第三章 獄流し編
□カケラ

昭和四十二年、夏。


蝉の鳴き声が盛んな頃、山中の綺麗な小川のそばに秋山百合はいた。


赤いワンピースに麦藁帽子を被って、近くの岩に腰掛けて小川の水を足でバシャバシャと遊んでいた。


麦藁帽子から覗く栗色のふわりとした髪が、風に揺れて、百合は少しだけ顔を上げた。


「おーい、百合、帽子ちゃんと被ってろよー」


少し離れた場所から少年の声がして、百合はずれた帽子を両手で直した。


そっと空を見上げれば、今日は文句無しの快晴。


暑いことは暑いが、小川の辺りは空気が澄んでいて心地良かった。


百合はひょいと岩から下りると、木のそばに立っている少年のもとへ駆け寄った。


「何してるの、お兄ちゃん」


そう尋ねると、少年はにいと笑って木の少し上の方を指差した。


「ほら、あそこにカブトブシがいるだろ」


しかし百合にはよく見えなかった。


すると少年は百合を抱き上げて肩車をした。


「どうだ?見えたか?」


落ちないようにしっかりと支えて、少年が言う。


百合はもう一度木を見上げて、あ、と声を漏らした。


少年が指差した辺りに二匹のカブトムシがいる。


「昨日来たときは一匹しかいなかったんだ」


少年はどこか嬉しそうに言って、百合を地面に下ろした。


「おともだち…できたんだね」


百合が言うと、少年はそうだなと言って笑った。


少年の名前は、天倉螢。


今年で11歳になる百合の叔父だ。


百合は螢の姉の娘で、都会で生まれてすぐ両親と共に稲荷村へやって来た。


余所者として村人たちから厄介者扱いされている百合にとって、叔父の螢だけが唯一の遊び相手であり心を開ける人物であった。


村には螢よりも年の近い子供が何人かいたが、話すことは勿論、近づくことさえできなかった。


百合自身も家庭の事情から引っ込み思案になり、人見知りが激しく、なかなか他人に心を開くことがない。


そんな百合にとって一番幸せな時間は、螢とこうして遊んでいる時だった。


家にいるときは怯えて声も出なくなるが、ここで遊んでいるときは自然と笑顔が浮かび心も弾む。


ずっとこの時間が続けばいいと、そう思っていた。

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