奥へ進むと、そこには大きな池がありました。 ゴトゴトと音を立てながら水車が回り、灯篭の明かりが辺りをぼうっと照らし出していました。 その明かりの中にあの女性の姿がありました。 闇の中に浮かび上がる桜模様の着物。 「あなたは……あのときの……」 私は思わずそう呟いていました。 毎晩のように見る不思議な夢。 どこかのお屋敷の庭で泣いている女性の姿… 私が夢で見た女性は彼女だったの…? でも、どうして… 私は射影機を胸に抱えたまま、そっと女性に近づきました。 女性は私の存在に気づいていないのか、両手で顔を覆いすすり泣いています。 「あの…」 なるべく脅かさないように声をかけたつもりでしたが、女性はびくりと肩を震わせ硬直しました。 どうしようかと迷っていると、ふと女性が池の方を見つめながらぽつりと呟くように言いました。 『清純さま……』 そして、あろうことか池に向かって駆け出したのです。 「危ない…!」 とっさに手を伸ばし女性を止めようとしましたが、私の手は女性の体をするりとすり抜け、女性はそのまま霧のように消えてしまいました。 「…今のは……何?」 今まで不可思議な体験は数えきれない程して来たけど、こんな事は初めてです。 あの女性が普通の人間でないことはわかっていたけど…でも、他の霊とは何か違う気がする。 「……ん?」 ふと見ると、足元に桜色の綺麗な石が落ちていました。 「紅水晶……?」 あの女性が落とした物なの…? そっと手を伸ばした瞬間、ふわりと桜の香りがして、目の前を桜の花びらが横切りました。 そして顔を上げた瞬間、目の前に一人の男性が立っていました。 "兄さん…!" 思わずそう呟いたつもりだったのですが、声にはなりませんでした。 そこでようやく私は目の前に立つ人物が兄ではないと気がつきました。 その人は古めかしい藍色の着物を着ており、どことなく雰囲気が兄とは違っていました。 とてもよく似てはいるけれど、別人…。 その人は私を見て何か言いました。 でも、その声を聞き取ることはできませんでした。 目の前にいるのに、何故か声が耳に入らない。 (何を言ったの?) そう問いかけたいのに、声が出ない。 それが何だかとても寂しくて、涙が出そうになりました。 そんな私を見て、彼はどこか困ったような表情を浮かべ、そして寂しそうに俯きました。 そのまましばらくの間黙り込み、やがてすっと顔を上げて彼はまた何か言いました。 どんなに耳を澄ましても、声は聞こえない。 彼は何事か言い終えると、静かに背を向けました。 拒絶するかのように向けられた背中に、私はそっと手を伸ばしました。 けれど、その手が触れる前に彼は私から離れてしまったのです。 (待って!) そう言いたいのに、やはり声にはなってくれなくて… 追いかけたいのに、体が凍りついたように動きませんでした。 彼は無言のままゆっくりと離れて行く。 その向こうに大きな屋敷が見えました。 どことなく見覚えのある古い屋敷。 あれは…氷室邸? 彼はどうやら氷室邸へ向かっているようでした。 だけど、あの屋敷は… (行かないで、そっちはダメ…) 祈るように私は心の中で呟きました。 けれど彼は、ただ真っ直ぐ氷室邸へと向かい、深い闇の中へ消えて行ったのです。 前へ 次へ [しおりを挟む][戻る] |