幸せになりなよ、可愛い子
アントーニョは、分かっちゃいたけど過保護だった。そりゃもう、びっくりするくらいに。
ロヴィーノを育てていた時も二人きりの世界を作り上げていたし、かなりデレデレになってはいたけれど、やはり赤ん坊から育て上げた娘は可愛いのだろう。それはわかる。分かるのだが、アントーニョの過保護は少し、いやかなり度を越していた。
俺たちがルエトと出会ってから、もう10年近く経つ。よき隣人として、よき兄として、ルエトとは仲良くしてきたつもりだ。その証拠に、俺たちは一度もルエトを口説くようなことをしたことはない。アントーニョにあの日『ルエトに対して悪影響を与えるようなことはいたしません』という誓約書を書かされているしね。それに、モンスターペアレントと化したアントーニョが恐ろしくて、流石のお兄さんでも口説くどころじゃない。いくらルエトが可愛くていい子でも、俺だって命は惜しい。それはギルベルトも同じだ。
まあ、ルエトももう年頃だしね。わかるさ。「20年くらいうちに来るな」と言ったのも、ルエトがお嫁に行くまではっていう意味だったのもわかっている。
けれどアントーニョ、ちょっと待ちなよ。
「20年はうちに来るな言うたな。撤回や。無期限に延長する。」
「無期限!?何言ってんの!?」
「あとお前ら、ルエトへの接触はこれから全面禁止や!」
「なんでだよ!」
10年という短い期間でも、俺たちにとっては可愛い妹分だ。友人の娘として可愛がってきたし、絆だって生まれている。それを突然断絶するという横暴な父親が、今のアントーニョだった。
「あのさ、俺たちだってルエトちゃんのことは可愛がってきたんだぞ?それを突然どうして接触禁止なんて。」
「当然や。俺の可愛い嫁さんを何が悲しゅーてエロ男どもの前に晒さなあかんねん。」
「いや、だから……ん?ちょっと待って、今何て言った」
衝撃的な一言が聞こえた、気がする。
いや、聞き間違いであってほしい。頼むからそうあってくれ。長年付き合った友人をそんな目で見たくない。頼む。
「やから、ルエトは俺の嫁さんになるっちゅーねん。」
儚い期待はいともたやすく打ち破られた。
いや。いやいや。アントーニョったら。さすがにそんな冗談は面白くないよ。
「おい、ルエトはてめーの娘だろ!」
そう!それが言いたかった!偉いぞギル!褒めてやりたいが、今俺の口は衝撃でピクリとも動かない。
「せやで、ルエトは赤ん坊ん時から俺が面倒見てきた。俺の娘や。せやからいつかは幸せになってくれな嘘や思っとった。」
そう、そうだよねアントーニョ。父親として最高の姿勢だよ。娘の幸せを祈るかっこいい父親、うん、絵になるじゃない。
「けどな、ルエトどんどんかわいなってくやん?俺はもうルエトに近寄る男全員ぶん殴りたくなってしゃーないねん。」
わかるよ、「お前みたいな男に娘はやれん!」ってやつだよね。菊の家でそんなの見たことあるよ。娘を幸せにできると認めたやつじゃなきゃ娘はやれない!いい父親だ、理想型だ、だからそれ以上言わないでくれないかな。
「やから、俺だけのルエトにしたろ思ったんや。ルエトはかわええし、ええ子やし、それになにより、俺はルエトのこと大好きやもん。」
だめだった―――。
隣に座るギルも、「だめだこいつ」という表情を隠そうともしていない。アントーニョ、お前もうだめだ。だめだよ。
菊の家に、育てた少女を娶るという物語があると聞いて「さすがにちょっと」と苦笑いした思い出がよみがえってきた。いたよ。目の前にリアル光源氏、いたよ。
「あ、勘違いせえへんでな。俺は下心ありきでルエトを育てたんとちゃうで。」
「結果としては一緒だよ!」
やっと声を出せたけれど、お兄さん渾身のツッコミはアントーニョの胸に届かない。
ごめんなルエト、お兄さんたちはお前のモンペに勝てないかもしれない。
「お前に基本的道徳っつーもんはないのか?いくらルエトが可愛いっつってもよ、お前らは親子だろうがよ。20年親子やってきて、突然嫁にとりましたなんておかしいだろ。ルエトだって親だと思ってた相手にそんなこと言われてみろ、どんな気持ちになるか。」
ギルが珍しく長文をよどみなく言い切る。なんだよ、カッコいいじゃないかギル。やれば出来る子じゃないかギル。お兄さんは信じてたよ。この波に乗ればなんとかアントーニョを説得できるかもしれない。いや、しなければならない。俺はやっと機能を取り戻した口を動かした。
「そうだよアントーニョ!ルエトちゃんの気持ちも慮ってやらないと可哀想だ。」
待ってろ可愛いルエトちゃん、お前の父親の暴挙はここで、お兄さんたちが止めてみせる―――!
「いや、だって最初に俺のこと好きや言うたのも、親子やめたい言うたのもルエトやし。」
アントーニョの言葉が、とどめだった。
嘘だろ、嘘だと言ってよアントーニョ、そしてルエト。
世界のすべてがスローモーションのようにゆっくりと流れ、隣に座っていたギルが白目をむいて崩れ落ちるのを横目で眺めながら、俺の意識も真っ暗に消えていった。
りんごーん、金属が響く音がする。あれは遠鐘だろうか。目を開ければ、白い庭に色とりどりの花弁が飛び交っている。おめでとう、おめでとうという声に振り返ると、見知った面々が庭に整列している。菊、ロヴィーノ、フェリシアーノ、ローデリヒ……アーサーとアルまでいるじゃないか。何を見ているのかと彼らの視線の先を追いかけると、そこには笑顔で歩いている白いドレスのルエトと、タキシード姿のアントーニョの姿――――!
「ダメだルエト!」
「ひゃあっ!?」
飛び起きると、目の前にはいつも通りのルエトが立っていた。ここはどこだ。見回すと、アントーニョの家のソファに寝転がされていたことに気付く。反対側にあるソファには、ギルが窮屈そうに詰まって寝ている。ああ、そうだ。俺気絶したんだった。そう、何の話をしていたんだっけ?たしかルエトがなんだって……だめだ、ショックが大きすぎたのか思い出せない。
「フラン兄さん、なんで気絶なんて……」
「いや、覚えてない。なんかルエトについての話をしてたような気もするんだけどな……」
私に?と、ルエトは可愛らしく首を横に傾ける。
ああ、ルエトは本当に可愛いなぁ。こんなに可愛くて未だに男の影もないのは不思議だよなぁ。俺だってアントーニョとの誓約さえなければルエトを今以上に可愛がってやりたい気持ちでいっぱいだし、多分ギルだってそうだ。それくらいに、彼女は俺たちにとって可愛い妹なのだから。
「私の事で…あ、そうか!私、フラン兄さんに相談したいことがあってね。」
「うん?お兄さんに相談?可愛いルエトちゃんのためならお兄さんは一肌でも二肌でも脱いじゃうよ?」
「ありがとう。ちょっと待ってて、見てほしいものがあるの。」
ルエトはパタパタと本棚の方へと走って行き、一冊の雑誌を取り出してこっちに戻ってくる。ファッションの相談かな?お兄さんに頼むなんて、いい目をしてるじゃない。服の相談にかけてはお兄さん以上の人材はいないんだからね、さあルエトちゃん、お兄さんになんでも打ち明けて―――というつもりだったのだが、その言葉はルエトが持ってきた雑誌の表紙を見た瞬間に掻き消えた。
「私のウエディングドレス、どれがいいかな。」
「……結婚するの?」
「うん。……あのね、父さん…じゃなくて、アントーニョと。」
きれいな肌を赤く染めて、恥ずかしそうに……けれど嬉しそうに笑うルエトを前に、また一瞬意識を飛ばしかけた。そうだ、俺の気絶の原因もこれだった!
俺はまた一瞬意識が遠退きかけるのに耐えながらルエトの肩を掴んだ。
「ルエト、本当にアントーニョでいいの?」
問うと、ルエトはきょとりと瞬きをしたが、すぐにああ、と声を漏らして笑った。
「うん。だって、子供の頃からずっとアントーニョのことが好きだったんだもん。すっごく嬉しいよ。」
ああ、そうか。彼女の瞳は、確かに恋にきらめく乙女のものだ。
ウエディングドレスのカタログを開いて、こっちのクラシカルなのも可愛いけどマーメイドラインも…と歳相応にはしゃぐ可愛い妹分を前に、もうなにもかけられる言葉はなかった。
幸せにおなり、可愛いルエト。
俺の妹を奪っていった父親に対するせめてもの復讐に、式の後に行われるであろうパーティ用のドレスだけは俺の趣味全開のドレスを贈らせてもらおう。
***
20150801
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