「よかった、間に合って…」 僕が安堵のため息を漏らすと、先生は深呼吸をしてから頷いて言った。 「何度か君の姿を見かけたのだが…途中で見失ってしまって…。私の身を案じて来てくれたのか」 「すいません。もう少し早く来ていれば…」 「いや、君が謝ることはない。私が勝手にここへ来たのだから。…しかし、まさかこのような事態になろうとは、想像もしていなかったがね」 先生は喉をさすりながら鏡に目をやる。 霊の姿はないが、またいつ襲われるかわからない。 「先生、ここは危険です。とにかく一度屋敷に戻りましょう」 僕がそう言うと、先生はそれを手で制して奥の台座へ向かった。 「ようやく最後の一体を見つけたのだが、あと一歩間に合わなかったのだ」 先生はそう言って床に転がった仏像らしきものを拾い、台座の窪みに納めた。 すると、カチリと音がして奥の棚が開いた。 中にはガラス……いや、鏡の欠片が納められているようだ。 「欠片……やはりこれが原因だったのか」 先生はそう呟いて欠片を手にした。 「それは…?」 「まあ待ちなさい。色々と話すことがあるが、まずはここを離れよう」 僕は頷いて、先生と共に屋敷へと戻った。 屋敷に戻り、中庭に出たところで、先生は一冊の本を取り出して言った。 「これはこの屋敷に住んでいた、宗方良蔵という民俗学者が残した書物だ」 "民俗学者の手記" この屋敷に移り住んで一月。 ようやく兄の手掛かりを発見することができた。 宮司の手記だと思われるが、そこに客人についての記述が見つかった。 それによれば、兄は書生としてこの氷室邸に滞在していたらしい。 やはり兄はここへ来ていたのだ。 しかし、兄がこの屋敷を出たという記述は見つからない。 兄は一体どこへ行ってしまったのか… 美琴がどこからか古い書物を持ってきた。 池のほとりに落ちていたと言う。 逢魔が淵には何度も足を運んだが、そのようなものはなかった。 どこから持って来たのかわからんが、その古書によると、この氷室邸では「裂キ縄」という儀式が行われていたようだ。 地下にある「黄泉の門」を封じる為の儀式だと記されているが、詳しい内容まではわからない。 しかし、宮司の手記にあった「縄の巫女」と何らかの関係があるのかもしれん。 もう一度発見した古文書などを調べていくと、「禍刻」という災厄についての記述が見つかった。 「裂キ縄ノ儀式」が何らかの原因で失敗すると、黄泉の門が開き、禍刻が起こるという。 その禍刻を封じる為の鏡、「御神鏡」が氷室邸の奥にある鳴神神社に納められているらしいが、社内にそれらしきものは見つからなかった。 すでに持ち去られた後、というようにも見えたが、一体誰が持ち出したのだろうか。 「御神鏡……それがあの欠片ですか?」 僕が尋ねると、先生は鏡の欠片を取り出して頷いた。 「箱庭にあった宮司の手記には、禍刻が引き起こされた後、この御神鏡で黄泉の門を封じたと記されていた」 「それが…何らかの影響で解けた、ということですか」 「竹内氏の話では、最近この辺りで大きな地震があったと言う。おそらくそれが原因だろう」 そういえば、氷室邸のことを教えてくれた友人が、この地方で地震があったと言っていた。 「これは私の仮説だが、その地震によって本体の鏡を監視する四枚の鏡が砕け、本体の鏡は黄泉の門の負荷に耐えられなくなったのではないか?」 「なるほど…。ですが、残りの欠片は一体どこに…」 「自力で探し出すしかあるまい。この屋敷のどこかにあることは間違いのだから」 「…そうですね」 「しかし、問題はあの白い着物の女だ。彼女が伝承にある縄の巫女だとして、なぜこの屋敷に入った人間を襲うのか…。元より理解し難い事態ではあるが、私はそこが気になって仕方がないのだ」 「はい。確かに、あの霊からは他の霊とは違う何かを感じました」 「…そういう専門的なものは、私より君に任せた方がよいかもしれんな。ではこうしよう。私は御神鏡の欠片を、君は縄の巫女の呪いの原因を探すとしよう」 「しかし、それでは先生が……っ」 「君もわかっていると思うが、我々にはもう時間がない。すでに我々の四肢には呪いの縄が掛けられている。あと一つそろえば、呪いは成就され、我々もこの屋敷をさまよう者達の一人となろう」 「……」 僕は悩んだが、時間がないのも事実。 ここは二手に分かれた方がいいだろう。 「…わかりました。ですが先生、あまり無理はなさらないように」 僕がそう言うと、先生は笑って言った。 「ははは…私も君に心配される年になってしまったか。だが君も、無茶はいかんぞ」 「はい…」 前へ 次へ [しおりを挟む][戻る] |