「兄さん!!」 ふっと食い込んでいた縄が消え、私は倒れ込む兄さんに駆け寄りました。 「深…紅……っ」 目に涙が滲んでいく。 ふと見ると、高峰さんの縄も消えていました。 「よかった……兄さん……」 「深紅……どうして、ここへ……」 私は涙を拭って言いました。 「当たり前じゃない……兄さんは、私にとってたった一人の…家族なんだから……」 兄さんははっとした表情を浮かべ、 「…すまない……深紅」 そう言いました。 私は無言のまま少しだけ微笑んで首を振りました。 と、そのとき、かすかなうめき声が聞こえて、私達は後ろを振り返りました。 「霧絵……」 そこには生前の姿に戻った霧絵さんがいました。 五肢に縄が巻きついているけど、さきほどのような霊気は感じられません。 「霧絵さん……」 ポツリと私は呟いて、霧絵さんを見つめました。 『……ごめんなさい………わかってたのに……わたしは……』 私は無言で首を振りました。 霧絵さんに掛ける言葉が見つからなかったのです。 霧絵さんは両手で顔を覆いながら、言葉を紡ぎました。 『巫女として…役目を果たそうと……それがわたしの運命なんだと……そう思ってた。……あの人と離れるのは、少し寂しかったけれど……あの人に出会えてよかったと、そう思ってた…』 呟くように話す彼女を、私達は黙って見つめます。 『あの人が里に帰られたと聞いて…やっと決心がついた。……あの人が無事に想い人のもとへ帰られたのなら…それでいいと……そう思ってたのに……』 そこまで言って、霧絵さんはその場に泣き崩れました。 『なのに、どうして………どうして………。わたしはただ、あの人が幸せになってくれればそれでよかったのに………それで……よかったのに…………。闇に呑まれてから、ずっと自分を止めたいと思ってた…。でも……止められなくて……ずっと……ずっと……長い夢を見ていたような……そんな気がして………』 と、そこで兄さんがすっと立ち上がり、一歩彼女に近づいて言いました。 「君は…長い間自分を責め続けてきたんだね……。自分のせいで彼を……清純を、死なせてしまったと…」 霧絵さんは無言のまま両手で顔を覆います。 『あの人は…私のせいで……』 「確かに、清純は君に近づいたが為に命を落としたのかもしれない…。でもそれは、君のせいじゃない。君が自分を責める必要はないんだ」 霧絵さんがそっと顔を上げました。 その目は後悔と深い悲しみに満ち溢れていました。 「僕がここに来たのは…たぶん偶然ではないと思うんだ。清純が……彼が僕をここへ呼び寄せたんじゃないかと思う」 『あの人が……?』 「彼は君を救おうとしていた。巫女という運命から、そして、運命という呪縛から。でも、結局救うことはできなくて……自分が死んだことで、君は君を許すことができなくなってしまった。だから彼は、僕をここへ呼び寄せたんだと思う。……君を救って欲しくて」 『!』 「…僕は、清純によって導かれ、ここまで来た。君が彼の幸せを願っているのなら、どうかもう苦しまないで欲しい。…君が苦しめば、彼もきっと苦しむだろうから」 霧絵さんの目から涙がこぼれました。 けれどそれは、さっきまでの悲しみに溢れた涙ではないように思えます。 『…清純さん………』 霧絵さんはぽつりと呟くと、ぎゅっと手を握り締めました。 それを見て、私はある場所へ近づきました。 「それは…!」 驚く兄さんに私はそっと微笑んで、鏡の欠片を窪みに納めました。 その瞬間、眩い光が辺りを包み込み、開きかけた門を閉じました。 「霧絵さん…もうあなたは巫女じゃない。もう…縛られる必要はないの」 私が言うと、霧絵さんは涙を浮かべて小さく頷きました。 そして静かにその瞳を閉じたのです。 『…ありがとう………』 気がつくと、私達は氷室邸の外にいました。 私達の体に刻まれた縄の跡は、跡形もなく消えています。 ふと空を見上げると、たくさんの光が天へと昇っていきました。 ようやく魂が呪縛から解き放たれたのでしょう。 「…霧絵さん……」 私はぽつりと呟き、いつまでも天へと昇る光を見守っていました… 前へ 次へ [しおりを挟む][戻る] |