小説 | ナノ










ゼロ計画の最中の出来事。早朝、僕は眠れない体のままふらふらとシード候補生の宿舎の中を彷徨いていた。朝から晩から昼から暇であるし、しかし今は天馬の様子を見にいくには些か時間が早すぎる。多分今頃はお仲間さんとぐっすりだ。目的のない散歩に飽きてきた頃、耳をつんざくような悲鳴が宿舎中を駆け巡った。


好奇心に負けて悲鳴が聞こえた方へ歩いてゆくと、見覚えのある部屋の前に来た。ここって、あれ?じゃあさっきの声って、


思考を遮るようにしてドアが乱暴に開いた。中から顔を出したのは、息を切らし髪を乱した白竜だった。ウェーブがかった一束の髪が胸のあたりで揺れている。つまり白竜は、髪を結んでいなかったのだ。




「…おお」



何だかとても新鮮なものをみた気がする。思わず感嘆の声をもらした。安っぽい言葉だけれども、綺麗だ。いつもいつも何も喋らなければ美人なのになーと思う。シード候補生の皆も思っていることなのだが、本人は全く気づいていない。
その本人は黒いジャージを穿き、よれよれのいかにも寝間着に使用していたであろうTシャツを着ていた。しかし目は冴えて、しっかりと足を踏みしめている様子から寝起きではないと分かる。しかし見れば見るほど今の彼はぼろぼろだ。何かしていたのか…?




「…ないんだ」

「何が?」

「ゴム、が」




白竜の絞り出すような言葉に、僕は首を傾げた。
ゴム?ゴムって何だろう。新しい玩具かな。いや白竜は玩具とか興味ないしなあ…。子供のくせにね。泣きそうなくらいに気落ちした白竜の姿は何とも同情を誘う見てくれで、僕は何故か探すのを手伝わなくてはという使命感に駆られた。
いや、当てられていたのかもしれない。髪を結んでいない白竜はなかなか中性的で、獲物を引き寄せる危険な毒を孕んでいるように見えた。




きっと、そのゴムとかいうやつをずっと探していたんだな。さっきの悲鳴はそのゴムが無くなったことに驚いたのかショックを受けたのかどちらかだろう。




「探すの、手伝ってあげる」


白竜は一瞬顔を明るくしたが、すぐにがっくり肩を落とした。




「有り難いけど、部屋中探し回って見つからなかったんだ」

「盲点ってものがあるかもしれないじゃない。…ところで」

「なんだ」

「ゴムって何?」

「へっ」




白竜の目が点になる。正直その反応は飽きた。昨日へでぃんぐって何って訊いたときや、豆腐を食べてこんな美味しいものは生まれて初めてだって言ったときや、川で魚を鷲掴んだときと、まるっきり同じ顔でまるっきり同じ声を出されたからだ。



「…ゴムを知らないのか」

「仕方ないでしょ!ここにはそんなものなかったんだ」

「ゴムは、俺がいつも髪を結んでいたものだ」




ちょんちょん、と後ろ髪の付け根を指差す。ああ、みょんみょん伸びる輪っかの髪飾りか。
…あれをなくした?






「なんであんなものなくすの。腕につけておけば…」

「毎日そうしてベッドに入っていたんだけどな。何故だかなくした」




うーん、だから髪を結んでいなかったのか…。
白竜の態度は完全にお手上げ状態であることを表していた。しかしまずは探してみないことには次の手筈も決められない。僕は何の戦力にもなりそうにない白竜を置いて部屋を物色し始めた。







「…うーん…」




ない、ない。それらしいものが何処にもない。がらんどう、と言っても過言ではない白竜の素っ気ない部屋からゴムを見つけるのは容易いことだと思っていたのに。ベッドの横にでも落ちているかと思い、ベッドに乗る。と、軋んだ音がして何だかいけないことをしているような気分になってきた。だってよくよく考えてみれば白竜の部屋に入るのさえ初めてだったのに。

起きぬけの乱れたシーツと掛け布団を見てあああ、と顔を覆いたくなった。もうどうしよう、なんかゴムどころの話ではなくなってしまった。霊になってなお、僕の体は男としての本能を抱えていたのである。





「どうかしたか?」

「、わひゃ、」




僕と一緒にベッドの横を覗き込もうと、ベッドに乗っかってきた白竜を見て更に動揺してしまった。だって彼はいつも僕に晒すユニフォームを身に付けておらずただの部屋着で、長い後ろ髪が首や顔にかかって女性のように錯覚してしまったのだ。
女性と一緒にベッドに乗っている男性の心境は、荒れ狂う渦潮と大して変わらないということを理解していただきたい。…相手は女性じゃないのだけれど。

僕の可笑しな様子に白竜が怪訝な顔をする。ちょっと、それ以上近寄らないで、よ!




「見つかったのか?」

「う、ううん。ない…」

「やっぱりな…確かに夜まで髪を結ぶのに使っていたから、部屋の中にあると思うんだが」





白竜の声を出したときの振動が直接肌に伝わってくる。波打つ水面のように静かに、とんとん、と存在を主張している。白竜はまだ僕の言動の不可解さに疑問を抱いているようで、ちらちらと横目で見てきた。触れた場所が温かい。命の営みを感じた。




「ゴム、ないね…」

「…ハア、」

「どうしようね。替えのゴムってないの?」

「ない。そんなものは持ち込んでない」




持ち込んでいない、か。ふと彼はあのゴム一つしかこの孤島に持ち込んでいないのではないかと想像した。自分の体一つでこの場にきたかのような。
そういえば、僕は彼の事を何も知らない。そしてまた彼は僕のことを何一つ、知らない。


束の間の沈黙が訪れた。…二人してベッドの上で何をしているんだか。ため息がもれる。
何を勘違いしたのか白竜は自信なさげに怖ず怖ずと切り出した。




「…す、すまん。探して貰ったのに結局…」

「へっ?え、いいよいいよ、無いと困るのは君だから頑張って探さないとね」

「でも…これだけないのに探しても」




珍しく消極的な白竜の髪にそっと触れた。思ったより弾力があってふわふわしている。僕の行動に驚き戸惑う彼のその胸に手を当てるとばくばくと鼓動していた。



「あったかいね」

「…シュウ、何か今日お前おかしいぞ」

「僕はいつもおかしいよ」





だから正常だよ。ずい、と近付くと白竜はベッドに後ろ手をついた。ふふ、逃げ腰。落ち着いたと思われた心がむくむくと鎌首をもたげて、それでいて止まらなくなって、せき止めていた気持ちが。
何時の間にか僕は笑っていたようだった。白竜の喉仏がひきつったように上下して初めて気づいた。多分僕は死神のような残忍な笑い方をしていたんじゃないかな。憶測でしかないけれど。






「ご、ゴムを探すんだろう?」

「そうだけど…」





焦れったい。白竜ってこんなに大人しそうな見た目だったっけ?ううん、絶対髪型のせいだ。完全にこの姿に酔ってしまっている。生きた人間、血の通った体、強い、存在。ああだめだ、これは、逃げられない。白竜の頸動脈に指を滑らせると意図が掴めない白竜は僕の指の冷たさに体を強ばらせた。





「…う、ぃ…つめた、」

「白竜はさ、血潮に満ちてるよね」

「血潮…?」

「熱気というか、情熱とかさ」




首の太い管がどくんと動いた。ここを傷付ければ、生命を絶ってしまえば、僕側にきてくれるんだろうか。きてほしいなあ。…けれど彼は多分何を考えることもなく、一瞬で成仏してしまうだろう。それにこっち側だから、好いのかもしれない。こっち側だから白竜は白竜なんだ。
相も変わらず、妙な色気を振り撒く白竜から視線を外して、当初の目的を思い出した。





「あ、ゴム探そうゴム」

「お前が勝手に遮ったんだろ」

「ごめんね。探すって言ったのは僕なのにね。」

「全く…今日のお前は本当におかしいぞ」




ぷんぷん、という効果音が聞こえてきそうなほどに、白竜の怒った顔はなんだか可愛かった。
生き物に惹き寄せられている。勿論惹き寄せ、なんて字体はないのだけれど、惹かれているのは事実なんだ。口ではゴムを探すなんて言っておいて、僕は白竜に体を擦り寄せる。いい匂いだなあって考えながら。鼓動の音が心地好いんだ。僕まで生きているんじゃないかって錯覚しそう。ずっと錯覚していたいよ。






「…シュウ、いい加減に…」

「ごめん、」

「………シュウ?」

「ごめんね。白竜があまりにも、僕と違うからさ」

「誰だって違うだろう」

「そういうんじゃなくて、持っているものが根本から違うっていうかさ…」

「…よくわからない…お前だって十分強いじゃないか。俺ほどではないが」

「…君、やっぱりすごいよ。」




僕にないものばかりを持っているよ。胸の中に赤くて熟れた活きのいい林檎を飼っていて、ガラス玉のような目を忙しなく動かしてきらきらと光らせて、白い腕と脚を巧みに動かして、それから、…やっぱり生きているってこと。





「白竜、生きてるって、素晴らしいよ」

「は、?」

「やろうと思えば何だって出来るんだ…」




僕の数々の淡々とした語りに呆れかえったのか、白竜は遂に僕の言うことに耳を傾けなくなった。黙ってクローゼットを開ける。僕がおかしいって思われてるのかな。




「ねえ白竜」

「今度は何だ…」

「君が、好きかもしれない」

「……どうにかなってしまったようだな。病棟を案内してやろう」

「生きてる君が好きなんだよ」

「……」

「だから死なないで、ずっと輝いていてよ」

「何だかもうさっぱりだ」

「君は僕と違うから、何処へだってゆけるよ」




だってずっと、君は輝いていたもの。これからも輝くだろうね。だって君は、僕が選んだ人だからね。
生きている何億から、君を選んだからね。

でも天馬が別格だってことは白竜には言ってやらないんだ。白竜はアッチ側が気に入らないんだもんね。






「まあ俺は究極の完全無欠だからな!」

「…ゴムないのに調子取り戻してきたね」

「…ゴムどうするか」





うーん。二人してベッドの上で唸る。しかしこの状況…、ただの恋人だよなあ。さしずめ、僕は彼女の家に居座る彼氏ってところかな。…彼氏か…。

彼女のベッドに座り続ける彼氏ってどうなの?彼女からしたら嬉しいの?
…じゃなかった、ゴムだよ。あーあ、もういっそのことゴムは使わないとか…。




「…このまま一日過ごすか」

「えっ、やだよ!」

「な、何故お前が嫌がるんだ!」

「嫌なんだもん!見せたくないよ!特に牙山とか、牙山とか…牙山に…」

「何か恨みでもあるのか…」

「いや、別に」





兎に角、髪を結んでいない白竜を見たら結構衝撃を受ける。ので見せたくない。




「いっそ切ってあげようか?後ろ髪」

「断る」






それから暫くして青銅が部屋の前に落ちていたとゴムを届けに来た。二人して何故部屋の前に?と疑問符を浮かべるが結局解決せず。
…というか、探し回った僕達の労力は無駄だったわけだ。




「…もうみんな起きる時間になってたんだね…」

「おいシュウ!」

「な、なんなのすごい剣幕で…」

「青銅に朝デートもほどほどにしろと言われたじゃないか!デートって…デートってお前…」




デートってどういう…あ、そういうことか。顔を赤らめている白竜を見て直感した。
ぎゃーぎゃーと鳥のように五月蝿い白竜に、先程のように笑ってやると彼は顔をほんの少し強ばらせた。




「デートだったじゃない」

「なっ…」

「うんデートだった。ゴムを探すデートね」

「………!」

「白竜の肌、すべすべだった」

「あー!うるさい!もういい!」




相変わらず真っ赤な顔だ、と眺めていると耳まで朱に染まっているのに気づいた。うぶだなあ。なんて。こんな見た目なのにこんな風にしか考えられないから。




「白竜、」

「……」

「またデートしようね、約束」






僅かに、白竜が頷く。かわいいね。
生きてるっていいなあ。僕は心底白竜の胸の中の林檎を羨ましがっている。













title by:心臓






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