吐溜 | ナノ







「あいつの名字いつから吉良になったんだよ」

「さあ?」

「…ああ、」





嫌な天気だ。湿り気を帯びた空気に乗って、どんより厚い雲が町を覆う。きっと一雨くる。洗濯物干しっぱなしだ。しまわないと。

俺の肩に回っていた手をはたき落とした。随分と涼野は不機嫌そうに、それでいて気怠そうに窓の外を見た。




「あいつしか吉良には選ばれなかったはずだ。その資格があったのはあいつだけなのだから」





その言葉を無視して立ち上がると、雷が落ちる音がした。慌てて洗濯物を取り込むと、激しい雷雨になった。




「なあ、涼野」

「なんだ」

「あそこに帰らなくていいのかよ」

「どこ?」

「ヒロトとか緑川、すごい楽しそうなんだぜ」

「…そうだね。でも私達は、そういう人間じゃあないさ」

「…変わり者ってか」

「そうだよ。真っ当なことやって、笑いあって暮らすなんて出来るとは思わない。」




雨の音が一段と激しくなった。涼野の整った目が、色を無くした魚のように濁る。涼野と付き合い始めて何年経ったか。こんな変人と付き合うなんて、俺はどうかしている。


多分俺達は人生の三分の一は負け組という絶望を抱き生きた。ずっと一緒にいた。実は涼野は俺よりずっと短気で、成長してだいぶ気が長くなった俺とは対照的にこいつは全く成長しなかった。今でも癇癪起こすし。子供みたいな奴だ。





「今の私達と、昔の私達、どちらの方が惨めかな」

「比べられねえな。どっちも惨めだよ」

「円堂たちのようにはなれないね」

「所詮、俺達だからな」






いつの日からか、涼野に抱かれるのがすごく怖くなった。涼野が精神的に不安定だと、最中の行為でそれが伝わってくる。こちらまで嫌になって、苦しくなって。ついこの間から逃げている。セックスが怖いだなんて考えたこともなかった。内側から壊されていくような、そんな気がした。
別に涼野が嫌いだとかいうわけではない。ただ嫌なのだ。何も生まない、この行為に一ときでも没頭して気落ちを引きずるのが嫌なのだ。





「私ね、この間、ヒロトが可愛がっている子を見たんだ」

「へえ、例の」

「うん。昔の私達のようにね、聞き分けが悪そうな子だった。目がそっくりだったんだよ。」

「そりゃあ面倒だな」

「でもね、ヒロトにはとても懐いていた。態度ではわからないけどね。…何だか羨ましかったよ。」

「何がだよ」

「好きな人に素直に甘えられる境遇が、あるってことが」






雨足が強まる。涼野のいっそ悲痛なくらいの声は、湿気のせいか全く響かなかった。
俺の背中に、ひた、と冷たい体が張り付いた。まるで傷痕のようにそれはずっしりと重く、





「ねえ南雲、しようか」









何もかも遅すぎた。

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