可愛いマイガール
「向こう20年ちょっとくらいは俺ん家に近付くなや!」
そう言われて、黙っている男たちではなかった。
スペインのアンダルシア地方に構えられたアントーニョ邸の庭先に、二人の男が隠れている。一人は金髪を伸ばした優男…フランシス・ボヌフォワ。もう一人は赤い瞳をした粗暴そうな男…ギルベルト・バイルシュミット。トマト畑の端っこに大の男がこっそりと身を潜めている、そのさまは後ろから見れば非常にシュールだった。
「暑い。」
「もう少し我慢しなさいよ。せっかくここまでしてるのが無駄になるでしょ。」
「くそ、なんでアイツの家はこんなに暑いんだよ。」
「夏だからだよ。」
ぶつくさと文句を言いながらも、植え込みから抜け出そうとしない男。そして、カメラを片手にシャッターチャンスを狙い続ける男。この二人の目的は、アントーニョのスキャンダルにあった。
10年ほど前の話だ。時折忙しい合間を縫って飲み会やバカ騒ぎをやっていた三人組の一人、アントーニョが突然「向こう20年程、我が家への出入りを禁ずる」と宣言したのだ。ギルベルトとフランシスはその理由を何度も追及したが、アントーニョが口を割ることはなかった。ギルベルトはアントーニョと縁の深いロヴィーノやローデリヒにも、突然の拒絶の理由を知っているかと問いかけたものの、彼らから帰ってきた返事は「知らない」の一言だった。いや、あの態度は絶対知ってやがる。俺たちにだけ隠してるんだ。二人は確信を持ってはいるものの、結局誰からも理由を聞き出すことはできなかった。
ならば、自分たちで暴いてやればいいじゃないの。それが、フランシスとギルベルトがたどり着いた結論。
まず、数年間は本当にアントーニョの家には近寄らず、相手を油断させる。そして数回飲み会を行い、酔ったアントーニョからヒントを聞き出す。というのが、彼らが立てた稚拙な作戦の全貌だった。結局、何度アントーニョに酒を飲ませても、ヒントらしきヒントは手に入らなかったのだが。ゆえに、結局二人は完全なノーヒント状態でアントーニョ邸の庭先に隠れている。
だがしかし、結局これくらいしか彼の秘密を暴き立てる方法はなかった。普段秘密を持たないあけっぴろげな性格をしているアントーニョがこれほどまでに隠していることはなんなのか知りたい。ついでにそのネタでアントーニョをいじめてやりたい。それだけが、この下世話な二人の原動力だった。
「おい、アントーニョが来たぞ。」
ギルベルトの声にフランシスがカメラを構えなおす。じっとトマト畑の奥をレンズ越しに見つめると、確かにアントーニョが大きなかごを持ってトマトの世話をしに来るところだった。
畝の前にしゃがみ、ハサミで真っ赤なトマトを収穫していく。見慣れた風景だ。そこには秘密のひの字も見当たらない。もしや、トマトの育て方や土壌に秘密を持ったのだろうか。それなら、スキャンダルにはなりやしない。だが、それならロヴィーノやローデリヒにも秘密にしているはずだ。きっと、彼らに話せて俺らには話せないなにかがある。そしてそれは、確実に俺らの飯が旨くなるような話に間違いない。その思いだけで、二人は真夏のスペイン・アンダルシアの40度を超える炎天下の中、ギラつく太陽の真下で、ただシャッターチャンスだけを待つ飢狼と化していた。
アントーニョがトマトの世話を開始して10分。20分。そして30分が経過したが、いまだにアントーニョに不審な動きはない。ただ鼻歌をふんふんと歌いながらトマトを丁寧にもぎ取っているだけの光景が、ずっと続いている。
「なあ、俺たちの勘違いなんじゃねえのか…?ここにはアントーニョの秘密なんて……」
「いや、ある。間違いなくある。今逃げたら、もう俺たちは二度とアイツの弱みを握れない……!」
だが然し、灼熱の太陽は二人の体力を奪っていく。二人の体力は、アンダルシア州の空に燦然と輝く太陽の前に無力だったのだ。せめて冷たい水でも持ってくれば良かった。後悔先に立たず、という諺が脳裏に浮かんだその瞬間。
「お兄さんたち、こんなとこにいたら倒れちゃうよ?」
二人の首筋に、冷たいものがぺたりと押し当てられた。
「……で、うちには立ち入り禁止て言うたやんなぁ?」
さわやかな笑顔、しかし仁王立ちのアントーニョの前で、ギルベルトとフランシスは正座を強いられていた。
彼の後ろには、まだ10歳ほどだろうか、と思われる少女が控えている。彼が隠していたのは、この少女だったのだ。彼女が首に冷やしたタオルをあててくれたおかげで熱中症は免れたものの、当然二人はアントーニョにその存在を知られてしまい、現在、アントーニョの家のリビングで地獄の裁きを待つ罪人のように並べられていた。
「いや、その。お前の隠し事が気になって。」
「ほおん、じゃあこの一眼レフは何や。随分と高性能なやつやんなぁ。」
「いや、それは……」
言い訳をしようとしても、にこりと笑ったアントーニョに逆らうことはできない。こいつだけは怒らせてはいけない、そう誓っていたはずなのに、どうしてこんなことをしてしまったのか。今更になって、被告人席に座る二人の頭に後悔の二文字が浮かんだ。
「お父さん、このひとたちずっとお外にいたから熱射病になってないかな。」
「大丈夫や。こいつらアホやから今更脳みそが溶けたとこでなーんも問題あらへんわ。」
「アントーニョひどい!」
よよよ、と泣き崩れるフランシスを前に、アントーニョの笑顔はどんどんブリザード化していく。ギルベルトは、何も言えずただ正座に耐えていた。
「えっと、お父さん、もうすぐコミーダの時間だから、ごはん、準備しないと!」
「せやなぁ、ルエト一人で食べぇや。お父さんはこいつらをしっかり躾けたら行くからなぁ。」
「わたし、お父さんと一緒にご飯食べたい!」
いつになく恐ろしいアントーニョに叱られている二人を哀れんだのか、ルエトと呼ばれた少女は必死にアントーニョの怒りを逸らそうとしている。その姿は、震える二人にとって天使のように見えていた。
「ルエトはホンマ甘えん坊さんで困ったなぁ、まだまだちっちゃい俺のお姫さん。分かったから準備行っておいで。」
どうやらアントーニョはかなりこの少女を甘やかしているようだ。少女にでれでれになる様は、少し前のロヴィーノに対するものよりも重たいかもしれない。やはり女の子となると勝手が違うのだろうか。
そこで、フランシスははたと気づく。そもそも、この女の子は誰だ。
「……アントーニョ、お父さんってどういうことだよ。」
先に切り出したのは、ギルベルトだった。
基本的に、彼らには子供ができない。人間とは似て非なる肉体構造をしている自分たちに、子供ができることなどありえない。それに、スペインがどこかの小国を属国にした、なんてことがあれば、隠すまでもなくニュースになって世界中を駆け巡るだろう。だが、今日にいたるまでそんな大事件を聞いたことがない。二人の頭にそんな疑問が浮かぶのも当然だった。
その問いに、アントーニョはあっけらかんと答えた。
「うちの国の子供でな。身寄りがないから俺が引き取ってん。生まれて3日目からうちで暮らしとるよ。」
「生まれて3日目……って、お前まさか!」
そう、「うちに立ち入り禁止」宣言から、10年は経った。そして、ルエトも10歳程度。まさか、そんな。そんなことで。
「ルエトちゃんを俺たちに見せたくなかった、ってこと?」
「当たり前やろ。お前らに見られたらルエトが汚れるわ!」
その声に、フランシスは反論できなかった。
だって、ルエトちゃんは本当にかわいいんだもの。太陽の国スペインで育っただけあって肌は健康そうな色をしているし、瞳の色は美しく、純粋な光を持っている。これは蝶よ花よと甘やかして育てたとしても仕方ない。だって子供に甘いアントーニョだもの。
「なんだよ……そんなことでかよ。」
「そんなことちゃうわ!ルエトがお前に汚されたらどうしてくれんねん。親としてショックで立ち直れんくなるわ!」
「わー、こりゃ本当の父親みたい。」
「だって父親やもん。ルエトって名前つけたのも、育てたのも俺やし。俺の子やで?やから不用意に近付く男は許さん。」
「この人本気だよ、目がもう本気だよ。っていうかモンペだよ。」
完全にモンスターペアレントへと変貌してしまった友人を前に、兄貴分でこそあれ、親となったことのない二人は無力だった。よく、子を持つ親は強いという。なるほど、人間は強いはずだ。
かつての栄光が戻ってきたかのようなアントーニョの姿を前にして、二人はただ、その笑顔の前に震えるしかなかった。
***
20150731
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