>>もう涙を流さずに済むの
ステージ上に聳え立つ氷の壁。まるで轟を守るように所々に造られたそれは、爆豪によって爆破されては現れてを繰り返す。ステージ外に飛び出す氷の破片と熱風。
バチバチと爆ぜる両の手は、爆豪の感情に共鳴しているかのように、荒々しく攻撃的だ。
初撃で造った巨大な氷結を背に、轟は一瞬、己の中の炎を垣間見せた。身体を回転させながら、爆豪は爆破の威力をどんどん上げていく。
その2つがぶつかり合う寸前、悲しげに目を伏せた轟に連れて行かれるように炎がその存在を静かに消したのを、確かに名前は見た。
崩れた氷の壁。拡がる冷気。明けた爆豪の視界に映ったのは、ぐったりとその身を氷に預けた轟の姿だった。「…は」自分でも間抜けだと思ってしまうような声が意図せず漏れる。目の前の決勝戦の相手が、あの時確かにその身に宿らせた炎を、自らの意思で消したのだと解るまでにそれ程時間を要さなかった。
痛む両手の汗腺など気にしている場合ではなかった。無理矢理起き上がって一歩一歩轟へと爆豪は足を進める。近づく度に彼の中で怒りの感情が脈を打って膨張していく。
「ふ、ざけんなよ!!」
声が掠れる程、叫んだ。意識のない轟に構わず、爆豪は彼の胸倉を掴み上げた。湧き上がる怒りは収まる事を知らない。
「こんなの、」喉の奥から漏れた声が、彼の意思に反して消えていく。くらりと心地よい眩暈に誘われたのは一瞬、爆豪はその場に抗う間もなく崩れ落ちた。
個性を発動させたミッドナイトがそっと近寄る。
「轟くん場外!!よって──以上で全ての競技が終了!!」
「今年度、雄英体育祭1年優勝は──A組爆豪勝己!!」
健闘を労う歓声も、意識のない2人には届いていない。ハンソーロボに2人をそれぞれ乗せて、名前は息を吐く。傍に居たミッドナイトがそれぞれの様子を見て言う。
「表彰式までちょっと間を置いた方が良さそうね」
「2人の意識がいつ戻るかですが…」
個性で強制的に眠らされた爆豪はともかく、轟だ。腕の火傷に擦り傷、頭部に出血は見られないが少なからず打っている筈だ。容体はリカバリーガールでなければ詳しくは解らない。
会場が決勝戦の余韻に包まれている中、名前はハンソーロボと共にリカバリーガールの元へ急いだ。
***
う、と軽く唸り声を上げて、沈んでいた意識が浮上する。真っ先に目に入った白い天井と目を刺激するライトの光に、轟は目を細めた。鼻を突く独特の消毒液の匂い。
保健室か、と自分が寝かされている場所を把握した時、音を聞きつけたのかそっとカーテンが開かれた。
「名前さん」
「お疲れ様」
ゆっくりと起き上がると鈍痛が走る。頭部に手を当てるとタンコブが出来ていた。パイプ椅子に腰を下ろした名前を見ながら、轟は意識を失う前の事をぼんやりと思い出した。
「…爆豪は」「先程目が覚めたのですが、大変で。色々と」その言葉でどこか疲れている名前の様子に納得がいった。
「もうすぐ表彰式です。アナウンスがあるのでそれまではゆっくり──」
「名前さん」
くい、と怪我などお構いなしに轟が名前の腕を引く。完全に油断していたのだろう、驚く程あっさりと、名前は轟の思うがまま抱き寄せられた。
鼻先に感じるジャージは何処となく焦げ臭い。抵抗すれば崩れてしまうような、壊れ物に触れるような抱き方だった。
「…少しだけ」名前が言葉を発する前に轟の囁くような声が耳を撫でる。
「少しだけ、こうさせて欲しい」
体勢を保つ為にベッドに片手をついて、轟の肩口で大人しくされるがままになっている名前はどうしたものかと思案する。縋るように弱弱しいその声を突っぱねられる程、鬼にはなれなかった。「…少しだけ、です」自分とは違って広いその背をゆっくりと摩ると、抱きしめる力が少しだけ強くなった。
轟を前にすると、こうして甘やかしてしまうのは何故だろう。他の生徒とは違うという自覚はあった。緑谷に接する時とも違う。初めて会った時の轟を思い出すからだろうか。
まるで轟の迷いが名前に伝染したかのように、抱きしめられている間色んな疑問が頭を飛び交った。
「清算しなきゃならねえもんが、ある」
「うん」
「今まで目を逸らしていたモノに向き合わないといけねぇって、思った」
「…うん」
「──名前さん」
「大丈夫、轟くんなら。頑張れるよ」
この人は、いつだって自分の欲しい言葉をくれる。
胸の奥につっかえていた石のようなものに、亀裂が入って少しだけ呼吸がし易くなった。そんな感覚が轟の中を巡った。ゆっくりと息を吸って、吐き出す。こんなに楽な深呼吸をしたのは久しぶりのように思う。──人の体温を心地よいと思ったのも。
背を撫でていた自分よりも小さな手がそっと頭に触れる。怪我をしたところに気を遣いながらも、安心させるように髪を梳いていく。
その度に、胸に温かいものが広がって時に締め付けるようなむず痒さを残して。
ゆっくりと離れた名前の目に映った轟は、少しだけ目元を緩めた。
彼らにとって長く長く感じた1日がすぐそこで終わりを告げようとしていた。