耳元で囁いて
『買い物に行きましょうか』
憑き物が取れたような身が軽くなった感覚に気が抜けるという体験を初めて味わっている私はボンヤリとただ空を眺めていた。
そんな私へ彼女が声を掛けた。
『生活用品、買いに行きましょう』
室内に戻るなり身を竦ませた彼にココアを出して、朝食を作り一緒に食べて、私が新聞を読むときもテレビのニュースを観ている時も終始ボーッとしていて、徐に立ち上がったかと思えば窓際に立ち外を見下ろし、そのままフローリングに座りこめば空を見上げたまま動かなくなりーーーいつも同じ両膝を立たせた姿勢ーーーたまにベランダに出てはまたジッと下を見下ろしている。
ずっとそんな繰り返しの彼を外に連れ出してみようと思った。
声を掛けた私を振り返り様子を窺いながら何やら思案している。
『貴方の生活用品ですよ』
「私の?」
首を傾げたので頷いて返した。
今朝、ベランダに出た時に彼の姿を見て私はこの人を見放しちゃいけないと直感的に感じた。
まるで右も左も分からない子どものようで放っておけない。
『部屋は客室用がありますからそこを使って貰って構いません。でも流石に洋服や下着は父のでは限界がありますし洗面用品やバスグッズも必要ですから』
「私はここで生活するんですか?」
『無理にとは言いませんよ。ですが今更放り出したりもしません。どうしますか?』
考え込んでいたのはそう長い時間では無かった。
素足でペタペタと私のいるところまでやって来ると椅子の上に、例の奇妙な座り方で腰掛けてペコリと頭を下げた。
「よろしくお願いします」
『はい。よろしくお願いします』
ふふふと笑って了承した私の顔をマジマジと見つめている。
なんかこういうの多くない?
「今更ですが、ご家族の方とか大丈夫なんですか?」
『大丈夫ですよ。一人暮らしなんで。ウチに来る時も事前に連絡がありますから』
「一応私も男ですよ?」
『それこそ今さらですね」
「それもそうですね」
この人は初めからそんなことは気にしていなかったと納得した。
ある意味気が楽かもしれない。
「L・Lawliet 歳は23です。身長は179cm、体重は50キロと少し。血液型は知りません。性格は負けず嫌いで好きな物は甘い物、嫌いなのは靴下です。運動はあまりしませんがテニスとカポエラは割りと得意です。仕事は…、探偵をしていました」
『探偵?』
「はい。主に自分の気に入った事件にしか関わりませんが世界ではそこそこ名の通った探偵でした」
猫背気味で親指の爪を噛みながら聞かされる彼のプロフィールは驚かされることばかりだ。
変わった人だなとは思ったけどまさか探偵をやってたとは、色々聞きたいことがあり過ぎる。
『なんで探偵に?』
「趣味の延長のようなもので。昔からどんな些細な疑問や謎でも追求するのがクセでした」
『本当に負けず嫌いなんですね』
「はい。見た通り社交性もありませんので徹底し過ぎて反感を買うことはしばしば有ります」
『なるほど…。』
妥協するとか譲歩するとか絶対にしなさそうだもんな。
結構ガンコなとこがあるのかもしれない。
『とりあえず!』
「?」
パンと手を叩いて仕切り直す。
それだけ聞けば後は追い追いでいいだろう。
『血液型はちゃんと調べましょう。靴下は外出する時は履いてもらいます。たまには外でテニスでも良いですから運動はしましょう。食事も甘い物だけに偏るのはダメですからね。当面の私の目標はその隈を消して体重を適正にすることです!50キロ?せめて60キロ台にしますよ』
「靴下だけは絶対、に履きません」
『子どもか!!』
すっごい嫌そうな顔で断言された。