のそばまで移動すると、苦しそうに息を吐きながらリンダが言った。 「たぶん……あいつが研究所の自爆システムを……作動させたんだわ……。っ……証拠を…残さない…為………研究員の……口を封じる為に……っ」 「喋らないでリンダ。とにかく止血をしないと…」 身を伏せたまま手早く応急手当を済ませるが、足を撃たれた状態では自力で歩く事は困難だろう。 「クソッ、腕さえありゃ担いで逃げられたんだがな…」 悔しそうに右手で銃を握り締めるケビンの左腕は、だらりと垂れ下がったまま力なく揺れている。 片腕が使えない以上、ケビンがリンダを背負う事はできない。 「……」 その様子を見ていたシンディはバーを出てからずっと持ち歩いていたハーブケースを放り出してリンダを背中に乗せた。 「シンディ?」 「しっかり掴まっていて。絶対に死なせたりしないわ!」 「ダメ、無茶よ…。相手はアンブレラの特殊部隊なのよ?足手まといになるわ……。私のことはいいから二人だけでも逃げて…。このデイライトがあれば、きっと誰かがTウィルスに対抗する薬を作ってくれるはず。だからお願い、これを持って逃げて…」 しかしシンディは自分の意志を曲げようとはしなかった。 「諦めないで。大丈夫。きっとなんとかなるわ。今までだって何度も危険な目に遭ったりしたけど、生きることを諦めなければ何度だって奇跡は起こせるのよ。私は絶対に諦めたりしないわ。もう泣き事だって言わない。絶対にみんなで生きてこの街を出るのよ!」 自分でも驚きだった。 確かに元から前向きな性格ではあったけど、こんな絶望的な状況でも自分を信じる事ができるなんて思わなかった。 突然巻き込まれた悪夢のような出来事に、ただ困惑して恐怖して逃げ惑う事しかできなかったのに。 自分の中に生まれた変化に僅かな戸惑いはあったけど、不思議と嫌な気分ではなかった。 絆…と言えばいいのだろうか。 助け合い、支え合って度重なる困難に立ち向かって来た私達だからこそ、この先にどんな壁が立ち塞がったとしても乗り越えていけると信じられる。 「いつも助けられてばかりだった。だから今度は私が守るわ。何があっても守ってみせる」 誓いの言葉と勇気を胸に、シンディはリンダを背負って少し体を浮かせた。 「ケビン、リンダの事は任せて」 「……」 ケビンは珍しく少し考える素振りを見せた後、銃を握り直して強く頷いた。 「よし、わかった。回り道してる余裕はないからな。ここを突破するぞ!」 「ええ!」 「俺が合図したらあの車の陰まで走れ」 「わかったわ」 大人一人を背負うのは口で言うほど簡単なものではないし、狙撃手に狙われているこの状況で逃げずに立ち向かうのは相当の勇気がいる。 それでも臆する事無くシンディは前を見据えた。 背中に圧し掛かる重みは、命の重さ。 もう絶対に失ってはならない大切なもの。 この街で起きた惨劇が人が犯した過ちだと言うのならば、尚の事、もう繰り返してはならない。 「今だ!」 「!」 合図を耳にして、シンディはリンダを背負ったまま駆け出した。 縺れそうになる足を必死で前へと押し出し、目的の場所まで走る。 一度目はなんとか成功した。 少し遅れてケビンも避難し、銃声が止むのを待って再び前進する。 二度目も成功した。 銃弾が横を通り抜けて肝が冷えたが、誰にも当たらなかった。 そして三度目。 「……」 じっとその時を待つ。 そして、合図。 「!」 必死で走って建物の陰に滑り込む。 「リンダ、怪我はない!?」 「ええ…!」 背中に乗せた彼女の無事を確認した後、視線を前に戻すと、丁度ケビンが車の陰から飛び出した所だった。 銃声が響くが、銃弾はケビンの横を通過して停車した車に命中する。 しかし次の瞬間、爆風と同時に破片が飛び散ってシンディとリンダに襲い掛かった。 「っ…」 シンディはとっさにリンダを抱き締めて盾となるが、包帯の巻かれた腕に石が突き刺さって呻き声を上げた。 「シンディ!」 「っ……大丈夫よ」 唇を噛み締めて突き刺さった石を抜く。 と、その時だった。 「ケビン!」 爆風で吹き飛ばされたケビンが地面を這いずるようにして煙の中から姿を現した。 「ケビン!しっかりして!」 「っ…う……平気だ。歩ける…」 体勢を立て直してからケビンは落とした銃に手を伸ばすが、もう腕に力が入らないのか、その手は大きく震えていた。 「クソッ、情けねぇな」 自分のふがいなさにケビンは苛立つが、そこでシンディが少し身を乗り出してケビンの銃を拾った。 「私がやるわ」 「!」 シンディの言葉にケビンとリンダは驚くが、シンディの意志は固かった。 「ここを突破するにはこれしかないもの。なるべく傷つけないようにしたいけど…説得する時間もないし、仕方ないわよね…」 「待て。こんくらい平気だ。俺がやるからお前は…」 しかしシンディは首を振る。 「大丈夫。任せて。デビットに撃ち方も教えてもらったから、前よりは上手くなったのよ。…私、今まで銃はあまり好きになれなかったけど、今は少し違うの。銃は傷つけるだけの凶器じゃない。身を守る為の武器なんだって」 「シンディ…」 「大切な人を守る為の手段なのよ。ケビンやリタを見ていてわかったの。私にも守りたいものがある。だから、戦うわ」 シンディはそう言って銃を強く握りしめた。 「……仕方ねぇな。無茶すんなよ」 「ええ。わかってるわ」 ケビンは深く息を吐くと狙撃手の位置を確認して、銃を構えるシンディの腕の位置を調整した。 「もう少し腰は落とせ。…ああ、それでいい。顎は引いて、しっかり前を見ろ」 「……」 ケビンの指示に従いながらシンディは緊張と恐怖を振り払う。 そして引き金に指を掛け覚悟を決めた時、突然前方から悲鳴が聞こえた。 建物の陰から身を乗り出して確認すると、こちらを狙っていた狙撃手が背後からゾンビに襲われているのが見えた。 すぐに助けようとしたのだが、再び銃を構えた時にはもう狙撃手はゾンビに喉を食い千切られ息絶えてしまった。 「…ああ……そんな………どうして………」 崩れ落ちる狙撃手の遺体と血塗れの口で遺体の腕に食らいつくゾンビを見つめながら、シンディは震えた。 「どうして……」 頭の中で同じ言葉だけがぐるぐると回り続ける。 何故?どうして? そんなはずはない。もう終わった。 あの悪夢は過ぎたはず。なのにどうして…? 「っ………ウィル………」 消えいりそうな声で呟いたのは、かつての同僚であり良き友人でもあった男性の名前だった。 血と泥で汚れた制服は紛れもなくJ's BARのもので、変わり果てた姿をしていようともその顔を見間違えたりはしない。 「…ウィル……」 隣でケビンが呟く声が聞こえた。 あの時、全てが始まったJ's BARでウィルはシンディを庇って負傷し、おそらくはそれが原因でTウィルスに感染してしまい、屋上で自我を失いゾンビになってしまった。 襲い掛かる友人をケビンは所持していた銃で射殺し、そこでウィルと別れを告げた。 それで終わったはずだった。 ジョージの話ではゾンビは頭部に損傷を受けると活動を停止し、それっきり動かなくなるという事だった。 ケビンが突然の出来事に混乱していたとは言え、放たれた銃弾がウィルの頭部に命中したのをシンディも確認している。 なのに、どうしてここにウィルが? 「…ゾンビ化して間もない生物は、頭部が完全に破壊されない限り、失われた細胞が短時間で急速に再生する事があるの」 茫然と立ち尽くすシンディ達にリンダが静かな声で言った。 「…それでも限界はある。死亡した感染者は一度はウィルスの力で再生するけど、やがて肉体が限界を迎えて活動を停止する。……彼も…肉体の腐敗がだいぶ進んでいるようだから、もうすぐ……」 「……」 リンダの話を黙って聞いた後、シンディは手に持った銃を見つめた。 その様子を見ていたケビンは痛む体を無理やり動かしてシンディの手から銃を引き抜いた。 「俺がやる。…このまま放って置く訳にもいかねぇだろ」 「……」 シンディはしばらく黙った後、そっとケビンの手に自分の手を重ねた。 「私に…やらせて」 「……」 「あの時、私はただ見ていることしかできなかった。…ウィルは私を助けてくれたのに、こんなにも苦しんでいたのに……変わり果てた彼の姿を見ていられなくて……彼の死を受け入れられなくて……これは全て悪い夢なんだって自分に言い聞かせる事しかできなかった」 前に進みながらも、ずっと後悔している事があった。 命の恩人である彼を、見捨てて逃げ出してしまった事。 彼がこうなってしまったのは私のせいなのに、恐怖を言い訳にして何もしなかった。 ……もう、遅いのかもしれない。 でも、もう逃げる訳にはいかない。 「…お願い、ケビン。最後は私が……」 「……わかった」 静かに頷いてケビンは銃をシンディに託した。 重い銃を握り締めたまま一歩、また一歩と近付いて行く。 処刑台に続く階段のように足が重く感じられた。 「……」 数時間振りに向き合ったウィルは、以前よりも細く弱々しく感じられた。 ウィルスによって体は動いているが、そこにもうウィルはいない。 彼は死んだのだ。 魂は天に昇り、体だけが取り残されてウィルスに操られている。 終わりにしなくてはならない。 髪も体も心臓も、全てをウィルに返すべきだ。 彼の体が限界を迎える前に。 「……」 シンディはそっと銃を構えた。 こちらに気づいたウィルがゆらりと立ち上がって向かって来るが、もう恐怖心はなかった。 「……ウィル………ごめんなさい………」 引き金に掛けた指が、一瞬だけ震えた。 「…ありがとう…」 響き渡った銃声は、終焉を告げる鐘のようだった。 頬を流れる涙は、ただ一言、別れの言葉を残して地面に消えていった…。 前へ 次へ |