小説 | ナノ





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お腹が痛くて、吐き気もした。特にストレスなんて感じていないし、心当たりも全くない。何でだろう。悪いものでも食べただろうか?
最近ルームシェアし始めた霧野先輩に相談してみたら、気づかないうちに無理をしているんじゃないかと心配された。霧野先輩は過度な心配性だということをすっかり忘れていた。



翌日、熱が出たので講義を休んだ。輝君とペアでプレゼンテーションだったので、輝君には本当に申し訳ないことをしたと思った。剣城くんからそっけない、けれど心のこもった大丈夫か?というメールがきた。体が怠くてメールを打つ気力すらなかった。ありがとう、ごめんね。と思いながら目を閉じると、薬のお陰かすぐ眠りにつくことが出来た。

目が覚めると、霧野先輩が冷却シートを俺の額に貼っている最中だった。ありがとうございます、と小声で言うと俺が好きでやっているんだよ。と彼は笑った。お節介だなあ。言わないけど。



「また何かあったら言えよ」

「先輩は大学を優先してください」

「両立するから大丈夫」

「何で…こんなによくしてくれるんですか?」

「…知りたい?」



にこにこと上機嫌で訊いてくる先輩に、いいえとは言えない。言えるわけない。素直にはい、と答えると先輩はじんわりと汗をかいた俺の髪に顔を寄せた。



「狩屋が、好きだからさ。何でもしてあげたくなっちゃうんだよ」




思わぬ告白に風邪のせいではない熱が頬に集まる。声を出そうとして鼻水が垂れた。うわ、すごくかっこわるい。俺の様子を見ていた先輩が軽く笑う。



「返事は狩屋の調子がよくなってから聞いてあげる」



頭を撫でられるのには本当に弱い。つい気持ちよくなって目を閉じる。そういえば剣城くんに返事しなきゃ、いけない。












一向に体の調子がよくなることはなくて、最近は吐くようになってしまった。爽やかなものが食べたくて、普段は食べない酸っぱいものをよく食べるようになった。天馬くんが心配して電話をしてくれた。剣城くんは元気?と聞くと、狩屋を心配している、と返ってきた。微妙に噛み合っていない会話が何だか懐かしくて、少しほっとした。




「輝もね、狩屋くん今日もこないねってすごく残念そうなんだ。はやくよくなってね」

「うん、薬飲んでみるよ。よろしく言っておいてね。」




携帯の電源を切るとまた腹痛が襲ってきた。下腹部を圧迫するような痛みに耐えきれずずるずるとソファに体を預ける。過呼吸になり、とても苦しい。何でだ。何でこんなことになってるんだよ。脂汗がソファに染み込む。
…霧野先輩が戸棚の真ん中に薬箱を入れてくれている筈だ。飲まなきゃ、飲まなきゃいけないけれど立ち上がれない。体中が心臓になったかのように鼓動に合わせて痙攣する。熱い。
そのうち頭痛も酷くなってソファから滑り落ちた。何で俺はこんなに辛い思いをしているんだろう。

きりの、せんぱい、たすけて。
頭の中で必死に叫ぶ。視界がぐるぐる回る。




「…狩屋?…狩屋!」




遠くで誰かの声がする。霧野先輩、と話しかけようとして腹に激痛が走り、何も考えられなくなった。




















体がずっしりと重く、床に固定されているかのような錯覚を覚える。ぼんやりとかすかに白い天井が見えて、体をゆっくりと起こした。
何の変哲もない、俺の部屋。病院じゃなくてとても安堵した。ゆっくりと息を吐くと足音が聞こえて、間もなくドアが開く音がした。




「よかった、目が覚めたんだな」

「霧野先輩」



ほっとした様子で霧野先輩が話しかけてくる。本当に助けてくれるなんて、王子様みたいだなあなんてぼんやり考えた。



「最近、調子悪そうだな」

「…はい。下腹部がとても痛いんです。あと、吐き気も続いてて、無性に酸っぱいものが食べたくなったり」

「…何だか、妊婦みたいだな」

「え?」

「あ、悪い悪い…言い過ぎだよなそれは」




謝りつつも愉快そうな雰囲気は隠しきれていない。むう、とわざと機嫌が悪い態度をとるとごめんな、と頭を撫でられた。ちょっとだけ気分がよくなった気がする。



「ところで、狩屋」

「…何ですか?」

「今日誰か家に呼んだか?」

「いえ、誰も…。俺こんな状態ですし」

「…そう、だよな」




霧野先輩が難しい顔をして黙り込む。そしてぼそりと小さな声でしくった、と呟いた。何かしくじったのだろうか。よくわからないけど。



「あーあ、もう一週間くらい大学行ってないですよ。皆に会いたいなあ」

「一週間か…」

「そうですよー!せめて一日でも体調が回復してくれればいいのになーって思いますよ!」


ぷんすか口を尖らせると先輩が困ったように笑う。こんなこと言われても、そりゃあ先輩は困っちゃうよな。



「…そうだな。あ、狩屋、腹減ったか?何か作るけど」

「あ、今日はもういいです。寝ます。」

「飲み物も大丈夫か?」

「大丈夫ですよ!ほんと心配性ですよね先輩」

「言うほどじゃないけどな」













願いが通じたのか、次の日はとても体調がよかった。うきうきしながら、朝食を作っていた霧野先輩の背中に飛び付く。



「先輩ー!今日すごく元気です俺!」

「よかったな」

「もうちょっと喜んでくれたっていいじゃないですかー!!面倒みなくて済むんですよ!?」

「冗談だよ、本当によかった」

「ふふ、今日はみんなに会えるー!」



リビングを駆けずり回ると先輩に怒られた。だって、すごく久々に行く気がする。結局原因不明のあの痛みは何だったのだろうか?



「ほら、メシ出来たぞ」

「いいです!!もう出ます!」

「ハァ!?お前これ…折角作ったんだぞ!?」

「ごめんなさいー!遅くなりますきっと!」




そういえば霧野先輩に告白の返事してないなー、なんて思い出して。帰ってからでも出来るしな。精一杯焦らしちゃおう。
目の前でバスが出発しそうになって、必死に走った。今日はいい一日になりそうだなんて、剣呑のかけらもない脳内だった。








剣城くんに久しぶりに会えて嬉しい、と抱きつこうとしたら華麗に避けられた。うん、いつもの剣城くんだ。でもこれでも俺は結構テンション上がってるんだよ!
剣城くんは相変わらずのポーカーフェイスで、俺を手招きする。



「…もう講義始まっちゃうけど」

「サボれ」

「………。」





大学の近くの喫茶店に入る。剣城くんはいつもこんな所に来るのかな。うーん大人。アダルティ。
俺はオレンジジュース、剣城くんはカフェラテを頼む。…同じ大学生なのに何でここまで違うかな…。ちょっとだけへこむ。



「何か用があって、ここに入ったんだよね?」

「まあな」

「…そんなに深刻なこと?」

「………。」



剣城くんは言葉を選んでいるのか、中々本題に入ろうとしない。痺れをきらしてはやく、という目をして見せると諦めたのか言葉を吐き出した。




「…今日は体調いいんだな」

「うん、薬飲んだし」

「……昨日はあんなに顔真っ青だったのにな」

「…あれ?昨日、剣城くんと会ってないよね?」

「…は?」



剣城くんが信じられない、というような表情を作る。あれ?あれー?だって昨日は先輩以外誰にも会ってない、よね…?段々自分の記憶に自信が無くなってきた。だって昨日はそれどころじゃなかったし。



「もしかして、覚えてないのか?」

「ぜ、全然…」

「………。」

「そ、そんなカオされたって…仕方ないだろおっ」

「散々介抱したんだがな…」

「ええ!?」



どうしよう、どうしよう全く思い出せない…!うんうん唸っていると剣城くんからもういい、とストップが入った。本当にごめんなさいと心の中で謝っておいた。




「…それでだ。狩屋、お前うちに泊まらないか」

「えっ何で…!?ですか!?」

「何身構えてるんだ…」

「だって剣城くんがお泊まりのお誘いとか気持ち悪いよ!」

「俺だって好きで誘ってるんじゃない」

「え、じゃあ何で…」

「言っていいのか?」




剣城くんの射抜くような目が怖い。剣城くんがバッグから何かを取り出す。玉薬の入った瓶だ。特に変わったところが見当たらない、真っ白な玉薬。




「まさか…本物のヤクとか言わないよね?やめてよ剣城くんが持ってるとジョークに感じないよ」

「……お前の口の中にコレ全部流し込んでやろうか」

「すみません」

「…毎日飲めよ。一日一錠。これ以外の薬は絶対飲むな」

「え?…マジで飲むのこれ?」

「死にたくないなら飲め。それかうちに泊まるか?」

「飲みます。」



何でいきなりそんなヘビーな感じになっちゃってんの?うーん、全くわからない。



「信じていいんだよね?」

「お前が大切だから言ってる」

「ギャーくっさ!」

「うるせえいいから飲め!」



渋々一粒口に運ぶ。もし死んだらすぐに犯人は剣城くんだってわかるからいいや。
そういう問題でもないけど。



「帰る」

「えっ、ほんとにこれだけ!?」

「ああ、気をつけろよ。…危ないとは、思ってたんだが」

「?」

「あんまり引っ付くと目付けられるからな、それは嫌だ」




後半何の話をしているんだかほとんどわからなかったが、剣城くんのことを信用して飲んでみることにした。それにしても、何の薬なんだろう。気になったけれど余計な詮索をすると後が怖いのでやめた。















結局他の人達には会えず、早々と帰ってきてしまった。もう七時半だと言うのに室内は薄暗い。悪寒が走る。…何だか、嫌な空気だ。




「…先輩、います?」



恐々と暗闇に話しかけてみるが、返事はない。電話をかけてみた。奥の部屋から着信音が聞こえた。喉が鳴る。怖い。何でこんなに怖いんだろう。自分でもよくわからない。


しばらく突っ立っていると電話が通話中になる。携帯から声が聞こえた。がらがらの寝起きの声だ。




「…もしもし、」

「先輩、寝てました?」

「うん、…今どこ」

「えっと、家です」




無言で切られた。どうしよう部屋も先輩もすごく怖い。ぺたぺた、と歩いてくる音がして、玄関に電気がついた。
髪がぼさぼさの、目が半開きの先輩がお出迎えしてくれた。すごく眠たそうだ。




「……ひとりで、部屋まで来れないわけ」

「なんか怖くて…。」

「………」

「お、起こしてごめんなさい」

「…いいよ。おかえり狩屋」

「あ、あの先輩」

「?」

「おかえりのちゅーしてくれないんですか」



ずっと半開きだった目が大きく見開かれた。ぱちぱちと何度もまばたきを繰り返す。長い睫毛が揺れる。先輩は直ぐに笑顔になった。



「うん?…してほしいのか」

「まあ、先輩のこと好きなんで」

「言ってくれるなー男は狼だって先生に教わらなかったか?」

「誰も教えてくれなかったんで先輩が教えてください」

「誘ってるのか?」

「まあ、はい」




先輩に抱き締められて頬にキスをされた。先輩、すごくいい匂いがする。すっかり剣城くんに言われたことも、リュックの中の薬のことも忘れて先輩に抱き付いた。都合のいいように、忘れていく。
人間なんてそんなもんだ。








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