耳元で囁いて

家に着いてからは早かった。

パパパッと私が彼に着せた物を玄関で脱がせーーー黙って剥ぎ取られる彼はなすがままされるがままであるーーー最早抵抗を諦めたのか私のすることに異議を唱えることもなく黙って従っていた。

そのまま脱衣所へ行く。



『お風呂入って下さい。ちゃんと湯に浸かって温まって下さいね』

「着替える服がありません」

『父ので新しいのがありますからそれをこのカゴに入れて置きます。脱いだ物は洗濯機にお願いします。バスタオルとタオルはそこのを使って下さい。シャンプーなんかも父の男性用があるのでお好きにどうぞ』

「…分かりました」



頷いたのを見て私は脱衣所を出た。

客室にしている部屋に入りチェストの中から真新しい下着と肌着、パジャマと靴下を引っ張り出して再び脱衣所へ戻りカゴの中に置いた。

シャワーの音を聞き届けた私は一先ず安心して、自分の部屋に行くと氷のように冷たくなった服を脱いで暖かい厚手の物に着替えた。

リビングへ向かいキッチンでお湯を沸かす。



『しまった、紅茶切らしてる…』



生姜を入れてジンジャーティーにしたかったのだが無いものは仕方ない。

ミルクはあるのでココアにしよう。



『………』



コポコポと沸騰したお湯をカップに注いでテーブルの椅子に座り静かにココアを飲んで待つ。

浴室から微かに聞こえる水音が私を不思議な気分にさせた……家の中に私以外の人がいる。

彼はとても風変わりな人だ。

それでいて子どものような人だとも思う。

雪の中、膝を抱えてジッとしている姿がとても印象的だった。

そこには悲しさもあってーーー帰らぬと分かっている母をひたすら待ち続けるようなーーー途方も無い、そんな悲しさだ。

もしそうでなかったなら、ただ自分の置かれた状況にあ然としてたとか時間に追われる日々から突如解放されて逆に訳わからないとか、私があれこれ考えてるだけで何の意味み無かったかもしれないし。

彼は一体何処から来て何故帰ろうとしないのだろうか。



「……あがりました」

『あ、はい。ちゃんと温まったんですね』



考えに没頭しているとホカホカと湯気を出した彼が頭からバスタオルをかぶった姿でペタペタとやって来た。



『なんで靴下を履いてないんですか?あまりに冷えてたからまた冷やさないようにと思ったんですが』

「死ぬかと聞かれれば私は今ここで死にます」

『……靴下が死活問題に発展するとは思ってませんでした』



公園で話した時からずっとこの人は私を驚かせることばかり言う。

見た所、本人はいたって真面目のようだが。



『どうぞ。座って下さい。ココアです』

「ココア?」

『すみません、紅茶やコーヒーは生憎切らしてまして。甘いのは苦手ですか?』

「いえ、普通に好きですよ?」



苦手では無いらしいから胸を撫で下ろせば今度は驚愕に目を見開くことになった。

テーブルの中央に纏めて置いてあるミルクや砂糖の小瓶を開けてミルクをたっぷり回し入れて角砂糖を5、6個投入し更にはお菓子を入れた小瓶からマシュマロを選び出して6つほど入れたらスプーンを摘むように持ち上げてクルクルと掻き回し出したーーー明らかに溶けきってない砂糖がジャリジャリ鳴っている。

オエッと吐き気がした。

普通どころか大好きなんじゃねーか。



『甘党、なんですね』

「いえ、糖分は思考力を養うのに欠かせませんから。コーヒーを出されたら私死にますよ?」

『………』



つまり苦いものが死ぬほど嫌いってことだろ。

それを甘党っていうんだろ、しかも重症だ。



『……(ジーッ)』

「ジャリジャリジャリジャリ」



噛んでる!噛んでる!

ココア飲んでるのにメッチャ噛んでる!

砂糖食ってる!!



「なにか?穴が開きます」

『…いえ』



ラストの塊らしきものをゴクンと飲み込んだのを見て私はサッと目を逸らした。

ポットとココアの缶を押し出す。

彼はそれと私の顔を見比べて親指の爪を噛んだ。



「頂いていいんですか?」

『…どうぞ』

「ありがとうございます。では遠慮なく」



ドバドバと注がれていくものにはなるべく目を向けないようにした。



『その座り方…疲れませんか?』

「いいえ。これが最も集中出来るので」



(そうですか…。)

あの時と同じ膝を抱えるように座り両手で女の子のようにカップを持ってみたり、スプーンや食べ物を摘んで持ったり、ちょっと変わったところがたくさんあるみたいだ。

まぁ面白いしちょっと可愛くもあるんだけど。



『失礼します』

「なんですか?」



そう言って立ち上がった私を目で追い、自分の後ろに立つのを首を捻ってーーーカップを大事そうに持ちながらーーー見上げた。

頭にかぶったままのタオルでワシャワシャと髪を掻き回した。



「痛いです。毛根が死にます」

『大袈裟な。これぐらいで禿げたりしませんから安心して下さい』



首をすくめて痛そうにするその人にスパン!と頭を引っ叩いてやろうかと思った。

多分この人かなりの我が儘だ。

どれだけ甘やかされてたのか知らないけど絶対今も恨めしいジト目をしてるに違いないーーー根に持たれたら面倒だな。



「…暖かいです」

『え?』



タオルドライを終えてドライヤーを起動した私の耳に何やら小さく聞こえた気がしたが、彼からの反応は一切なく空耳かと目の前の黒い頭に意識を戻した。

身長も高く、こうして後ろから見る背中は細身には反して中々に広く大きいーーー年齢もきっと私より上だろうが何故か小さな子どもを相手にしてる気分だった。



『終わりましたよ』

「……」



カチッとドライヤーの電源を切りテーブルに置いて声を掛けた。

微動だにしない人に顔を覗き込んだら、



『え、寝てる?』

「……」



マジか。

くっきり大きな隈を携えた瞼を閉じて寝息も立てずに眠っていた。

器用にカップを持ったまま、あの体育座りのような独特の座り方で。

ーーー幼子のような健やかな寝顔だ。



『しょうがないか』



暫し考え、カップをそっと取り上げてキッチンに下げるとそのまま寝室に入りクローゼットから来客用の毛布を取り出して座ったまま眠る彼に巻くようにしてそれを掛けた。



『私もお風呂入っちゃお』

「……」



起こさぬよう静かにリビングを出た私はそっと扉を閉めてその場を後にした。


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