耳元で囁いて
とにかく異様だった。
その一言に尽きる。
その人を目にしたのは本当にたまたまだった。
まだ踏み跡の無い綺麗な雪の上をサクサクっと気持ちのいい音を立てながら歩いていた私が一先ず目的とした公園の中で、遊具が点在しているその場所で、見てしまったのだーーー見付けてしまったと言っても過言ではない。
静止したブランコの上でーーー驚くほど猫背だーーー両膝を曲げ胸に抱えるような姿勢で座り親指の爪を噛んでいる男を。
穴が開きそうなほどジッと降り積もった雪の上を見つめている。
私をより驚かせたのは、この天候でコートも羽織らずマフラーや手袋などの防寒もせず、白い長袖のシャツとジーンズであろう青いズボンにしかも素足という出で立ちだった。
風変わり過ぎてまさか不審者かと警戒心が芽生える。
……いや、不審者でもこの天気でこんなことするほどイかれた人はそうは居ない。
最近流行の世界面白映像的なアレで見る、無謀なことに挑戦する外人を思い浮かべた。
いつもバカだなぁ、しょうもないな、などと呆れ半分笑い半分で観ていたがそんな人を真近で見た気分だ。
そう考えると一概に不審者とは言えなくなる。
単純にバカなだけかもしれない。
『でもなぁ…』
だって頭には雪が積もってるし。
そこで何かを諦めた私は彼のとこへ向かった。
大きなお世話とか構うなとか言われたらどうしようか。
ーーーそれ以上のことを私が考える必要は無いか。
『あの、』
「はい」
びっくりした。
普通に返事された。
『こんなとこで何をしてるんですか?』
「…さぁ?なにをしてるんでしょう?」
わ、私に聞かれても。
困惑する私を余所に目の前の人物はただボンヤリと空を見上げている。
『寒くないんですか…』
「寒いですよ?」
見たら分かるだろぐらいに言われたのでじゃあお前何でここに居るんだよ!って内心激しいツッコミをした。
自分のことなのに凄いあっさりとした人だ。
『…そんな薄着で長時間外にいたら凍死しますよ』
「そうでしょうね」
そうなったらそうなったで受け入れようとでも思っているのかまるで無関心の様子に私は返事に困った。
『死にたいんですか』
「いいえ」
けど死にたいわけではないと言う。
私はそこでこの人に親近感を覚えた。
時が流れるまま、なんとなくその流れに乗って日々を生きてきた私には夢も目標もない。
季節もイベント事も関係ない。
朝起きて、御飯を食べて、学校に行って、帰って夕食を食べて、特に見たいわけでもなかったテレビ番組を流れるまま見つめて、お風呂に入って、そして寝る。
ただ毎日を繰り返す。
それらの行動は日々をやり過ごすためだけのものに他ならない。
例えば明日、不運な事故に遭うことが決まっていたとして、それもまた仕方ないことだと受け止めて、最悪死ぬんだとしたらそれもいいかなと思っている私にとてもよく似ていると思ってしまったのだ。
雪を見つめる瞳の奥は果てしなく真っ黒だ。
「私のことは放っておいてください」
『………』
濃い隈の刻まれた顔は青白く、体は痩せ型で不健康そうな人だ。
放っておいたら貴方は死んでしまうでしょう?
そう思った。
『死にたいわけじゃないなら何もこんな日にこんな場所へ出歩かなくたっていいでしょう』
「…貴女には関係のないことです」
『関係はないですが次の日に死体が転がってるかもしれないと思ったら眠れません。このまま凍死させましたなんて分かったら目覚めが悪いです。近隣住民にも迷惑です。やるなら何処か山深いとこで勝手にやって下さい』
「中々酷い人ですね。それと私は死にません」
『貴方に死ぬ気が無くてもこのままで居たら必ず死にますよ。家は近いんですか?タクシー代ぐらいなら貸しますよ』
「家、ですか」
『?遠いんですか?』
「私に家と呼べるものはありません」
『……家出?』
そこで初めて彼は私の目を見たーーーなんだか目を丸くしているようにも見えたけどほんの一瞬だ。
次第に唇が尖っていく。
とても不満げな顔だ。
「そんな青臭い行動はしません」
『…じゃあどういう』
それ以上話す気は無いのか視線が私から外される。
とりあえず帰れる状況にはないということだけは分かった。
『……私も懲りないな』
独り言を呟いた私に彼がチラリと視線を寄越した。
彼の正面に立った私はジッとその顔を見つめて思案すると傘を地面に捨て両手でバババッと頭に積もった雪を払いのけた。
自分に巻いていたマフラーを外して彼の首にぐるぐる巻きにする。
耳当ても付けた。
最後にちょっと躊躇いつつもコートを脱いで無理やり羽織らせると手を引いて強引にブランコから降ろさせた。
「なんなんですか?」
されるがままになりながらも文句を言いたげな声音を無視してコートのボタンを留める。
痩せ型だから多少の窮屈さはあっても問題はないだろう。
丈はこの人が思いの外長身だったため足りないがやはり耐えてもらうしかない。
『もー、靴も履いてないんだった』
本人は気付いていないが直接雪に触れた足をモゾモゾさせて赤くさせている。
下を見て気付いた私は溜息を吐くとブランコの柵に掴まりながら靴を脱いで更に靴下も2つ脱いだ。
『ほら、足出して』
「ですから私に構わなーーー」
グタグタと始まりそうだったので面倒に感じた私はチッと舌打ちをしてしゃがみ込み、彼の冷え切った細い足首を掴むとぐいっと引っ張り自分の膝に乗せてさっさと靴下を履かせた。
『さすがに私も素足では歩けないから靴は貸せないけど何も無いよりはマシでしょ』
「…びちゃびちゃして気持ち悪いです」
『家に着くまで何とか我慢して』
しかも私はコートをあんたに羽織らせてるからもっと寒いんだ。
いくら厚手のパーカーにニット帽と手袋、コーデュロイパンツといえどコート無しはヤバすぎる。
ぶるっと震えた私を見てそれ以上は口にしなくなった。
『ほら、行くよ』
「ですから何故…」
ハッキリ言わないと伝わらないのか。
実に面倒だな。
『私はあんたを見つけた手前凍え死なれたら気分が悪いし、しかも家には帰れないって言った。だから私の家に連れて帰るの』
ここまで来てヤダ行かないとかごねられたら困るから腕を掴んで歩かせるーーーコートのフードを目深にかぶらせた。
後ろでブツブツ何か言っていたがちょっとすると諦めたのか何も言わなくなり黙って着いて来ていた。
(…冷たいです)
(だから我慢して)