永劫なる輪廻の輪。 それを運命と言うならば、人は逃れる術をもたない。 それでも井戸の底から這い上がろうとするのか、無駄な努力と決めて井戸の底で一生を終えるのか。 それは、あなた次第だろう。 201号室の病室のドアの横、白い壁に寄りかかるようにして、天倉螢は深いため息をついた。 部屋の奥にあるベッドには一人の少女が座っており、ぶつぶつと何事か呟いている。 ベッドの横の椅子には、少女とよく似た顔の少女が座っており、ぎゅっとその手を握り締めたまま俯いている。 「暗い底……深い……声が…鐘の音が鳴って……連れて…行かないで……そっちは…嫌……だから一人にしないで……置いて行かないで……一人は……」 「……澪……」 椅子に座った少女は、手を握り締めたまま、泣き崩れるようにベッドに顔をうずめた。 「…繭、少し休んだ方がいい。…澪なら大丈夫だ」 螢はそう言って、姪の肩に上着を掛けた。 もう一人の姪である澪は、未だぶつぶつと呟きながら繭の手を握り締めている。 と、そのとき、コンコンッとドアをノックする音が響いた。 入って来たのは、螢の友人であるジャーナリストの雛咲真冬だった。 真冬はすっかりやつれた双子の少女を見て一瞬足を止めた。 「……螢、少し話があるんだけど……」 「わかった。…場所を変えよう」 螢はそう言って鞄を手に取り、病室を後にした。 食堂に移動した二人は、窓際の席に座って現在の状況を話し合った。 「…それで、姪っ子さんの様子は…?」 「見ての通りさ。…澪は完全に正気を失ってる。以前は話しかければ何かしら反応があったが、今じゃもう人形のように同じ言葉を繰り返すだけだ」 真冬はさっき見た澪の姿を思い出して悲痛な表情を浮かべる。 「…一体何が原因であんなことに…」 「わからない。澪はあの状態だし、繭も失踪していた時のことを聞くと、固く口を閉ざす」 「……」 「ところで、お前の妹さんはどうなんだ?深紅さん…だったか」 「ああ、深紅も相変わらず眠ったままだよ。最後に起きたのは五日前…それもたったの二時間。起きていてもほとんど反応はなく、子守唄のような唄を歌っているだけだった」 「…そっちも尋常じゃない様子だな」 「色々な先生に話を聞いたけど、やっぱり原因はわからないまま。…どうしたらいいのか、全くわからないんだ」 真冬はそう言って深いため息をついた。 「…そう言えば、この前、黒澤さんの所に行くと言ってたが…」 螢がそう言うと、真冬は頷いて顔を上げた。 「ああ、昨日行って来たよ。黒澤さんも…だいぶ疲れているようだったけど」 「…優雨の事故に加えて、深紅さんの異変だからな。無理もないが…」 「……今もまだ信じられないんだ。優雨が…死んだなんて」 「……」 螢は無言のまま、窓の外に目を向けた。 静かに降り注ぐ雨。 もう二月以上、ずっと振り続いている。 そんな中起きた突然の出来事。 中学時代からの親友である麻生優雨の死。 婚約者である黒澤怜が運転する車に同乗し、事故に遭った。 優雨の死を知ったのは、事故から既に一月が過ぎた後だった。 姪の異変で色々と忙しかったこともあり、連絡が取れなかったのだ。 真冬もまた、妹のことでバタバタとしていた為に、つい最近まで事故のことを知らなかった。 二人にとって良き理解者であり、大切な友人。 あまりにも突然で、受け入れるには重すぎる事実だった。 しばらくの沈黙の後、螢は鞄から手帳を取り出して真冬に言った。 「ところで…お前、眠りの家という都市伝説を知っているか?」 真冬は訝しげな表情を浮かべる。 「眠りの家?…いや、知らないけど…」 それを聞くと、螢は手帳からメモと一枚の写真を取り出した。 写真には古い屋敷が写っている。 「それは東北にある廃屋なんだが…何でも"死者に逢える幽霊屋敷"と噂されているらしい」 「幽霊屋敷…?」 あまりにも話が唐突過ぎて真冬はますます訝しげな顔をする。 「それが…都市伝説とどういう関係が?」 「眠りの家はもともと医療関係者の間で噂されていた話で、それが少々脚色されて伝説化したものらしい。まあだいぶオカルトじみた話だから、あてになるかどうかわからないがな」 そう前置きしておいて、螢は眠りの家という都市伝説について真冬に話した。 眠りの家とは、親しい人間を亡くした者が毎日夢の中で迷い込む屋敷。 雪の降る大きな屋敷で、そこでは子守唄が響いている。 屋敷の奥へ進むと、亡くなった親しい人間がいて、夢の中でその姿を追い続ける。 屋敷の奥には古い社があって、そこに死者と逢える場所が存在するらしい。 しかしそこへ行ってしまうと、現実へ戻れなくなってしまう。 「…子守唄……」 ぽつりと呟いて真冬は考え込む。 「…実は澪も一週間ほど前から徐々に眠りが深くなってるんだ」 「え…彼女が?」 「それまでは眠ることを異常に恐れていたんだが、ここ数日、一日に二、三時間程度しか起きていない」 「!」 「今までの疲れが押し寄せているだけかもしれないが…繭の話では、澪は夢の中で繭を捜しているらしい」 「捜す?けれど、繭さんはずっと彼女のそばに…」 「ああ。片時も離れたことはない。だが澪は繭が自分から離れていく夢を見ているようだ」 「……」 「しかも、時折子守唄のような唄を呟いているらしい」 「それじゃ彼女も深紅と同じように…」 「ああ、その可能性がある。…俺はもう少しこの都市伝説について調べてみようと思っているが、お前はどうする?」 真冬はしばらく考え込んだ後ゆっくり頷いた。 「僕も…そうするよ。今は藁にでもすがりたい気分だから」 「そうか…。それじゃあ明日、この廃屋へ行ってみよう。眠りの家の都市伝説はこの廃屋がある近くの村が発祥地らしいからな」 「近くの村?なら、そっちへ行った方が…」 「残念ながらその村は今はもうない。2年前に大規模な土砂崩れがあって、村ごと土砂に呑まれたらしくてな。生存者はたった一名。それもまだ幼い少女だという話だ」 「……」 真冬は何か考え込むように俯いたが、それ以上何も言うことはなかった。 no 次へ [しおりを挟む][戻る] |