小説 | ナノ








僕が嫌々ながらにそのような場所に来た日、遊廓が建ち並ぶそこで大規模な火事があった。色とりどりの建物が真っ赤に染まってゆく。目を奪われた。
シュウ様、と付き人の焦る声。その声とは反対の方に僕は自然と歩を進めた。何故か行かなくてはならぬ気がした。







ぱちぱち、と炙る音があちこちでする。火の海には人っ子ひとりいない、と思っていたのだが。はた、と路地裏に目をとめてみるとぼんやりと人影が見えた気がして慌てて立ち止まった。

暗い路地裏に一人、誰か座っていた。こちらに気づいているようだ。上品な着物に身を包む人。近寄ってみると何から何まで白い。例えるなら、鈴蘭と言ったところだろう。長い髪を結い、下の方だけが薄く青みがかった髪の色をしている。こちらを睨みつける瞳の色は、燃えるような赤だった。異様ななりに、僕は息を詰める。



「…なんだ貴様…」


低い、唸るような声が響く。どうやら男のようだった。全く男に見えない。




「このままじゃ焼け死ぬよ、逃げないと」

「嫌だ!」

「死ぬつもりなの?」

「…何の価値もない人生なら…ここで終わらせる…!」



火の勢いが強くなってきた。ここが灰になるのも時間の問題だろう。
目の前の男は動く気配がまるでなかった。狼のように威嚇し続ける。ここで死ぬつもりなのだろう。意志のある目をしていた。



「僕は、君みたいな綺麗な人が死んでいくのを見たくはないな」

「綺麗とか、聞き飽きた。どうでもいい」

「…なら、僕も一緒にいていいかな。」

「何で…」

「何となくだよ。一人にしたくない。それだけ。」

「お前が死ぬぞ」

「いいよ、君と死ぬ」



正気じゃない、と男が首を振った。そうかもね、と隣に座る。火がすぐそこまできていた。すごく暑い。し、熱い。こんなことまでして、確かに正気じゃあないな。ぎりり、と隣で男が奥歯を噛み締めた。



「頭おかしいぞお前」

「知ってるよ」

「なんて後味の悪い心中だ」

「なら逃げればいい」



白髪の男はこちらを見た。先程のように睨んではいない。眉を八の字にし、困った顔をしている。不覚にも可愛かった。しかし、見れば見るほど美形だ。肌は透き通っていて火の中に雪があるような錯覚を覚える。
男は苦しそうにこちらを見て、よろよろと起き上がった。そして僕の腕を引き、立ち上がらせる。



「自分が生きていることより、お前が死ぬことの方が嫌だって思った。だから、今だけは逃げてやる」

「そう、よかった」

「ふん、」



火のせいでよく見えないが男の頬にはほんのり顔に朱が灯っている。男の下駄があまりに走りにくそうだったので、代わりに自分の草履を履かせた。なんだこの下駄…すごく重い…。これで歩くのか。
仕様がないので片手に下駄を持ち、片手で男の腕を引く。男は慌てふためき、けれどずっと走っているととても楽しそうに笑った。



「下駄を履かないで外に出たのなんていつぶりだろうか」

「うっ…煙吸い込んだ、ゲホ、」

「おい、死ぬなよ!」

「死なないよ、君が逃げてくれてるんだから、ゲホッ」

「何言ってるんだ馬鹿…喋るな」



やっと表通りの方に出てきた。野次馬や、火消しの人だかりが見える。よかった、助かった。男に微笑みかけると、男も嬉しそうに首を僅かに傾げた。
付き人がこちらを見つけて駆け寄ってくる。悪いことをしてしまった。



「シュウ様!何をしているんですか!?探していたんですよ!?」

「あ、ちょっと人助け…」

「当主様が心配しています、はやく戻りましょう」

「え、あ、けれど…」



繋いでいる白い手、そして赤い顔で息を切らす男を仰ぎ見る。草履を履いているのでさっきより幾分小さく見える。
次の瞬間、手が離れた。男も何が起こったのかわからない、という表情をしている。男の後ろに、青い髪のつり目の男がいた。金色の目が鋭く光る。つり目の男も鮮やかな着物に身を包んでいる。仲間なのだろう。



「お前…何してた」

「助けてくれたんだ、この人が」

「そうか。…白竜を連れてきてくれたそうだな。礼を言う」


つり目の男は頭を下げ、白竜、と呼ばれた男の着物を素早くぐいぐいと引っ張った。二人は深い闇の中へ消えていった。火は消えない。あの男の着物のようにずっと赤を称え続けていた。


「シュウ様、その下駄は…」

「あ、忘れてた」


重い下駄が彼のものであったことをすっかり忘れていた。
いつかこれを返しに行けたらなぁ、と心の中で思う。白竜、か。

付き人に急かされ重い下駄をしっかりと抱えて、歩みを速めた。















それから程なくして、遊廓街は再建を始めていた。別の小さな遊廓の建ち並ぶ町に遊女たちは移動していたらしい。
僕は興味ないのにこの場所に来なければならなかった。

何故なら、ここは父の土地だったからである。国が保有している遊廓がある土地は父の物だったのだが、国が土地を買い取り、尚且つ父がその土地を管轄している。最近病により床に伏せがちになっている父に代わり、将来父の後を継ぐであろう僕がこうして不正がないか直々に監視しに来ているわけである。
本当はこんな雄と雌のにおいが色濃い場所になんか来たくない。けれど仕事なのだから仕方ないと割り切っていた。あと、あの男に下駄も返さなければならない。




色々な遊廓で白竜という男の聞き込みをしたが、決まって知らないの一点張りだった。見たところ知らなさそうな雰囲気ではないのだが、触れてはいけない部分なのだろうか?
どうしようもないので、途方にくれて町の端の方へ歩く。すると、周りの空気が一変し、何か嫌な気を感じた。思わず歩みを止めたほどだ。


女の華やかさがない。突き刺さる鋭い欲望の目。なんだここ、ああ、聞いたことがある。ここは男娼の館の一角だ。
なる程、それなら白竜という男の格好も納得出来る。あの男が、ここで働いているのなら。



試しに中に入り、白竜のことを聞いてみた。番頭らしき人物は白竜を知っていたようで「お偉い様があいつに何の様ですか」と目を丸くしている。
下駄を返したいだけだ、と言って差し出すと番頭は唸った。三枚歯下駄、と小声で洩らし此方で少々お待ちください。と店番を離れる。

少ししてから番頭が戻ってきて、特別に話出来るようにさせました。と笑った。話出来るようにさせたとは、どういう意味だろうか。わからない。









「来てくれたのか」



通された部屋に、息をのんだ。まさに豪華絢爛、としか言いようのない一室だったからだ。上座に腰掛ける白竜が屈託無く笑った。あの時と同じ着物を着ている。髪飾りなど一切していないのに何故こんなにも華やかに感じるのだろう。
上座にいる、と言うことは。彼は。



「そんな高い位の人間だったのか。差し詰め花魁ってところか」

「そっちこそ。見たところ国の犬だ」

「違いない」



ふふふ、と二人して笑った。確か花魁とは初見と次の回の時は会話出来ないと聞いた。だから特別に、と言うことなのか。



「先に下駄を返しておくよ。直接受け取れないなら番頭に預けておく。取りに来るといい」

「そうさせてもらう。…わざわざありがとう。下駄もな。後で返す。あと、この間は碌に感謝が出来なかった。すまなかった。」

「そんな、感謝されることはしていない」

「俺は、お前を待つ楽しみが出来た。それまでこんな退屈な檻大嫌いだったけどな」

「また来いって言うんじゃないだろうな」

「まさか!安易に催促できるほど俺は安くない」




白竜がくつくつと笑った。初対面とまるで違うなぁと思う。なんて美しい髪なんだろう。明かりの下で見る彼の美しいこと。
その存在の遠いこと。


憂いを帯びた目で、白竜はじっと見据えてきた。沈黙。どうしようもない距離を感じた。




「素直に物申すと、俺はまだ死にたいと思っている」

「そっか」

「…でも、もう一方で俺が死に近づく時に、お前が助けてくれることを期待している」

「どうだかね。来てあげたいけど」




僕がひらひらと手を振ると白竜は曖昧に笑った。未練があるのか。この世ではなくあの世に未練があるとは、なんと道徳に反しているのだろう。まあ体を売る商売をしている奴に言う言葉では無いのだが。




「芸者でも呼んだらどうだ。羽振りの良さを見せないと花魁と寝ることは出来ないぞ」

「お生憎様、君と寝る気は全くない。」

「そんなことは知っている」

「言葉遊びは好きじゃないんだ」



白竜がばし、と広げた扇子には白蛇が描かれていた。上質な和紙であることが窺える。扇子で口元を隠すと、女にしか見えなかった。



「俺は好きだ。だから付き合ってもらう」

「気位が高いね。それで値打ちモノだって言うんだから才能だ」

「俺の存在は究極だと云うことだな」



声高に言っていても過信に聞こえないのが恐ろしい。どうやら白竜は相当自分に自信があるようだった。



「君には何でもあるね。なら何故死のうとしたんだい」

「何でもある、だと?」



ここにきて初めて白竜が機嫌の悪そうな顔を見せた。最初に会ったときのような顔だ。



「何にもない。自由も、輝ける過去も未来も。汚れた現在しかない。こんなに着飾っていてもどす黒い部分は見え隠れしているだろう。」

「そんなことない。僕は君を初めて見たとき、君を素直に美しいと思ったよ。」

「見かけ倒しでしかないんだッ!変えられない運命なら、途絶えさせた方がましだろう!」



あろう事か白竜は扇子を投げつけてきた。意外と手癖が悪い。顔の前で掴むと白竜はとても悔しそうな顔をした。



「…君は恵まれていると思うよ。境遇と性格以外は。」

「……自分でも、性格がどうしようもないことは分かっている」

「それも君じゃない」

「お前みたいな性格に生まれればよかったのに。」

「そうだったら、君は今ここにいないね。」

「そうだな。」



あ、また笑った。笑った方が似合うのにな。ころころ表情が変わるのが面白くて、僕まで笑ってしまった。


「やっぱり、死ぬんだったらお前と死にたい」



閉じた目の睫毛が長い。感嘆のため息すら出そうだ。同じ男なのにここまで違うとは。尊敬すらしてしまいそうになる。
薄く桃の色をした唇が甘ったるく言葉を紡ぐ。ああ、あれなら確かに抱きたいと思うだろう。吸い込まれそうな赤い瞳、雪のような肌。男を誘う武器を兼ね備えている。




「僕はまだこの世に未練があるから、死ねない。死ぬなら一人で逝け」

「なら、未練なんかどうでもよくなるくらいお前を惚れさせてやる。覚悟しておけ。」



僕を指差し笑う彼が、狐のようで。獣のようで。蛇のようでもあり。飲み込まれてしまいそうな感覚にも陥り。それでもまだ抗ってみたり。なんて我が儘な獣だろう。実に愉快だ。

反抗的に笑い返すと、唇をぺろりと舐めた。薄い唇が扇情的だった。










(愛が欲しいのに体を売るとはえげつないことをすると、あなたはいう)

(けれど、気安く売る体ではないと)

(心だけは気高いのだと)







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