次の日も、ちゃんと教室にいった。白竜は席替えしても変わらず窓際の席だったけれど、僕は廊下側。この時ばかりは席が離れていることに感謝した。今は顔を合わせることも難しい。白竜の反応を見るのが怖くて、姿さえまともに見られないのに。一緒の空間にいることが地獄でしかなかった。 次の日も、次の日も、白竜と会話どころか目も合わせなかった。僕と白竜の距離はどんどん開いていく。互いに違う人と話し、笑い、壁に気づかない振りをして、それでも何もしない。これでは最初に振り出しじゃないか。いや、振り出しじゃない。白竜はすっかりクラスに馴染んだのだから、もう一人ではないのだ。 放課後も他の奴らと馬鹿やって、ちょっと悪戯が過ぎることをやって教師に見つかって連行された。いや僕はされてない。見つかる前に逃げたから。こういう所は融通きくんだけどなー。どうにも最近は調子が悪い。一人で学校にいてもつまらないので、帰ることにした。明日薄情者って袋叩きに遭うんだろう。ご愛嬌、とはいかない、かな。 階段を降りて生徒玄関に向かうとぎょっとした。白竜が靴を脱いでいたからだ。何で、こんな時間にいるんだ。しかも一人で。ここからでは全く白竜の顔が見えない。夕日に照らされ、髪の色は橙に光り輝いていた。引き返そうかとも考えた。でも体はやっぱり言うことをきかない。 白竜が靴箱を開けると、かさ、という音がして何かが落ちた。手紙だろうか。まあ予想はつくけど。今時そんな古典的な…。 白竜は手紙を拾い上げ、それをじっと見ていたようだった。 白竜がスニーカーを履いて玄関を出る。開封されていない綺麗な便箋が、白竜の手の中にあった。 黒いカーディガンが温かみを放っている。ふわふわの髪にまた触れたいと思った。流れるように風になびく髪に。白竜の姿が見えなくなってもずっと玄関に立ち尽くしていた。不思議と、人は通らなかった。世界にただ二人しかいないかのような錯覚のなか、オレンジに染まる無機質な床を見つめていた。 あれから屋上にも行かず、いちごミルクにも手を付けず、仲間内からも心配された。白竜との仲を詮索され続けたが頑なに口を結んでいると何も言われなくなった。また世界が180度回転して、全く別の世界が出来た。楽しくもない、ときめきも君の笑顔もない、苦しいだけの世界。あの世界は、僕が壊してしまったんだけどね。どうにもこうにもうまくいかない。牛乳のパックがむなしく机に乗っている。正直全く美味しくない。 放課後、夕暮れの時間帯屋上を訪れてみた。予想通り誰もいなくてホッとする。思いつきで訪れたので誰かいたらとても焦っていたことだろう。無意識とは怖い。フェンスの近くに座ってみる。地面がひんやりと気持ち良かった。学生鞄を枕代わりに寝っ転がるとあまりの開放感と気持ちよさにうとうとしてしまった。うたた寝、というやつだ。ああ、気持ち良い。地面と一体になった気分だ。微睡む。意識が溶けて、どこかに飛んでゆく。 ――――――。ふと目を覚ますと、空が紺色で目を見開いた。急いで携帯を開くと7時10分だった。…ぐっすり熟睡したようだ。あと20分で学校を出なければいけない。そんなに疲れていたんだろうか。よっこいしょ、と体を起こすと隣に誰か座っていて思わず素っ頓狂な声を上げた。頭がついていかない。 「、ぎゃっ!」 「…おはよう、シュウ。安眠だったな」 黒いカーディガンが、周りの景色にとけ込んでいる。微笑む彼が横にいた。紺色をバックに、僕の隣に。ばっちり、顔を見た。目も合った。何日ぶりだろう。やっぱり、綺麗な目と顔だなあと思った。 「お、…はよう、白竜」 「ああ」 返事がある。それだけで心は満たされてゆく。それでもやっぱり、ずっと見ることは出来なかった。ゆっくり立ち上がろうとすると、白竜が僕の腕を掴む。地面よりもずっと冷たい温度の手に驚いた。振り返ると、不安そうにこちらを見る白竜が目に入る。僕は立ち上がるのをやめて、座り込んだ。 「帰らないの?」 「シュウが…また、無言で行ってしまう気がして」 「………。」 白竜も僕も俯く。実際白竜の言うとおり、無言で立ち去ろうとしていたからだ。罪悪感はある。けれど、多分もうすぐ学校が閉まる。それまでに出なければ。気持ちが早まる。それは、彼と向き合いたくないから。 何も言わず立ち上がると、白竜も無言だった。俯いたまま動かなかった。鞄を持ち上げるとずっしりと重たい。体に力が入っていないのだろうか。 白竜のか細い声が、耳に届く。その言葉に、体が何かに貫かれた気がした。 「俺は、お前に何か嫌われるようなことをしたか」 していない。掠れた声が出た。していないよ。寧ろ好きだよ。後半は心の叫び。白竜は僕の声を聞き取ったのか、立ち上がって僕の目の前に立った。意思のある目をしていた。 「俺が悪いんじゃないのか?」 「君は何も悪くないよ」 「…何も、ないのにこんなことになってるのか…」 「だって、僕が」 キスをしたから。その事実を思い出し再び居た堪れなくなる。後ろを向くと鞄を引っ張られた。白竜は歯を食いしばっている。泣きそうな目で、こちらを見ていた。手が震えている。小声で嫌だ、と呟く。何で、君はそんなに。 不意に放送が入る。校内に残っている生徒は、速やかに下校をしてください。繰り返します。校内に残っている生徒は―――。 その放送に弾かれたように僕は走った。ドアを蹴り破り階段を二歩で降りる。後ろからも靴音が聞こえる。きっと、追いかけてきてる。このままではすぐに白竜に追いつかれるだろう。仕方ないのでショートカット。窓を飛び越える。靴音が消える。まあ、裏門なんて白竜は知らないだろう。悪友が多い僕だから知っているのだ。…上履きだけど。結局靴取りに行かなきゃいけないけど。めんどくさいけれど白竜を撒けたならそれでいいか。一番星を見つけた。何だか、涙が出てきた。 「シュウ!!」 白竜が走ってくる。あー結局撒けなかったか。白竜相手はなかなか厳しいものがある。白竜は何故か、僕の靴を持っていた。 「…何で靴持ってきたの」 「え?履いて帰るだろう?」 「いやそうなんだけどさ…」 上履き、どうしろっていうのさ。突然意味の無くなった上履きを片手に持ちぶらぶらすると、何だか急におかしくなって笑ってしまった。馬鹿だ。カッコ悪い。自分自身と白竜から逃げ出そうとした結果がこれだ。 「ごめんね、白竜。でもさ、僕を避けようとしない白竜もおかしいよ。」 「何で避ける必要があるんだ?」 「だって僕は君にキスしたじゃない」 「キスは問題ないんじゃないのか」 「え?何で?問題アリアリでしょ」 「キスは、好きな人同士でやるものだと聞いた」 「それ男女限定ね。恋愛的な好きだからね」 「そ、そうなのか!!」 やっぱり。こいつも馬鹿だった。なんだよ。じゃあ何で僕こんなに必死だったの。はーあ、おかしい。何もかもおかしい。でも好きでいてくれてるんだ、僕のこと。期待、してもいいのかな。 「でもつまり、シュウは俺を恋愛的に好きだってことだよな?」 「まあそうだね」 「………好、き!」 「にっぶ…」 今更顔を赤らめる白竜を見て、溜息をついた。学校の裏で何やってんだか。もう一度空を見上げる。田舎なだけあって、明るい星がぽつぽつと主張し始めていた。 なんか、僕たちみたい。 「好きなんだよ、君が相手じゃ僕は太刀打ち出来ない。」 「…その科白は、何度も聞いた。ゴッドエデンで」 「はは、」 「でも好きって言葉は、初めてだ。ありがとうシュウ」 「いや、男に言われて気持ち悪くないの?」 「シュウは気持ち悪くない。シュウなら嬉しい。」 「て、照れるだろ!何で僕だけそんなに贔屓されてるんだよ」 「シュウが最初に俺と一緒にいてくれた人で、一番俺を大切にしてくれた人だから。」 照れくさそうに微笑む白竜。だからその微笑みに弱いんだっつの!ああもう、自惚れても、いいのかな。腰の力が抜けてへなへなと座り込む。何だろうか。これは、告白を受理されたんだろうか。微妙なところだ。まあいっか、何でも。だって君とまた、楽しく会話が出来た。世界が変わった。 「はあ〜疲れた…気疲れ」 「何故だ?」 「君のせい」 「何で俺なんだ」 「だって、何ヶ月君に片想いしてたと思ってるの。もう実はギリギリだったのかも」 「お疲れ様、と言った方がいいのか」 「何とでも言いなよ…って、」 白竜も座り込んで寄り添ってきた。髪、くすぐったいよと避けようとしたとき、白竜の端正な顔がぐっと近付いた。この感覚、前も。 真っ白な肌と赤い目に視界が支配される。リップ音はしなかった。ふに、という感触だけ。唇の温かさと、ふんわりしたそれ。何で、どうして、そんな感情だけ渦巻く。顔を真っ赤にした白竜が地面の石を突いていた。 「俺の気持ちが、伝わってなさそうだったから」 ころころ、と石が転がり、置いておいた僕の上履きにぶつかった。石を取ろうとした白竜の白い腕を掴む。白竜は驚きはっと顔を上げる。真っ暗な中、至近距離で学校裏で座り込んで、キスして、本当におかしいね。両手で白竜の手を包み込むと、白竜が潤んだ瞳で下を見た。長く透き通ったまつ毛が震えている。じんわりと僕の熱が白竜の手に伝わる。 「す、すまんこういう雰囲気に慣れてないというか…」 「幸せだね」 「…ん?」 「僕は、初めて人と接することに本気になれた。人と本気で向き合えた。暴力で訴えちゃうこともあったけど、自分を見つけることが出来た。全部、君のお陰だよ。君のお陰で、自分に素直になれたよ」 今までで一番、自分は心の底から笑っていると感じた。手が温かさを取り戻す。このままぬくもりが消えないように。この触れている存在を忘れないように。白竜は、何かを噛み殺すように息を吐いた。 「俺も、人と接することの楽しさを知った。人を愛することを知った。ありがとう、シュウ。好きだ」 「…うん、僕も君が好きだ」 しばらくしっとりとした雰囲気のなかで二人座っていたが、帰ろうかと僕が言うと白竜は素直に立ちあがった。綺麗な星空の下で、恋人と一緒に帰る。上履き付きだけど。そこはスルーの方向で。 「…ところでさ」 「?」 「白竜の靴箱に入ってた手紙、ラブレター?」 「み、見てたのか…」 「告白された?」 「ち、違う、ラブレターじゃない!」 「え?じゃあ…」 「剣城から。もうゴッドエデンには戻ってくるなって。…そんなこと言われなくても戻らないのにな。居場所がなくなっても、虐められても、絶対戻ってくるな、という内容だった。」 「…剣城くんも、君のことが大切なんだよきっと」 「そう、なのか…?」 「そうだよ。僕とは違う種類の“大切”」 君は、君が思っている以上に大切にされているよ。そう告げると、ぎゅうっと抱き締められた。背中に回された腕がふるえていて、僕の顔にかかる髪もふるえていて。 涙声で、白竜はありったけを吐き出してくれた。 「心から思う、俺は幸せだ。本当にありがとう。」 星空が、どこまでも広がっていた。 そうやって、時は過ぎて、平和な日常も過ぎて、一年経った。僕はまた窓際の一番後ろの席を手に入れた。珍しく早起きしたのではやい時間に学校に来てみたのだが、誰もいない。つまらないなー。なんて。がらり、と戸の開く音がしたけれど日照りが気持ち良すぎて顔を上げるのも億劫だ。すぐ前の席から椅子を引く音がした。 ぼんやりとした視界に、青みがかってウェーブの入った長髪が入ってきた。ああ、君か、なんて笑って。僕の机に何かが置かれた。あー、いちごミルクだ。心躍る。 「おはようシュウ、今日は早いんだな」 「うん、はやく君に会いたくてさ」 サプライズ、たまにはいいかもね。ありがとう神様。 これにて終幕。 閲覧ありがとうございました! |