小説 | ナノ










ある日の昼間、大学から帰るとマサキが所謂昼ドラというやつを見ていた。妙に真剣な目つきで、けれど何も見ていないかのような。話しかけるのを躊躇うほどだった。
どんなアルバイトをすればよいかマサキに相談しようと思っていたのに。





「…ただいま」

「恋愛は、」

「ん?」

「恋愛は、何のためにするんですかね?」

「…ああ、」

「道を踏み外すためですか?」




ちょうど昼ドラは濡れ場のシーンで、お世辞にも綺麗な話とは言えないようだった。マサキはフェードアウトしていく画面を白けた顔で見つめて、番組を切り替える。すると今度は芸能人の浮気特集。世も末である。





「誰かに愛して貰わないと生きていけない奴だっているだろ」

「ご主人様も、ですか」

「俺?…俺は…どうかな、逆に疲れるかもな」

「疲れる?」

「こんな顔だからどっちからも迫られるわけ。こっちは遊びのつもりでも向こうは真剣だから。疲れる。」

「そうですか」





マサキはまたテレビに向き直り、無表情のままじっと凝視していた。きっとマサキは恋愛を知らない。恋愛はそんな簡単に諦めたり一歩引いた目線で見られるものじゃない。自分が経験してしまったら最後、主観でしか動けなくなる。自らでは客観的に辿っていると思っている道は、大体主観である。俺の経験上。
うーん、そういえばこいつは俺のこと何も知らないんだよな。





「マサキ」

「はい?」

「昔話をしてやろう。」

「えー、」

「いいから聞け」







好きな人がいました。でも好きな人は俺を好きではなくて、でもいつも一緒にいました。汚い心を見せたくなかった自分は、彼を忘れようと努力して、努力して、努力して、そして次第に忘れていきました、とさ。



俺の話を聞いたマサキはさもつまらないというように口を尖らせている。




「ありふれてますね」

「男同士ってところが変わってるだろ」

「まあ…?」

「相手は神童だけどな」

「え、…あ、ええ!?」





やっぱり、そんな反応すると思った。ぽかーんとしたまま固まってしまったマサキを揺り動かすとハッと意識を取り戻すマサキ。最近行動が更に人間くさくなっている気がする。





「神童さん、のこと好きだったんですか」

「まあな、今は全然だけど」

「…辛かったんですね」





何を察したのか、マサキが俺の背中にぴったりと張り付いた。心臓の音が聞こえないことに違和感を覚える。あの安堵を覚える音が、聞こえない。




「だからな、恋愛ってのは一括りに出来るものじゃないぞ。恋してりゃ幸せ過ぎて天にも昇れる気持ちになるときだって有るだろうし、生き地獄を味わうときもある。」

「………。」

「してみろよ、きっとお前が思ってるよりもいい感情だ」




言った直後に、そもそもダッチワイフは恋愛感情があるのか、恋をされたら自分が色々と面倒な立場に立たされるんじゃないかと次々と疑問が脳内に浮かんで消えた。が、至って本人は真面目に受け止めていたようで、硝子のような目をぱちぱちと煌めかせた。さっきの死んだような目とは違ったので、安心した。






「…わかりました。恋愛、出来るように頑張ってみますね!」

「別に頑張ることじゃ…」

「スウェットを着ることよりも楽しいことなんですかね?」




にこにこと満面の笑みを浮かべるマサキを見て、昔の無垢な自分を見ているような気持ちになった。写真に写った自分を指の腹でなぞっているような、そんな歯痒い気持ち。マサキの頭をがしがしと撫でる。マサキは意味がわからない、と言うように困った表情を浮かべたまま大人しくしていた。
この前までは、触れることも許されなかったのになあと呑気に考える。





「お前は人間じゃないから、恋愛はつらいかもな」

「ちょっと!恋してみろって言った直後にそれですか!?」





俺の無責任な物言いは、誰かの心を引き裂くのだろうと少しだけ思い巡らした。
楽しそうにバラエティー番組を見るマサキ。俺だけが物を口にして、俺だけが風呂に入り、一緒にいるのに、生きてるようでいて生きていない。

マサキを何気なく受け入れていてしまったが、もしかしたら俺はとんでもないことをしているのかもしれない。自分が考えているよりもずっと、大変な状況に座り込んでいるのかもしれない。





「マサキさあ、ここにいるの楽しいか?」

「えっ?楽しいですよ!スウェット着られるし!」

「そっか」

「…工房には、戻りたくないです」




小さなマサキの呟きは俺の耳に届かず、蒸発した。

アルバイトどうしよう。求人情報の冊子をテーブルの上に置いたまま、俺はベッドに入らず眠り込んでしまった。






















「…あー…」




講義をサボってしまった。結果的に。何故なら起きたのは翌日の午後二時。午前しか講義の入っていない日だったのか不幸中の幸いといったところか。マサキはというと、驚いたことにベッドではなく俺の隣で寝ていた。安眠に浸るマサキを見て眉間に皺が寄る。





「……あー!もう!初サボり!」

「ぅうえっ!?」




がばりと体を起こすとテーブルの上の散乱具合は昨日と全く変わらなかった。俺の大声で顔だけを上げるマサキ。ってか何でこいつ隣で寝てんの…。





「お前さ…何でベッドで寝ないわけ…」

「…ひ、ひとり怖くて…」

「だから何でダッチワイフに怖いなんて感覚あるんだよ意味わかんね…」




頭を掻きながら何気なくテーブルを見ると求人誌が目に入った。そういえば決めなきゃなー、どうしよう。




「なー、アルバイトしなきゃいけないんだけどさ」

「はい?はい」

「何がいいかなって」





マサキは腕組みしてうーんとうなり始めた。…そんなに考えることなのだろうか。ぱっと顔を輝かせてこちらを見る。





「恋愛相談所!」

「………。」





聞かなかったことにして求人誌を手に取った。適当にバーなどでいいだろう。夜なら講義とかぶらない。
てっきりマサキが俺の態度にブーブー文句を垂れると思ったのだが、予想に反して求人誌に釘付けだった。




「全部、働くところですか?」

「え?ああ、うんそう」

「すごい…」




お菓子の山を見つけた子供のように期待の籠もった目。何にでも興味があるのはいいなと思った。




「これ!時給2500円から、ですよ!」

「まず女性限定だし、怪し過ぎ」

「ご主人様ならいけますって!」

「嫌だ。売りとばされたら困る。」




いやそんなことはないと思う。けれど。そこで彼は爆弾発言を投下した。






「俺ならいけるかな…?」

「は…?」

「だって、ご主人様お金欲しいんですよね?俺なら疲れないし、怪しい仕事も大丈夫ですよ!」





確かに、彼なら。化粧次第で女のようになるだろうし、危ないことも切り抜けられるだろう。きっとちゃんと稼いでくれる。
…けれど昨日話した恋の夢。汚れた世界を見たらそんなことは考えられなくなる。恋を楽しいとは考えられなくなる。恋は逆手にとるものだ、利用するものだと自然と学んでしまうだろう。屈託のない笑顔と時給2500円を引き換えにするか?







「だめ」

「えー?だって俺なら…」

「だめったらだめ。俺はバイト、お前は家事。弁当作ってくれるだけでも助かるから。な?」

「………。」





マサキは口を噤んでむすっと背を向けてしまった。アルバイトがしたかったのか、家事がやりたくないのか。そういえば一度料理をさせてみたが破壊的な不味さだった。味覚が備わっていないので味見をしようがない、仕方のないことなのだが。





「…頼りない、ですか」

「頼りない?」

「要らないですかね、俺」





ぽつり、ぽつりと言葉が落ちた。寂しげなマサキの背中が孤独を語る。




「何でいきなりそんなこと、」

「俺、俺…ですね、ダッチワイフ、なんですよ」

「知ってる」

「セイテキに遊ばれるだけの人形なんです。」

「そうだろうけど…」

「…俺のうまれた工房が怖かったんです。リアリティ、っていうんですか。人間そっくりの顔が、ばーって並んでるんですよ」





マサキの前に立った。気のせいか顔面蒼白に見える。元々血の気のないカオはしていたけれど、こんなに血色の悪い顔は初めて見た。




「体の部品の隅から隅まで全部見られるんです。欠陥があったらまずいんで。」

「うん」

「俺は、人並みの羞恥心があるんです。でも作りかけだから自由に四肢を動かすことなんて出来ない。目玉さえも。わかりますか、この気持ち。最終的には人の手で検査をするんです」






俺の気持ち、わかりますか。顔に埋め込まれた水晶体が俺の姿を映して、揺れた。





「そういうことをするのは嫌なんだ…けれどそういうことでしか俺は必要とされない。本当に、嫌ですこんな自分…助けて…」







ああ、成る程。必要とされたいのか。理性があるから性行為は拒否をするけれど、本当は葛藤していたんだ。嫌でもやれよとちょっと前の自分なら言っていただろうが、今の自分では何故だか言う気になれなかった。

小さくうずくまり動かないマサキの前にしゃがみ込み、マサキの頭を撫でた。マサキがどんよりとした瞳で俺を見る。こんなマサキは初めて見た。無意識に心をえぐられた気がした。






「必要ない、なんて思ってないよ。俺は」

「………。」

「捨てもしない。高かったんだぞ」

「…………」

「だから、だよ、だからバイトとかさせたくないんだよ、それくらい分かれ馬鹿!!」





最後の方はいらっとして傍にあったクッションを頭に投げつけた。だってうだうだうだうだ五月蝿い。俺がこんなに気を遣うのなんて神童が泣いたときくらいだ。
無理矢理マサキの顔を上げると、泣くのを堪える子供のような表情をしたマサキと目が合った。
今にも大粒の涙が零れてしまうのではないかと錯覚してしまいそうな、そんな目。だが人間ではない。





「必要、なく、ない。」

「うん。だから料理よろしく」

「不味くていいんですか。俺、味付けとか上手く出来ませんよ」

「うん、いいよ。許す」

「いて、いいんですか?」

「料理つくらせるのに出ていけって言うかよ」






マサキが口を開いて何かを言おうとぱくぱく動かして、それが声にならないまま、ぎゅう、と俺に抱きついた。こいつからのこんなに激しいスキンシップは初めてかもしれない。押し倒されるとか考えないんだろうなー。何だか酷く複雑な気持ちだった。






その夜。マサキの作った麻婆豆腐は何でこんな味になるのかってほど不味かったけど、心は満たされたのでよしとしようと思った。






「どう?おいしいですか?」

「んー不味い」

「えー!!」






微妙な関係のまま、時はすぎてゆく。夜は更けてゆく。無邪気に笑うマサキとバイトの面接の日時を書き記したスケジュール帳を交互に見ながら、俺は何か幸せの塊のようなものに沈み込んでいるのだと気がついた。








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