コットンキャンディで絞められる
スティーブンさんによる警護、と言う名の送り迎えを受け始めてから、そしてスティーブンさんの恋人と言う栄誉ある肩書を手に入れてから数か月。スティーブンさんの高級車に乗せられ、私の安アパートを素通りして彼の高級マンションへと溶け込むことも数え上げれば両手の指じゃ足りない、確かにそんな関係になった。ええ、なりましたとも。
スティーブンさんのマンションは非常に居心地がいいし、アパートに帰りたくないと強請ったことももちろんある。あるんだけれども、あれはあくまでも冗談のつもりであって、だから待ってスティーブンさん!
「なんで私のアパート今月末で解約になってるんですか!」
休日に珍しく私の家に顔を出したスティーブンさんの鼻先に、突然大家さんから投げ渡された契約書を突き付けながら、私の涙腺は決壊寸前だった。
安普請とはいえHLに来てから慣れ親しんだ我が城、3年間私を守ってくれたアパート。それが今月末……と言えばまだ期間があるように聞こえるかもしれないが、実質のところあと3日……で、消え去ってしまうのだ。
「いいじゃないか、もういらないし。」
「いらなくない!私の家ですよ!?住むところなくなっちゃうじゃないですか!」
「住むところならあるじゃないか。というか、いい加減君を送り迎えする為に遠回りするのがめんどくさい。」
「住むところないですよ!実家に帰れと!?」
異界治療を受けた数は両手で数えきれない、そんなこの身で外に出るなんて恐ろしすぎる。
背筋に寒いものが走るのを感じる……それは怖気だけじゃない、目の前でニコニコ笑う人の足元から出ている物も混ざっているはずだ、絶対に。私がこの家を出るのは確定事項なわけだ、なるほど。
仕方ない、新しい家を早急に探さなければ。見つかるまではしばらく事務所に間借りさせていただけるようにクラウスさんに頭を下げるとして、とにかく不動産屋に行かなければ。引越し資金もなんとか捻出しなきゃ……頭を抱える私の肩に、突然スティーブンさんの手が触れた。
「住むところならあるって言ってるだろ。さ、早く荷物を纏めてくれ。」
非情な声に文句の一つも言ってやろうと顔をあげると、我が家の狭い玄関にギリギリおさまらない長身の人物がスティーブンさんの後ろに控えるように二人、そしてその後ろにもずらりと並んだ人、人、人。
黒ずくめの男女が安アパートの外廊下にずらりと並ぶ図、外から見たらどんなものだろう。借金の取り立てとか、そんなのに見えているかもしれない。
誰だ。スティーブンさんの知り合い?それとも私は何らかの容疑がかけられていて、この人たちはライブラのまだ見ぬメンバーで、私を滅殺しに…!?
「……どちら様ですか……」
震える声で、やっとのことでこれだけの言葉を絞り出すと、スティーブンさんはああ、と声をあげ、後ろの黒ずくめ集団に我が家に入るように指示した。あまりの恐怖にひぃ、と情けない声をあげると、スティーブンさんは呆れたように息を吐いてから、さらに後ろに控えていた男性が持ってきた大きな段ボール箱を受け取り、それを私につきつけた。
「引っ越しの手伝い。さ、早く小物を纏めてくれ。君はそっちのベッドとスツールを運んで―――」
「待って!?家決まってない!どこに持ってくんですか!」
「君、本当に察しが悪いなぁ……うちの一部屋を開けたから、そっちにおいでってそう言ってるつもりなんだけど?」
ベッドやスツールが次々と運び出される騒音と埃の中、スティーブンさんがまるで今ここは二人きりの世界だと言わんばかりに、私の髪に優しく触れる。
スティーブンさんのご自宅の、余りに余ったゲストルームの一室。その中でも私が一番お気に入りの、大きな出窓がついたあの部屋を空っぽにして、そこはすでに私好みの壁紙とフローリングに張り替え済みで、あとは荷物を運ぶだけ。私がスティーブンさんのベッドにとろけている間に、既にすべての手回しは終わっていたのだ。
「さて、もう説明はしないし言い訳も聞かない。おいで、ルエト。」
そういって綺麗で強い瞳で私をじっと見つめるから、あったかい指で私の手を力強く引いてくれるから、引っ越しのゴタゴタで舞い上がった埃は日光を受けてダイヤモンドダストみたいに見えるし霧がかった世界は色を増す。
だから、私はもうこの人の掌の上で転がされ続けるならそれでいいだなんて浅はかな思考になってしまうのだ。
20150526
prev / next