樹月から柏木家の見取り図を受け取った澪は、村の中心を抜け、長い橋を渡って柏木家の玄関前に足を踏み入れた。 丘の上から見てもこの小さな村には不釣り合いな大きくて立派な屋敷だったが、近くで見るとどこか威圧的で、入る者も出る者も拒む雰囲気があった。 本当にここに姉がいるのかと不安になるが、他に手掛かりもない以上、今は樹月の言葉を信じるしかなかった。 貰った鍵でこっそりと脇戸から中へ入ると、階段が続いており、地下へと繋がっていた。 足元に注意しながら階段を下りると、奥に古い井戸があった。 どうやらここは貯蔵庫になっているようだが、この井戸は今は使われていないのか、それとも別の目的で使われているのか、縄梯子が掛かっていた。 最もその縄梯子も相当に古いもののようで、これを下りるには少々勇気がいりそうだが。 それはともかく、澪は辺りを見回しながら恐る恐る奥へと進んだ。 湿気で傷んだ扉を開けると、そこにはまた階段が続いていた。 今度は上りだ。 人の気配に注意しながらゆっくり上に上がると、土蔵になっていた。 かすかに人の足音や物音が聞こえるが、ここからは遠いようだ。 しばらく進むと、奥に頑丈そうな両開きの扉があった。 扉には中の様子を窺う為の小窓が付いている。 そっと小窓から中を覗くと、そこに格子で囲まれた座敷牢があった。 そして、その牢の中には姉、繭の姿があった。 「お姉ちゃん!」 慌てて中へ入ると、繭も気づいたのか顔を上げて目を見開いた。 「澪!」 格子に駆け寄り、お互いの無事を確認し、ほっと安堵するものの、牢には頑丈な錠前が掛けられていた。 「澪、どうしてここへ?」 「樹月君が教えてくれたの。ここの牢の鍵は二階にあるかもしれないって」 「……でも、もし捕まったりしたら…」 「大丈夫。絶対鍵を取って戻って来るから」 「澪……」 「必ず助けるから。…だから…少しだけ待ってて。すぐ戻るから」 そう言って立ち上がろうとした時、繭がそれを止めた。 「待って、澪。これ…奥の本棚から見つけたの」 繭が差し出したのは、とある民俗学者が記した本だった。 湿気でだいぶ傷んでおり、名前は読み取れない。 繭はそれを澪が見えるように、ページを開いて格子に近づけた。 "民俗学者の手記" 鬼ヶ淵村について。 かつてこの地には人を喰らう鬼が棲んでいた。 気まぐれに山を下りては、麓の村を襲い、人間を食い荒らしてはまた山へ戻る。 困り果てた村人たちは、この地の神であるオヤシロさまに供物を捧げて鬼を封じてくれるように頼んだ。 オヤシロさまは村人たちの願いを聞き入れ、鬼を深き穴の底に封じた。 それ以来、その穴は鬼ヶ淵と呼ばれるようになり、鬼を封じたその村はいつしか鬼ヶ淵村と呼ばれるようになったという。 「これって…おばあちゃんが話してくれた昔話?」 「千鶴って人から村の名前を聞いた時から、妙な違和感を感じていたんだけど…」 「じゃあここは、鬼を封じたっていう村なの?」 「…鬼ヶ淵に近づいた者は隠される……」 「!」 繭が呟いた言葉に、澪は体に電撃が走ったようにビクンと震えた。 「私達、鬼隠しに遭ったんだよ。おばあちゃんが言ってたでしょう?」 「まさかそんな…。田舎にはよくある迷信ってやつだよ」 「だけど、私を捕まえた人達が言ってたの。これで儀式をやり直せる。紅贄を鬼ヶ淵に捧げて、罪人を綿流しにすれば、祟りを鎮められるって」 「祟り…?」 「蔵にいた樹月君が言ってたじゃない。祟られるって」 「じゃあその祟りを鎮める為に、私達を狙ってるって訳?」 「わからないけど…このままだと私達……」 「そう言えば…樹月君が言ってた。紅贄となる運命から逃げ出したって」 「…ねえ、澪。オヤシロさまへの供物ってもしかして……」 「……」 しばらくの沈黙が流れた。 しかし、このままここでじっとしている訳にもいかない。 「とにかく、早くここから逃げなきゃ。祟りだか紅贄だか知らないけど、そんなの私達とは関係ない」 「澪…」 「牢の鍵は二階にあるみたいだし、それを取って早く逃げなきゃ」 「でも、どこへ?鳥居の道は消えてたし、神社の抜け道だって…」 「大丈夫。きっとどこかに外に繋がる道があるはず。叔父さんもよく言ってたじゃない。何があっても諦めるなって」 「あ……」 「大丈夫、お姉ちゃんは絶対私が助けてあげる。だから少しだけ……ほんの少しだけ待ってて。すぐに戻るから」 「澪……」 繭は不安そうな顔で俯いたが、やがて顔を上げると、精一杯の笑みを浮かべて頷いた。 前へ 次へ [しおりを挟む][戻る] |