>>透き通るまであと少し
飯田塩崎戦、芦戸常闇戦が終わり、現在行っているのは切島爆豪戦だ。これが終わればベスト4が出揃う事になる。
開始早々突っ込んでいった爆豪の爆破を、硬化した身体で受け止めた切島は余裕の笑みを浮かべた。怯むどころかよろけもしない。硬化した切島の拳が爆豪の頬を掠る。鈍い痛みと共に頬を伝う液体の感覚──掠っただけでこれか。チッと大きな舌打ちが漏れる。モロに食らったら流石に一溜りもない。
「効かねーっての!爆発さん太郎があ!!」
爆豪がどう攻撃してくるか分からない以上、どの箇所に爆破を受けても良いように、切島は恐らく全身フル硬化で臨んでいる筈だ。爆豪相手に持久戦は分が悪い。それは誰しも解っている事だ。個性を維持し続けるのにも限界がある。今現在切島は言うなれば無敵だ。この状態を維持している間に一発でも入れば、勝機はある。
接近戦に入るも、爆破による攻撃も止めぬまま爆豪は器用に切島の拳を避ける。持前の反射神経のお蔭か、切島の肉弾戦の経験値不足か、一発も爆豪に入らぬまま時間が経過していく。時間に焦らされている所為か、攻め続けているように見せて腕の動きが余りにも大振り過ぎて、これでは当たらない。
『ああー!!効いた?!』
気を抜いたその一瞬が命取りだった。脇腹に頬の仕返しと言わんばかりに痛みが抉るように押し寄せてくる。「…入ったな」指の関節を威嚇するように鳴らして爆豪が唸る。
「てめぇ全身ガチガチに気張り続けてんだろ」
ニトロの甘い匂いを鼻先に感じたのは一瞬だった。目の前で、轟音と共に火が爆ぜる。ぐ、と思わず喉が鳴る。防いだ腕がじんじんと悲鳴を上げた。恐らく二撃目は防げない。
「その状態で速攻仕掛けてちゃ、いずれどっか綻ぶわ」
だから爆破を止めなかったのか。無茶やってるようで、随分と考えてやってんだな、と切島は奥歯を噛み締めた。
全身に焼きつくような痛みを感じ、「死ねえ!!」というヒーローらしかぬ声と共に、思い切り吹っ飛ばされた。
「切島くん、行動不能!爆豪くん3回戦進出!」
『爆豪エゲツない絨毯爆撃で3回戦進出!!これでベスト4が出揃った!』
「切島くん、立てる?」
「ちょ、っと無理っす」
「OK、そのまま楽にしていて」
ハンソーロボを連れた名前が用意された担架にゆっくりと切島を乗せる。顔まで火傷が及んでいる。手は抜かずともある程度調整しているのだろう、重度のものではなさそうだ。ひりひりとした独特の痛みはあるだろうが、痕は残らないだろう。ハンソーロボを見送って、ステージの補修が終わったセメントスが合図を送る。
『よっしゃ準決!サクサク行くぜ!』
『お互いエリート家出身のエリート対決だ!』
『飯田天哉 対 轟焦凍!──START!』
まるで心ここに在らずといった感じだと名前は轟を見て直感的にそう思った。
開始合図と共に氷結を繰り出してスピード勝負に出てきた飯田の進路を妨害、囲う作戦に出ているし思考能力の低下は認められない。ぼんやりとしている訳ではない。ただどこか迷っているように見えるのは気のせいではない筈だ。緑谷戦が終わってから、彼なりに思う事があって戸惑っているのか。
轟が左側を使う気配は今の所ない。氷結の壁を空中で回避した飯田が、奥の手を早くも使う。目視する事すら難しい、攻守両方に有効な“レシプロバースト”。出し惜しみしている場合ではないと判断したのか、使ってくるのは早かった。氷結が追いつかない。
トン、と地を蹴った飯田は、勢いそのままに脚を振り下ろして轟を地面に捻じ伏せた。動きの停止した轟の背を引っ掴み、ステージ外に向かって加速を続ける。そのまま轟を場外に放り出す気だ。実に有効的な戦法に会場が湧いたのも束の間、飯田の意思に反してスピードが急激に減速していく。
驚いて飯田が足元を確認すると、左脚のマフラーが凍らされていた。「いつの間に!!」ぐい、と腕が引っ張られ、一気に身体を氷が蝕み自由を奪われる。
「範囲攻撃ばかり見せてたから…こういう小細工は頭から抜けてたよな」
「ぐううっ…!」
「警戒はしてたんだがレシプロ、避けられねえな流石に…」
つう、と頭から血が流れる。飯田の蹴りが入った時に掠ったのか、地面から突き出た氷結が運悪く当たったのか、思い当る節はない。先程まで平気だったのに傷に気が付くと不思議なもので、ずきずきと鈍痛が波のように襲ってくる。ぼんやりと左手を見つめながら、轟はそんな事を思っていた。
「飯田くん行動不能!轟くん、決勝進出!」
「轟くん、決勝までに時間が少しあるから、止血しよう」
「名前さん……」
簡単な応急処置セットならハンソーロボが持っている。直に常闇爆豪戦が始まる。救急セットを持って手招きをする名前に、轟は素直に従った。
誰も居ない選手控え室に入り、パイプ椅子に轟を座らせる。タオルと紙コップに飲料を入れてそれを手渡し、一言声を掛けてから髪に触れる。汗でしっとりとした髪は、それでも指先から簡単に逃げてしまう程艶がある。ほぼ乾いている傷周りの出血状態を見て深くはないとホッと息を吐く。
消毒液で血を丁寧に拭き取りながら消毒ガーゼ付きの絆創膏を素早く貼る。轟は紙コップに入れられた飲料を一口飲んで、されるがまま、自身の左手を見つめていた。
「まだ痛みますか?」
「…平気だ」
そう、と返事をして、救急セットを持った名前は静かに背を向けた。外の様子は分からないが長期戦に及ぶ可能性は低いだろう。退出しようとした名前の空いている手を、じっとしているだけだった轟が掴む。
決して強い力ではなかったが、振り返って彼の顔を見た名前は、何も言えず、又その手を振り解けもしなかった。
「俺は…」
「……」
迷う彼の答えを、出してあげるのは名前の役目ではない。轟が長年抱えていたもの、それをなかった事にするのは出来ない。今後、自分が何を考えて、どう前に進んでいくべきなのか。名前が轟にしてあげられる事は、こうしてじっと彼の話を聞いて、答えが出たその時に受け入れてあげる事だ。
静まり返っていた室内の空気をぶち壊すように、勢いよくドアが開かれる。余りの突然の乱暴な音に名前はびくりと肩を震わせた。「あ?」ドアを蹴り上げたのか、片足を上げた状態のままの爆豪が怪訝そうな顔で名前と轟を直視していた。
「なんでてめェらがここに…」
眉間に刻まれた皺もそのままに、外の控え室番号を確認した爆豪が大きな舌打ちを漏らしたのが聞こえた。轟はそんな爆豪をちらりと一瞥して、騒動の原因が爆豪だと分かるや否やすぐに視線を外す。それが癇に障ったようで爆豪は音を立てながら入室し、机に向かって手を振り下ろした。もれなく個性も使われている為、備え付けの机の表面が一瞬で黒焦げになった。
「どこ見てんだよ半分野郎が!!」
「それ…緑谷にも言われたな」
きゅう、と未だに名前の手を握る轟の手に少しだけ力が込められる。救急セットを片手に、もう片方は轟に握られていて動けない名前を、爆豪が威嚇するように睨んだ。一言も発せず、まるで空気のように振る舞おうとする態度が気に入らないのか。内心冷や汗だらだらなのだが、名前はこのやりとりが早く終わる事を祈るしか出来ない。
「幼馴染なんだってな。昔からあんななのか?緑谷は…」
「あんなクソナード…」
「苗字さん、そろそろ決勝が始まる。戻ってこれるかい」というインカム越しのセメントスの声が、爆豪の怒号に掻き消される。蹴り上げられた机の倒れる音と名前の「ひええ!」という声にセメントスの驚いた声が上がるが、状況を説明する程の余裕が名前にはなかった。
「どうでもいいんだよ、てめェの家事情も気持ちも…!どうでもいいから俺にも使ってこいや炎側」
「す、すみません今すぐ戻ります」と2人の邪魔をしないようこっそりと囁いた声を、獰猛な瞳が射抜く。「おい」ガッと名前の頭部を思い切り掴み、その剣幕にこのまま爆破されるのかもと彼女は覚悟を決めた。けれど思っていた衝撃はなく、ただ呼ばれただけだと直後に知る。「どうしたの爆豪くん」と問えば、少し落ち着いたのかダダ漏れになっていた殺気が弱くなった。
「…解けかけてんじゃねぇか。みっともねえ頭しやがって」
いつの間にか轟の手が放され、自由になっていた片手が指摘された髪を結っているリボンに伸びる。確かに結び目が弱くなっていたようで、髪もだらしなく下がり気味だった。
机が倒されてしまった為、救急セットを置くスペースがない。まあ後ででもいいかと諦めた名前に舌打ちを一つ漏らして、爆豪が仕方ないとでも言うように手を伸ばした。
「…爆豪、意外と器用なんだな」
「うるせえ!見てんじゃねェよ半分野郎が」
爆豪の手つきを黙って見ていた轟が感想を一言。ふふっと名前が思わず笑えば、少しだけ乱暴に毛先が引っ張られる。失言でもして髪を爆破でもされたら堪ったものではないので、大人しくする。程なくして終わったらしいそれを確認する間もなく、爆豪に襟首を掴まれ名前は出入口に向かってずるずると引き摺られる。恰好がつかないなあと思いながらも、されるがまま、名前は轟にゆらゆらと手を振った。