「1/f」 | ナノ


かみさまのいうとおり!


「なんでですか! なんで駄目なんですか!」
「理由はもう何度も云っているでしょう。いい加減聞き分けなさい」
「やだ! 納得いかない!」
「そうですか。では、一人でずっと喚いていなさい。そんな我儘を云う子は、ぼくはもう知りません」
「うわああん!!」

 あれ、若しかして私ヤバいタイミングでお邪魔しちゃったかも。異能力『外套』で開けた空間から頭だけを出した状態でゴーゴリは一筋の汗を垂らした。此処は、ドストエフスキーの所有する屋敷で、更に云えば彼が数年前から大切に育てている少女の部屋だ。何時ものように生首宜しく顔を覗かせて反応を見ようとしていたのに、真逆此方が驚かされるとは思わなかった。道化師としての矜持を傷付けられた思いだ。
 首をブンブンと左右に振って泣き喚く名前に溜息を吐いたドストエフスキーが踵を返す。自然と顔を見合わせる形になり、ドストエフスキーの表情が更に苛立たしげに曇った。

「これはこれはゴーゴリさん。こんな真昼間に何の御用でしょう」
「ご機嫌ようドス君。暇潰しにちょーっと様子を見に来たのだけど……お邪魔っぽい?」
「ええ。何処からどう見てもお邪魔ですね」
「わあ辛辣」

 口調こそ丁寧なのに表情は苛立ちを通り越して無表情だし、彼の背後ではフワフワのクッションに顔を埋めて咽び泣く名前が居るのだから状況はすっかり混沌としている。とりあえず頭だけでなく体迄凡て外に出すと、漸くゴーゴリが居る事に気づいたのか名前が顔を上げた。目と目が合う。涙で濡れた黒い瞳がキラリと光った。あ、嫌な予感。身構えるが既に遅し。

「ゴーゴリ、聞いてよー!」
「うわあ……ドス君の視線が痛くて私、体に穴が空きそう」

 ドストエフスキーの絶対零度の視線がある以上、珍しく飛び込んで来た名前の体を抱き返す事も出来ず、両手を上げたゴーゴリは必死に首を逸らしながら何があったのか問い掛ける。
 涙乍らの支離滅裂な訴えを纏めた結果はこうだ。携帯端末が欲しくて強請ってみたが須く却下された、と。貴女には未だ早い。必要ない。何度お願いしてもドストエフスキーの返答は一貫していて、強請り疲れた彼女はとうとう限界を迎え、癇癪を起こしたようだ。
 ああ、成る程。事の顛末を理解したゴーゴリの感想はこの一言に尽きる。わんわん響く泣き声をバックコーラスに、頭を振り片手で額を押さえたドストエフスキーは子育てに疲れた親のように見えなくもない。思えば、こんな裏社会に身を置いてい乍ら、彼にしては実に真っ当に名前を育てて来た。危険な目に合った事がないとは云わないし、自由だとも思わないが、其れでも名前の置かれた環境は彼女にとっては幸福の一言だろう。だからこそ、この同僚兼親友に同情する。今度何か労りの気持ちを込めて贈り物でもしよう。

「抑々何でそんなに端末が欲しいんだい?」
「其れは」
「アプリゲームがしたいだけでしょう」
「うっ」

 二度目の納得である。まあ年頃だし、そう云う娯楽に興味を持つのは自然な事だ。あまり外に触れさせたくないドストエフスキーの目がなければ自分が与えてやってもいい程である。
 絵に描いたように固まり切った名前の体は簡単に剥がれた。ドストエフスキーの淡々とした指摘にぐうの音も出ないようで、視線をウロウロと彷徨わせ、指先も彷徨わせ、彼女は結局クルリと背を向けた。そして腕を組んだまま呆れ眼で見下ろすドストエフスキーの足元に座り込む。

「なんですか。我儘が非道い子は、もう知らないとつい先刻云ったばかりでしょう」
「う、うぅ……」

 多分、名前はドストエフスキーから冷たくされた経験がとても少ない。ゴーゴリが見ている限り甘やかしすぎな位で、本当に彼にしては珍しくよく付き合ってやっていると思う。だからこそ、今名前は大変混乱している。携帯端末は欲しい。ドストエフスキーの却下理由にも納得してはいない。けれど此の儘ドストエフスキーに冷たくされるのも放置されるのも嫌だ。とにかく彼に嫌われたくない。実に判りやすい思考で少女は動く。愚図り声を上げて、ドストエフスキーのシャツの裾を引いた彼女は小さく鼻を啜り、か細い声で呟いた。

「ごめ、ん、なさい」

 其れは、とても幼稚で弱々しい謝罪だった。すると見る見る内にドストエフスキーの表情が変化した。絶対零度の視線は消え、無表情だった顔に穏やかな微笑みが乗る。彼は、ぼろぼろと涙を流して許しを乞う名前の頭を撫でる為に腰を屈めた。両手で優しく包み込み、「はい、許します」と甘い声色で囁いてやれば名前の顔から不安が消える。何度見ても実に見事な手腕だ。ドストエフスキーは少女の凡てを掌握しているに違いなかった。

「ぼくは貴女の為を思って云っているのです。時折厳しく感じるかもしれませんが、凡て大切な貴女の為なのですよ。これからはちゃんと聞き分けられますね」
「うん、うん」
「よしよし、善い子ですね。ぼくも冷たくしてしまってごめんなさい。おいで。仲直りの抱擁をしましょう」

 仲良き事は美しきかな。そんな日本語を思い出す光景だ。広げられた腕の中に飛び込んだ名前の表情は見えないが、もう泣いていない事くらいは判る。如何やら本当にお邪魔らしい。すっかりゴーゴリの存在を忘れ切った少女と、未だ居たのかと云わんばかりのドストエフスキーの視線がまたもや痛い。やれやれと肩を竦め、ゴーゴリは外套の中へ姿を消した。暇潰しは諦めて今日は一日、家でゆっくりしていよう。

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