メイン | ナノ

 天下の暗殺一家ゾルディック家の子供たちは五人兄弟だ。素顔はベールで隠され性別は全員男とされている。四番目は弟であったり妹であったりと様々な説が称えられていたが、三男キルアにとっては妹だった。そう、アルカはむさ苦しく重苦しい兄弟の中の紅一点だ。スカートを履いて感情豊かな表情を見せ、車両の窓から外の風景を眺めるアルカはキルアにとって唯一の可愛い女兄弟であった。
 けれど――同じように窓の外を眺めるキルアはふと思い出す。NGLで長兄に埋め込まれた針を抜いたあの日、呪縛から解き放たれ、次第にアルカのことも思い出した。こうしてアルカを家から連れ出し、二人で旅をして行く内に段々と色濃く思い出す記憶があった。
 姉の話だ。長兄イルミの双子の妹でキルアが六歳の時に死んだナマエと言う姉の記憶を、キルアはつい最近まで忘れてしまっていた。

 イルミとナマエは一卵性双生児だった。母であるキキョウの遺伝子を色濃く受け継いだ双子だったので、女であるナマエはまさに母の生写しだった。とは言え、兄同様性格はまったく似ていなかったと記憶している。どちらかと言えば物静かで、兄のような無表情無感動の人間ではなかったけれど、感情表現が得意な姉ではなかった。
 兄と姉は常に共にいた。当時、少年らしく短い髪をしていたイルミに合わせてナマエも髪は短かった。キルアの訓練を見るのだって二人で行った。拷問は姉の方が少しだけ優しかった。なのでキルアは、拷問訓練の度、独房の扉を開くのが姉の方であってくれと願ったものだ。
 兄と姉は特別仲が良いわけではなさそうだった。常に共にいたけれど会話らしい会話などしていなかったし、二人の表情筋が緩むところなんて一度も見たことがなかった。それでも隣にいたのは、やはり双子だからなのだろうか。双子だからこそ、そういう特別な絆でもあったのだろうか。考えて反吐が出た。あのイルミに限ってそんな。兄の異様な束縛は身に覚えがありすぎた。
 姉は、やはり兄同様強かった。女であろうと仕事は一人でこなしていたし、怪我をして帰ってくることもなかった。
 そんな姉が、何故この世にいないのか。
 キルアを庇って死んだのだ。

 キルア、逃げて。

 絵の具の青を塗り広げたような見事な夏空には入道雲が浮かび、夜になれば星がよく見えた。その光景を今となっては、よく覚えている。
 その日、キルアは姉の仕事へついていくよう父に言われていた。僅か六歳であっても天賦の才を持ち将来を有望視される愛息子に、暗殺という家業を多く見せておきたかったようだった。
 その頃、どんな気の変わりようか姉は髪を伸ばし出していて、現在の兄のように腰辺りまで真っ直ぐな黒髪が流れていた。当時性差なんてものは分からず、兄と姉をまったく同じ生き物として見ていたキルアは、この時繋いだ姉の手の柔らかさにひどく驚いた。勿論、彼女の掌は殺し手らしくそこらの女よりも硬質ではあったが、姉の手は父や兄に比べると、とても柔らかく脆いもののように感じられた。
 姉の仕事は見事だった。闇に潜み、標的が悲鳴一つ上げる間も与えず心臓を抉り取ってみせた。依頼内容は、依頼人が敵対する組織のトップの暗殺という至ってありふれた物だったので、ものの数分で仕事は終わった。双子のイルミ同様、慎重な姉は、仕事の間、キルアを人気のない物陰へ隠した。柱の影から盗み見た姉の横顔は、やはり兄そっくりで双子の血の濃さを感じさせた。

「ナマエ姉、終わった?」

 そう、仕事は終わったはずだった。標的は既に死亡していて、後は依頼人へ報告、家へ戻るだけ。この場で動ける人間は、姉とキルア以外いなかった。

「キルア、逃げて」

 それなのに姉は、キルアへ向けてそう言い放った。いつも物静かだった姉が僅かに焦ったように声を上擦らせていた。先程まで繋いでいた柔らかな姉の手が、近づこうとしていたキルアの身体を力一杯跳ね除けた。驚き声を上げる暇さえなかった。キルアの軽い身体は、押し出されるまま背後の窓ガラスへ衝突し、暗闇へと投げ出されたのだ。
 そこからの光景は、まるでスローモーションのようだった。宙を舞うまま、視線は頭上、姉がいるだろう部屋へ固定されている。瞬間、身体が地面と衝突するより早く爆発音が轟いた。砕けた瓦礫が次から次へと降り注ぎ、それでもキルアは目蓋を閉じることなく上を見ていた。
 姉がいる。あの部屋にナマエはいるはずなんだ。
 肌を焼く炎と上がる黒煙。まともな防御すら取れぬまま地面に叩きつけられるかに思われたキルアの身体は、硬い両手に受け止められた。

「キル」

 見上げると、姉と同じ顔がそこにあった。
 炎の赤で黒髪をオレンジ色へ染め、兄イルミはいつもの無表情でキルアを見下ろしていた。

「お兄ちゃん、見て。入道雲!」

 ハッとして顔を上げた。意識が現実へ引き戻される。窓の外を指差すアルカに倣って見上げた空には、妹の言う通り見事な入道雲が浮かんでいる。

「おー、すげぇな」

 アルカは地下に幽閉されていたから、こんな当たり前の景色すら珍しく感じるのだ。その事実が微笑むキルアの胸を締め付ける。
 キャッキャと笑い声を上げるアルカに相槌を打ちながら、また意識は過去へと戻った。
 思えば、キルアが身近な人間の死を体験するのはあれが初めてだった。やけに長寿な身内ばかりなので、葬式に出たのもあれが最初で、それ以降は体験していない。
 姉の遺体は見つからなかった。正確には、断片的には見つかったけれど姉だと判断出来るような部位を見つけることは叶わなかった。依頼人は最後に爆弾を仕掛けていた。死後発動するよう条件付けられていたその爆発に姉は巻き込まれて死んだのだ。
 何故、あの日イルミがあの場にいたのかと言えば、慎重な姉らしく、未熟なキルアの身を守るためちょうど非番で家にいたイルミに監視を依頼していたらしい。姉の葬儀の後、いつにも増して険しい表情をした父から教えてもらった。
 母は泣きじゃくって半年間部屋へ篭りきりになった。娘を亡くした喪失感を紛らわすかのように父はより一層仕事へ精を出すようになった。祖父母や他の兄弟も口には出さずとも悲しんでいた。一番末のカルトはあまりに幼すぎて姉の死を理解していなかったかもしれないが、普段にも増して異様に静かだった。異常な家だけど、一般で言う家族愛に似た感情は確かに存在しているようだった。
 そんな家が、輪をかけて異様な雰囲気に包まれていたあの頃。当時のイルミの様子をキルアは思い出そうと必死になった。畏怖すべき長兄をわざわざ思い出すなんてしたくはなかったが、何故だかひどく気になって、彼は過去を振り返ることをやめなかった。ちょうどアルカが昼寝を始めたので暇つぶしも兼ねていた。
 車両がトンネルへと入る。辺りが一気に暗くなり、窓の外の闇は長兄と姉を思い出させるのに丁度良い材料となった。

 感情の大半を母親の腹へ置き去りにしたような兄だったので、片割れが死んでも表立って悲しむようなことはなかった。迷惑なほど長子としての自負がありすぎる兄なので、悲しむという選択肢が元よりなかったのかもしれない。だとすれば、少し、ほんの少しくらい同情を寄せてやりたくもなる。
 当時、キルアは言葉にせずとも姉の死は自分にも責任があるのではないかと自責の念に駆られた。キルア、逃げて。最後に聞いた姉の声や手の感触が忘れられず、姉に良く似た兄の顔を見る度、まるで死んだ姉に責められているようだと錯覚すら覚えた。今となってみれば、キルアが家業に疑問を抱いたきっかけは姉の死だったように思う。それほどまでに彼にとって、血の繋がった姉の死は衝撃的なものだったのだ。
 一人で行動するようになって、イルミは自室へ居る時間が増えたようだった。勿論、キルアへの訓練は一切手を抜かなかったし、与えられた仕事は当然のようにこなしていた。元々口数の多い人間ではなかったけれど、常に隣にいた片割れの不在は、確かに兄にも影響を与えているように見えた。

 姉の死から一月後の秋の気配を感じ始めた夕暮れに、何を思ったかキルアはイルミの自室を訪ねたことがある。呼び出されでもしない限り決して近づくことのなかった兄専用のスペースは、不気味なほど静まり返っていて執事の気配すらもなかった。冷たい石造りの廊下を足音もなく進み、物音を立てぬよう細心の注意をはらいながら兄の部屋の扉を開ける。兄弟の部屋の作りは皆同じだ。両開きの扉の先には更に廊下があって、浴室やレストルームに繋がる扉が二つある。その一番奥にリビングスペースへ繋がる木製の扉があるのだ。
 僅か数センチほどの隙間から覗き見た室内に兄の姿があった。相変わらず殺風景な室内で、唯一存在を主張するソファに腰掛けた兄は、無表情に自身の指先を見つめている。
 いや、違う。キルアはすぐに自身の認識した光景を否定した。兄は、イルミは、自身の指先など見てはいなかった。指先につまみ上げた物、あまりに小さくて視認するのに時間がかかったが、兄は何かを持っている。そして、彼はその指先を自身の唇へと近づけた。
 そこでキルアは気がついた。気がつきたくもなかったのに、持ち前の勘の良さと幼少期より叩き込まれた知識であれが何であるのか分かってしまった。
 あれは、あの物体は、姉だった物だ。
 イルミがそれを嚥下した瞬間、キルアはその場を走り去る。吐き気がした。頭の中で姉の声や手の感触、温もりがぐるぐると回っていて目眩さえも覚えた。心臓が暴れ回っている。
 あれは、白く細い姉の骨の一部だった。 

「お兄ちゃん、お兄ちゃんってば!」
「……アルカ」
「もう、駅に着いたよ。降りよう」

 いつの間にか眠っていたようで、目を覚ました先には頬を膨らませたアルカの顔があった。つい数秒前まで笑ったり眠ったりしていたはずなのに、本当に表情が変わりやすい。そう考えて時計を見れば、既にあれから一時間は経過していた。
 車両が駅のホームに滑り込み、アルカに腕を引かれコンパートメントを出る。キルアより一回りほど小さな手は柔らかい。いつか触れた姉のものよりずっと脆くて綺麗な手だ。
 アルカは、ナマエのことを覚えていないかもしれない。
 あの時、アルカは僅か五歳だった。ちょうど地下に幽閉される寸前で、家族皆扱い方を考えていた時期だったから、姉の葬式にさえ参列は許されなかった。姉のことを覚えているか、そう問いかけようとして結局やめた。わざわざ口にする必要はない。この記憶は、自分だけが持っていればいい。
 車両が走り去った駅のホームは、真夏の日差しに照らされてひどく暑苦しかった。それでも手は離さないまま、構内へ入る寸前、空を見上げる。
 入道雲だ。姉に手を引かれたあの日と同じ青を塗りたくったような夏空がそこにある。夜には星が見えることだろう。
 そして、ようやく思い出した。今日は姉の命日だ。



 キルアは勘違いしていると思う。
 そうイルミは、一人呟く。

 毎年、この日は屋敷が静まり返る。片割れが死んだあの日のように喪に服すが如く、普段騒がしい母でさえ金切り声を上げようとはしない。
 世間一般からすれば畏怖される天下の暗殺一家にだって家族愛はある。可愛いたった一人の娘の死は、家族に大きな衝撃と悲しみを与えた。彼女が死んで七年が経過しようとしている現在でも、その傷が癒えることはない。
 会話のない食事を終えて自室へ戻ったイルミは、迷いのない足取りで窓辺に置かれた机へ向かった。いくつかある引き出しの一つを開き、そこからさらにもう一つ、隠し扉を開けて中から取り出したのは小さな箱だった。なんの変哲もない、昔口煩い母の目を盗んで二人で食べたたった三枚入りの小さなクッキーの箱だ。

「キルはさ、勘違いしてると思うんだよね」

 今日は、キルアが針を抜いて初めてのナマエの命日だ。きっと弟は、姉の存在を思い出しセンチメンタルになっていることだろう。何かと甘い弟の感情など、こうして離れていても手に取るように分かる。そういう自信がイルミにはあった。
 小箱を手に彼はソファに座り込んだ。右側を開けて、そのスペースに箱を置く。そうして指先で表面を撫でた。

「そう言えばさ、聞いてよ。母さんがしんみりした顔してジッと見てくるから何って聞いたんだ。そしたら何て言ったと思う。イルミは、そうしていると本当にナマエとそっくりね、だって。当たり前なのにね、双子なんだから」

 感傷に浸る母が、髪を伸ばした自分を見て愛娘を思い出すのも無理はない。一卵性双生児とは言え、性差を乗り越え二人は驚くほど良く似ていた。頬の丸みなど多少の差はあるが、今でも首から上、顔立ちだけはそっくりだと言い切れる。
 肩からこぼれ落ちた髪をもう片手に巻き付けてイルミは抑揚のない笑い声を上げた。まるで誰かから返事をもらったかのように相槌さえうって、会話を続けた。
 キルは勘違いしているよ。

「確かにオレはお前を食べたけど、ちゃんとまだ残ってるのにね」

 あの日、イルミはキルアが見ていると知っていながら妹だった骨を食べた。けれど、全てではない。ほんの一欠片だけ口にしただけであり、残った骨は全てこうして保管してある。
 イルミはただ知りたかっただけだ。自分の片割れがどんな味をしているのかを。

「キルは、自分じゃ成長したつもりかもしれないけどまだまだ甘いんだよね。思考も能力も、まだ幼くて荒が目立つって言うかさ。お前もそう思うだろ」

 キルアは勘違いをしている。それも複数。

「お前が死んだのは自分のせい、だなんて傲慢もいいところだよ」

 ナマエは弟を庇って死んだのではない。冷静になって考えてみれば分かることだ。念能力も習得しているゾルディック家の殺し手が、たかだか爆弾一つで命を落とすわけがない。キルアを逃すため手を伸ばす暇があるなら、抱えて窓から飛び出せばいいだけの話だ。オーラで身体を覆えばいいだけだ。生き残る手段は幾つもあった。けれど、妹はそうしなかったのだ。生き残らない選択をした。そのあまりにも残酷な現実に、気がつかないふりをしているのは、この家でキルアだけだ。
 ナマエはキルアを庇って死んだ素晴らしい姉なんかじゃない。あれは自殺だった。自ら死を選んだのだ。母から請われ髪を伸ばし始めた頃からその兆候はあった。一卵性双生児らしく、片割れらしく、何から何まで同じにしていた二人が、初めて別になった時、彼女はひどく動揺した。イルミはそうでもなかった。そもそも性別が違う。二次性徴を迎えるまではほぼ同じであった身体付きも、イルミが声変わりを済ませ、ナマエが初潮を迎えた頃には当然受け入れるべき事実としてそこにあったからだ。対してナマエは、共に生まれた片割れとの差から必死になって目を逸らし続けていた。それは片割れであるイルミだからこそ気付けた些細な変化だった。

 私も男に生まれればよかった。

 キルアを帯同するよう父から言い付けられた晩、ナマエはベッドに寝転がるイルミにしがみ付くようにポツリとそんな言葉を呟いた。イルミと同じでいたくて、感情を表に出さないよう努めてきた彼女が曝け出した数少ない本音の一つだった。
 母が娘に髪を伸ばすよう強要し、服装を女性らしく変えようとし始めた理由なんて、簡単に想像がついていた。だからイルミはあえてその言葉を否定しない。なにを馬鹿なことを、と考えていたのは事実であったけれど、わざわざ鞭打つ真似はしなかった。それは片割れとしての愛情であった。
 イルミ。その三文字を噛み締めるように発して顔を上げた女の顔をイルミは今も鮮明に覚えている。自分とまったく同じ造りをした彼女は、真っ黒な瞳に一片の光さえ通さず、射殺すように己の半身の顔を見据えていた。

 私が死んだら一つになって。

 そして彼女は死んだ。紛うことなき自殺だった。
 泣き叫ぶキルアを気絶させ、ナマエだった肉片の幾つかを拾い上げ、持ち帰ったのはイルミだ。葬儀を終え、真っ白な骨だけになった片割れは埋葬するより前に半分ほどを持ち帰った。きっと父は気がついていただろう。けれど、あえて何も言わなかった。許されたのだ。自ら死を選んだ娘の最後の願いを父親らしく聞き届けたのである。
 結果、ナマエの願い通り彼女の骨はイルミの体内へと吸収された。どこに在るかなんてイルミにも分からない。なんなら排泄され、欠片すら残っていないだろうとすら思う。でも、それで良かった。物理的には目に見えなくとも、確かに片割れは彼の中に存在していた。

「心配しなくて大丈夫だよ。ずっと一緒にいてあげるから」

 拾い上げた箱をそっと抱きしめる。頬を当てれば冷たくて到底片割れの体温なんて感じられなかったけれど、それでも彼女はそこに存在している。何度も何度も頷いてイルミにしがみ付いて離れない。
 光など通らぬ黒色の瞳をうっそりと細めて、彼は箱の表面に形の良い唇を寄せた。
 ここにいるのは、可愛い妹で、たった一人しかいない自分の片割れだ。

「オレって本当に良いお兄ちゃんだよね」

20230827

back
×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -