救護室
ベッドの中で、男はあちらこちらに視線を泳がせている。彼に向けて、今にも射殺さんばかりの殺意を向ける彼女……御興の視線から逃れるように目を逸らし続ける。しかしささやかな抵抗もつかの間、耳の真横にりんごの匂いが染み付いた果物ナイフを刺し抜かれたことで白旗を揚げるに至った。
「馬鹿。もう少しくらい、自分の安全を考えなさい。」
救護室で、全身に包帯を巻かれたままベッドに横たわっている男……須郷に向かい、彼女はため息を付いた。
公安局の執行官に、怪我はつきものだ。
特に近年は、大きな事件が続いている。須郷が執行官として働くようになってから、まずWC事件……そして直近では海外からの密入国者への対応。密入国者は、もはや現代日本では存在さえ許されなくなった火薬武器を所持しているというパターンが急増した。
公安局所属の執行官、そして監視官には武力執行装置としてドミネーターの所持が認可されているが、同じく飛び道具を持つ相手に対しては、最終的に読みと連携に秀でた勢力が勝つ。
須郷には、そのどれもが備わっている。入れ替わりの激しいこの職場で、これまで生き延びてきた経験が、彼をそうさせてきた。
だが、裏を返せば、だ。
「結果、ちゃんと生きてるだろ。」
「問題は過程。須郷、貴方はいつもそうやって、死に急ぐようなことばかり……」
横っ腹に空いた風穴に手のひらを当てると、未だに塞がっていない傷口から包帯に赤い色が滲んだ。
「常守監視官と宜野座執行官がいなかったら、何回地獄に落ちてるか。」
御興は須郷が頭をのせている枕からナイフを抜き取り、軽やかな手つきでゴミ箱へと投擲した。つい先程まで自分の顔の真横に刺さっていたナイフの行末を見届け、須郷はそっと体を起こす。
「あのお二人には感謝してるさ。」
「それは、何に対しての感謝?」
「……全てにおいてだ。俺は一度、生きる理由と意味を見失った。それを取り戻させてくれたのは、今の1係だよ。」
3年前のWC事件で失ったものは、あまりに多すぎた。現存1係のメンバー以外に、あの事件の全貌を知る執行官と監視官はいないだろう。事の始まりから終結まで生き延びたのは、今の1係だけなのだから。
「だから、そのためには自分のことなんて投げ捨てられるってわけ。『自分が死ぬだけ、損害とは言えない』?冗談じゃない。馬鹿じゃないの、大損害。少なくとも私にとっては。」
だから貴方が嫌いなのよ、と口走ると、御興はご丁寧にカットしたりんごを須郷の口に押し込めた。甘い。バイオ麦で合成された人工甘味料の塊とは違う味が、須郷の舌に染み渡る。
「感謝してよね、本物を用意したんだから。それにベッドの空きも少ないんだから、さっさと治して出て行って。」
りんごの残りをかじりながら、彼女は薬臭い白衣の裾を翻す。白いドアが静かに閉ざされ、ホルマリンの臭いは遠くへと消えた。
口に咥えたままのりんごの欠片と、薄れていくホルマリン。須郷はぼんやりと閉ざされた扉を見つめた。
「……あれ、一応心配してくれてたのか。」
全く分かりづらい奴だ。須郷は自分のことを棚に押し上げながら、口に入れられたりんごを飲み込んだ。うん、甘い。
20150423
映画の直前みたいなやつ
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