最終章 祭囃し編
□袋小路の先

昭和四十一年。


俺はそれまで通っていた稲荷村分校に別れを告げ、雛見沢分校に転入することになった。


というのも、数年前からここ皆神地方でダム建設の話が持ち上がっており、皆神地方に住む稲荷村や雛見沢の住人たちは立ち退きを迫られていた。


それに反対した住人たちが後に"ダム戦争"とまで呼ばれるようになる反対運動を起こし、その中心となって村をまとめていたのが雛見沢の旧家である園崎家の当主お魎と、稲荷村の旧家である天倉家の当主、つまり俺の親父だった。


稲荷村分校が廃校になった後、通っていた子供のほとんどが興宮の学校へ移ったが、反対運動のリーダーを務める親父が村を離れる訳にはいかないし、その親父の後を継ぐ俺が村の掟を破る訳にもいかず、結局俺は隣村の雛見沢分校まで通うことになった。


雛見沢には何度も足を運んでいるし、顔馴染もたくさんいる。


さすがに毎日隣村まで往復するのは少々骨が折れたが、そのおかげで体力にはだいぶ自信がついた。


後に親友となる麻生優雨に出会ったのは、丁度その頃だった。


雛見沢分校に転入して新しい生活にも慣れ始めた頃、学校が終わって自宅に帰る途中、道の真ん中である騒動に出くわしたのだ。


「この裏切り者!」


「村から出て行け!」


田んぼに響き渡る怒声と宙を切る風音。


キャッチボールでもするかのように投げられたそれは、野球ボールなどではなく、その辺に無数に散らばる尖った石ころだった。


道の真ん中でうずくまる人影に向かって、絶え間なく降り注ぐ敵意。


喧嘩というには、度が過ぎている。


「おい!何してんだ!!」


俺が駆け出すと同時に石を投げつけていた二人がこちらを振り返った。


そこでようやく俺は、その二人がクラスメートの松田と西山であると気づいた。


二人は俺に気づくと一瞬焦りの表情を浮かべたが、すぐに膨れっ面に変わって持っていた石ころを放った。


「何だよ、びっくりさせんなよ螢」


「お前ら、いったい何してんだ?」


「別に何もしてないって」


「嘘つけ。今、石投げてただろ?」


俺がそう言うと、松田と西山は顔を見合わせてむっと口を曲げた。


「お前は知らないんだろうけど、こいつ、雛見沢じゃ有名なんだせ?」


「なんたって村の"裏切り者"だかんな」


西山がむっとした表情でうずくまる人影を見やる。


両腕で頭を庇い俯いているので顔は見えないが、俺達とそんなに年は離れていないようだ。


しかし、雨も降っていないのに何故か全身ずぶ濡れで服も泥で汚れてしまっている。


「裏切り者?何だ、それ」


「こいつの家、俺達の村をダムの奴らに売ろうとしたんだ!」


「雛見沢の人ならみんな知ってるよ。高瀬は村の裏切り者だって」


「ちょっと待てよ、でもそれって、こいつがやった訳じゃないだろ?誰か大人が…」


「だから何だよ、同じ事だろ」


松田はそう言って地面に転がる石を蹴って歩き出した。


「もう帰ろうぜ」


「うん。じゃあまたな、螢」


二人が去ってから、俺は未だうずくまったままの人影に声を掛けた。


「おい、大丈夫か?」


……返事はない。


頭を抱える手がかたかたと小さく震えている。


その腕にも肩にも痣や擦り傷がたくさんついていた。


「……松田たちならもういないぞ」


「……」


やっぱり返事はなかった。


じれったくなった俺は、あることを思い出して背中のリュックを地面に下ろして、中から一枚の手拭いを取り出した。


クラスメートの夏木…ちなみに女子だ、には変だと言われたけど、俺の家にはハンカチなどという洒落た物は置いてないので、いつも手拭いやタオルを持ち歩いている。


俺はリュックを置いたまま、うずくまった人影に近付いてその頭に手拭いを被せた。


そのままわしゃわしゃと濡れた頭を拭いてやる。


我ながら少し乱暴だとは思ったが、この頃の俺にはまだそういったデリカシーというものは身についていなかった。


「っ…?」


俺の拭き方が乱暴で痛かったのか、それとも突然頭を手拭いで覆われて驚いたのか、ようやくそいつは顔を上げて俺を見た。


目が合ったそいつは俺より少し年下で、こう言っては何だが、クラスメートでは割と男子に人気がある夏木よりもかわいらしい顔をしていた。


最も当時の俺は女子の気を引くより、友達とふざけあっている方が楽しいと思っていたので、かわいい顔だというのも単純に感想を述べただけでそれ以外の感情は持ち合わせていなかったが。


痩せ細って子犬のようにびくびくしながら俺を見上げるそいつは、非常に頼りなく、物心つく前から旧家の息子として両親に厳しくしごかれていた俺とはまるで正反対に思えた。


「何したのか知らねーけど、その格好で歩いてたら風邪引くぞ」


ぼさぼさになった髪の毛の間から、そいつは茫然とした様子で俺を見上げる。


俺は手拭いをそいつの頭に残したまま手を差し伸べた。


しかし、そいつはずっと無言のまま、手を出そうとしない。


「ほら、掴まれよ」


そう言って目の前に手を出しても、そいつはずっと俺を見上げたまま微動だにしなかった。


どうするべきか迷っている内に、そいつは突然立ち上がり、道端に転がっていた自分の荷物を引っ掴んでその場から逃げ出した。


「あ、おい!」


止める暇もなく、そいつは道の彼方へ消えて行った。


「…何だ、あれ」


後に残ったのは、落ちて泥まみれになった手拭いと困惑の表情を浮かべた俺だけだった。

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