>>したたかな淑女


あむ、と湯気立ち上る出来たての炒飯を咀嚼する。時刻はPM7:00を過ぎた頃。
桜えびの風味を口いっぱいに感じながら、目の前で「中華スープもあるよ」とマグカップを差し出す痩せ細った男をじっと名前は見上げる。
「ありがとうございます」と礼を言って火傷しないように注意しながら舐めるように飲むと、ガラスープと溶き卵の何とも言えない優しい味が口の中に広がった。
ホッとする、というのはこういう時を言うのだろう。名前の顔を見て、どうやら不味くはなかったようだと男は別の意味でホッと息を吐く。
男の目の前には小皿に5口にも満たない程の量の炒飯が置かれている。一度に多くを食べられない身ではあるが、彼が名前との食事を欠かした事は仕事以外ではなかった。

「あー、名前。それでね。先程の話なんだが…」

「血」

「え?」

「垂れてますよ、ほら」

「Oh..シット!!」

口を開くと、プチ洪水のように流れ出る鮮血。吐血がデフォルトだなんて、いくら見慣れているとは言え何とかならないものか。
差し出したタオルハンカチに滲む赤を見ても、前ほど動じなくなった。慣れとは恐ろしいものである。

「引っ越してからまだ日は浅いですが、既に部屋中ルミノール反応ですねえ」

「うう…嫌な言い方をするじゃないか」

「これくらいの反撃はしても、叱られないんじゃないでしょうか?ね、八木さん」


「後継をね、見付けたんだ」


じんわりと、その言葉が漸く名前の中にしみ込んでいく。炒飯を咀嚼するより、時間が掛かった。
予定よりも随分と早く、見付けたものだ。でも、適当に選んだとか、何となくだとか、そんな軽々しい気持ちで後継者を探していた訳ではない事は、名前が誰よりも知っていた。
だから、名前はこの言葉をどんなに時間が掛かったとしても飲み込むしかないのだ。

「私も、あの子──緑谷くんの事、少し気になってはいたので。良かったですね、八木さん」

「君は──、否。何でもない。スープのお代わりは?」

「ください。とても、美味しいです」

ふふ、と笑う名前は、年相応に見える。まだまだ人生の折り返しにも満たないこれからの彼女を危険を承知で手元に置いているのは他ならない自分である。
何度も周りに言われた。平和の象徴である自分の隣に彼女がいる事がどれだけリスキーな事であるのか。でも、決めたのは名前で、手元に置くと決めたのは、自分だ。
名前が守られるだけの存在では無い事は一番自分が理解している。後継者には出来ないと、断ったあの日の事を今でも鮮明に、オールマイトは覚えている。
その時の名前の顔も。その後の決意も。


「わたしは、あなたの支えになりたい」


「どうか、最後のその時まで、隣に居る事を許してはもらえませんか」


強い子だと思った。個性に惹かれたのではない。あの時の名前の瞳は、そう、あの人に似ていた。
無個性だった自分を掬い上げ、導き、平和の象徴としてのあるべき姿を身を以て諭してくれた、かけがえのない師に。
もぐもぐと食べる名前を微笑ましげに見ていた八木は、あ。ともう一つ大事な事を言い忘れていたのを思い出した。

「明後日から、暫くトレーニングに付き合うから夕飯は一人で食べられるかい?」

「分かりました」

「誰が来ても玄関は開けないように。…まあ、セキュリティはしっかりしているからアレだけど万一の事もあるしそれに、」

「オールマイト?」

「ンンン?この姿のときは──」

「八木さん」

「なんだい、名前」

「私、もう二十歳ですよ。子どもじゃありません」

「HAHAHA!そうなんだけどね、つい、心配で」

まるでお母さんだ。敢えてお母さんと揶揄したのは、彼がピンクのフリルの付いたエプロンを身にまとっているからだ。想像してみてほしい。そう、勿論激しく似合わない。
元々は名前用に買ってきたものだが本人に「趣味ではない」と一蹴され、結果彼自身が料理の際に着用するようになった。こんな事、巷のメディアが知れば卒倒するに違いない。
オールマイト──八木俊典という男は何でもそつ無く熟すタイプの人間だ。料理が壊滅的なセンスの名前からすれば、天才としか言いようがなかった。
なので名前は敬意を表して、彼の事を偶に「お母さん」と呼ぶのだが、八木本人からすれば堪ったものではない。けれど「外では言っちゃだめだよ!!」ときっちり釘を刺すだけで発言そのものを拒否しない辺り彼の人間性が窺える。
くるくると指先で髪の毛を絡める名前を見て、八木は思い出したように声を掛ける。

「あれ、そう言えば赤いリボンは?」

「どこかに落としてしまったようです」

「それにしては嬉しそうだね」

「ふふ、秘密です」

次の日の朝、名前が目を覚ますと机の上に真新しい青色のリボンが置いてあった。早速髪を結い上げ、誰もいない家の中、名前は上機嫌で鼻歌を歌うのだった。
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