※ナチュラルに同棲 「っくしゅ、」 今日は曇りのち雨。天気予報では傘はいらないとお天気お姉さんが断言していた。のにもかかわらずバイトが終わった頃には延々と霧雨が降り続けていて。 当然傘を持ってきていない俺はずぶ濡れで家路を歩くことになり、霞んだ道を小走りで進むと水溜まりで何故か滑り転んだ。…ずぶ濡れなんて生温い。水溜まりの上でため息を吐くと滝のような雨が降ってきた。土砂降り。大粒の雨が地面を叩く。ワイシャツが肌にへばり付いて気持ち悪いが、これだけ濡れたらテンションも上がる。閑静な住宅街なのを良いことに、俺は子供のように駆けずり回り踊りながら帰った。 「………。」 「た、ただいま剣城…」 アパートにたどり着きまずお出迎えしてくれたのは同居人の冷たい視線。もし俺がただずぶ濡れで震えて帰ってきたのなら、心優しい剣城はタオルの一つや二つ投げてくれただろう。しかしどうしようもないことに、頬を赤くして息を切らせ、遊んできたように顔を明るくした俺がずぶ濡れで帰ってきたのである。そりゃあ呆れるだろう。壁にもたれて心底だるそうに、そして舐め回すように俺を見る剣城が冷たい言葉を放つ。 「随分遅かったな」 「いやあー…ははは、」 「何目逸らしてんだ」 剣城の冷たい眼差し攻撃はまだ続く。時計を盗み見ると時計は午後十一時近くを指していた。バイトが終わったのは九時半。怒って当然である。 玄関で棒のように立ち尽くしていると、急に寒気を感じて一つくしゃみをした。つられるようにしてもう一つ。妙に冷たいワイシャツが纏わりついている。正直、寒い。 「…風邪ひくだろ。早く部屋の中に入れ」 「…だが、」 「いいから入れって言ってんだよ」 顔面にバスタオルを投げつけられ、渋々靴を脱ぐ。タオルの合間からため息をつきながら部屋へ戻っていく細い体が見えた。ぐちょりとした感触で気づいたのだが、スニーカーにも水が染み込んで靴の中で大洪水が起きていた。多分明日になっても乾いていないだろう。部屋着に着替えて髪を束ねたゴムを解き、バスタオルでわしゃわしゃと拭く。水を含んでずっしりと重たくなった髪からは雨のにおいがした。 「…あんまり心配させるな」 広いソファに二人分の体重がかかっている。普段は絶対に言わないような剣城の言葉に、絶句をした。いつもだったら、てめえが帰ってこないと眠れない(セキュリティー的な意味で)だとか、一生雨と遊んでろ、そしてトラックにはねられろだとかろくなことを言われないというのに。 「あ、ああ」 どう返せばよいか分からず、やっと紡いだ言葉。手持ち無沙汰で指が忙しなく動く。目も泳ぐ。剣城はしばらくじっと不自然に慌てる俺を見つめていたが、不意に声を上げた。 「風呂、入るか?」 「……入る。」 「沸くまであったかくしとけ」 立ち上がってから頭を優しく撫でられ、剣城は風呂場に向かった。さっきから変に優しくて調子が狂ってしまう。まるで別の誰かが乗り移っているかのような…。 「ないない、」 一人、自己完結。 撫でられた箇所がじんわりと熱くて、何だか落ち着かない。いっそ自分の部屋に戻っていようかとも思ったが、その思いも虚しく彼が戻ってきてしまった。思わず引きつる口元。眉間に皺を寄せる同居人。 「…何だその顔」 「な、何でもない!…です」 雰囲気に圧倒されて後半は小声になってしまった。なんだ、普段の自分らしくもない。全くおかしな空気が流れてしまっている。 「…風呂、」 「わかった有り難う!」 と剣城が言い終わる前にソファから立ち上がりそそくさと立ち去る。あああ、剣城ごめん。でもちょっと今は顔を合わせにくい!着替えとタオルを手に足早に風呂場に向かう。 いつもと違う日常に、俺はすっかり流されていた。 水面にゆらゆら映る自分の情けない顔が嫌で、お湯に顔を勢いよく沈めた。 「風呂、有り難うな」 「……ん、」 風呂から上がると、剣城はテレビを見ながら酒を飲んでいた。よかった、さっきの俺の態度はあまり気にされてないらしい。バラエティー番組ではなくドキュメンタリー番組(しかも病院が舞台だ)というところが何だか彼らしくて、思わず笑みがこぼれた。 「何笑ってるんだ…」 「何でもない。…俺も一緒に飲んでいいか?」 「ああ」 冷蔵庫からキンキンに冷えたカクテルを出す。かき、ぷしゅ、と缶をあける音が小気味よく響く。この瞬間はとても好きだ。バイトの疲れも吹き飛ぶ。 何時の間にかドキュメンタリー番組は佳境を迎えていて、俺は食い入るようにテレビを見ていた。手にしているカクテルはかなりの量が残っているのに全く冷えていない。 ふと隣の男の様子が気になって横を見てみた。するとかちりと目が合ってしまった。 慌てて剣城が目を逸らす。ひょっとすると、俺よりも彼の方がおかしいのかもしれない。 「剣城」 「な、なんだ!」 「…なんだか、今日は優しいな。良いことでもあったのか?」 剣城が吃驚したようにこちらを見て、それからチューハイに手を伸ばした。今日はよく飲むな。 「…今日、チームメイトの結婚式だった」 「ほう、」 「…だから、もっとお前を労らなきゃいけない気がして」 …だからって、何だ。気持ちは嬉しいがあまり繋がっていないぞ。 「俺は、今のままで十分幸せだと思ってる。結婚願望もない。」 「そうか」 「だから、幸せに浸ってみることにした」 「えっ…」 酒のせいか饒舌になった剣城に何か嫌な予感がして振り向くと、すぐそこに同居人の顔があって。避ける暇もなくてずるずると押し倒される。横にソファがあるため、非常に抜け出しにくい。 テレビからエンディングのテーマ曲が流れる。まだ湿り気を帯びている自身の長髪がフローリングを濡らした。 「ちょっ、ま…!タイム!タイムだ剣城!」 「白竜…」 「な、なんだ」 「いいにおいがする」 「ちょっとまてえぇぇぇ!!!」 首元に寄る顔を必死に押し戻す。こ、これは完璧に酔っている…!顔に出ないので気づかなかった。 普段には全くありえないことだらけで、どうしていいのか見当もつかない。ああ、もう。子供の頃なら剣城とのスキンシップはとても喜んだはずだ。しかし今は大人で、しかも俺たちは微妙なラインを走っている。後戻りが出来ない。何か一つでも些細な何かをしてしまったら。きっと。 するり、と剣城が俺の後ろ髪に指を絡める。乾いていないので束になって指をすり抜けていく。剣城の一つ一つの行動が鼓動を速める。 「風邪、ひくなよ…」 「風呂に入ったから大丈夫だ」 「……お前、馬鹿だから無いとは思うけど」 「ああ、…うん?」 「看病ぐらいしてやってもいいけどな」 「………。」 「やっぱり、苦しんでるのを見るのは嫌だから」 「…つるぎ、」 「風邪はひくな」 「わかった」 「あと早く帰ってこい」 「ああ」 「心配するから」 優しい声が耳元で聞こえて何だかくすぐったくて、体を捩るとがっちり抱き締められた。首に熱い息がかかる。 …非常にまずい気がする。というか、ほかの誰かにこの状況を見られたら間違いなくアウトの部類に入る。気持ちとは相反して剣城の体を抱き返しそうになる腕をぐっと留めた。 「と、とにかくベッドに移動するぞ?ここで寝るなよ?」 「…風邪ひくなよ」 「わかった。わかったからやっぱり寝ろ」 「…白竜」 「今度はなんっ…、…!」 瞼にキスをされた。驚きのあまり固まる。崩れ落ちる目の前の体。安らかな寝息が聞こえる。 キス、確かにさっきのはキスだった。かすかにしか触れられなかったけれど、確かに感触が残っている。 それにしても。 「…重い…。」 何故あんなにも彼は酒を飲んでしまったのか。多分、優しくしている方も緊張していたのかもしれない。俺だけではなかったのだ。 すっかり夢の国の住人になってしまった彼をずるずるとベッドへ引っ張っていく。 後片付けを済ませ、自分もやっとこさベッドイン。長い一日だった。けれど心地の良い日だった。 「おはよう、いい天気だな!」 「…………。」 剣城は無表情のまま起きてきて、自分の横を素通りした。やっぱりこうでなくちゃ剣城ではない。いつもの態度の彼に安心しつつも、昨日の彼を思い出して頬が熱くなる。 彼は、夜の出来事を覚えているのだろうか。出来れば忘れていただきたい。因みにそのことを問いただす勇気はない。 天気予報を見ていると、剣城も見入っていた。剣城はバス通だから基本的に必要ない筈なのに。微妙な早さの変動か、乗客の多さか何か気になるのだろうか。 「今日はバイト何時までだ?」 「今日は早くないな。十時までかかりそうだ。」 「…そうか」 支度を済ませ、何気ない会話。昨日のことが幻だったのかと思い始めた矢先、剣城に折りたたみ傘を手渡された。 「…?」 「持って行け」 「…本日は晴天なり、と天気予報が言っているんだが」 「天気予報が100%当たるんだったら別にいらないがな。」 「………。」 不満げな顔をして見せると、剣城は何故か反対に機嫌が良さそうな顔をした。そして俺の頭を撫でる。昨日も同じことをされたような…。 「風邪は、ひくなよ」 「っば、え、…!」 「遅くても十時半までには帰ってこい」 「き、厳しいな…」 「心配するだろ」 昨日とまるで同じ会話。しかも昨日よりも大分楽しんでいるようだ。 「……剣城」 「何だ、早く行かないと遅刻するぞ」 「お前…実は酒が強いなんてこと、ないか?」 「さあ、どうだろうな」 はぐらかされた挙げ句、半ば強制的にアパートから追い出される。雨上がりで湿気が多くとても嫌な空気だ。 今日は、帰ったら普通の態度の剣城が出迎えてくれますように。と、少しばかり祈ってみた。 だが雨が降っても、俺がはしゃがずにさっさと家に帰ればいいだけの話なのだ。よくよく考えてみれば。 リクエストの、剣城に珍しくまともに相手されて焦っちゃう白竜です。 ご希望に沿えていなかったらすみません… 素敵なネタをありがとうございました! |