>>終わらない僕らの今日


玉ねぎとじゃが芋の味噌汁を一口飲んで、ホッと名前は息を吐く。味噌汁の程よい塩分の後から来る玉ねぎの甘さが身体の中に染み渡る。朝からこんなご飯にありつけるだなんて、贅沢の極みだと白菜の漬物にも箸を伸ばしながら思う。
ヒーローがヒーローである為にまず行わなければいけない事は食生活の管理であると目の前で味噌汁を啜るピンクのエプロンを身に纏った八木は常々言う。きちんとした栄養管理と適度な睡眠、自分の体調に合わせたトレーニング。一人の人間としてそれらをバランス良く行わなければ、窮地に陥った時に満足な力を発揮できない。
名前がこうしてバランスの取れた食事にありつけるのは八木のお蔭だ。せめて味噌汁くらいは、と彼女自身思わない訳ではないが、料理のセンスが破壊的な者にとっては簡単だと言い切れる料理など一品もないのだ。
鮭の身を解しながら、名前はどことなく落ち着きのない八木の様子を見てデジャヴを感じる。

「……嗚呼、思い出しました」

「ん、何がだい?」

「八木さん、入試当日の時みたいに落ち着きがないなって」

「ブフゥッ…そ、そう見えるかな」

コーヒーと共に吐き出した血がテーブルクロスを容赦なく汚す。朝からなんとグロテスクな光景だろうと冷静に思いながらも顔色一つ変えずにタオルを手渡した名前は流石だ。口を拭いてエプロンを外す八木は、やはり名前が指摘するように始終ソワソワとしていた。

「忘れられない日になりそうですね」

「……ああ」

待ちに待った体育祭当日。全国生中継されるこの伝統行事は生徒だけでなく全国民の胸を躍らせるイベントだ。師がこんな状態なのだ、あの子はちゃんと眠れたのだろうかと少しだけ心配をして名前は味噌汁を啜った。


***


体育祭会場は場外場内関わらず人でごった返していた。全国から来たメディアの入場検査が行列を成し、場内も時間を追う毎に人で溢れてくる。
会場外では全国から警備の為に呼び寄せられたヒーローたちが右往左往としていた。
「あれ、少し大きくなったんじゃないか?」教員席に座った名前をふと見たオールマイトは嬉しそうにそう漏らした。彼の言う通り日を追う毎に着実に名前の身体は戻りつつある。しかし子どもの成長を実感しているようなしみじみとした物言いは自尊心が少なからず傷付くので幾らオールマイトと言えども止めて頂きたいと名前は胸中思った。

『雄英体育祭!!ヒーローの卵たちが我こそはとシノギを削る年に一度の大バトル!!』

プレゼントマイクの声が会場内外に響き渡り、いよいよ始まるのだと知らせる。やがて入場してきた1年ヒーロー科を大きな歓声が包み込んだ。
胸の上に手を置いてキョロキョロと周りを見渡す緑谷は、ここから見ていても緊張していると一目で分かる。「師弟って似るものなんですねえ」ぽつりと呟いた名前の言葉は歓声に揉み消されて隣に聞こえる事はなかった。

「選手宣誓!!」

全クラスの入場が終わり、余韻に浸る時間も与えず今年度の1年主審を担当する18禁ヒーローミッドナイトが大きく声を張り上げる。

「選手代表!!1−A爆豪勝己!!」

名前を呼ばれた爆豪が両手をジャージのポケットに突っ込みながら猫背気味に壇上に上がる。「せんせー」とそのままの体勢を崩さず、爆豪は目線だけはしっかりと前に向けてハッキリとした口調で言った。

「俺が1位になる」

シンプルな宣誓というよりは宣戦布告に近いその言葉に生徒たちから大ブーイングが巻き起こる。それを微塵も気に掛ける事無く利き手で首を掻っ切る動作をして更に煽りを掛けて、爆豪は列に戻った。
開会式早々波乱を呼ぶ展開ではあるが、ミッドナイトは気にも留めていない。流石と言うべきか、想定内の範囲だったのか。「さーて、それじゃあ早速第一種目行きましょう」と彼女の言葉と共に巨大モニターが現れる。

「いよいよですね」

「ああ……頑張れ少年」

モニターに映し出された「障害物競争」という文字が各所で鸚鵡返しに囁かれる。その言葉の意味を理解し、心の準備をさせる時間は生憎と用意されていない。
生徒たちの目の前の壁が徐々に形を変え、ゲートが作られる。コースさえ守れば何をしたって構わないという雄英らしいルールは、個性を使用してどれだけ自分という存在をアピール出来るかに掛かっていた。
全11クラスで執り行われるそれに、作られたゲートの幅は釣り合ってはいなかった。その意図に気付いている者は一体何人居るだろう。
スタートを知らせるランプがひとつ、ひとつと消灯していく。最後の一つが消え、我先にと大勢がゲートに押し寄せる。押し合いへし合いを繰り返し、その人波から最初に抜け出したのは名前の良く知る人物だった。

「轟少年、やるじゃないか」

「妨害も併せる辺り流石ですね」

地に根を張った氷に捕まった人数は数えるのすら億劫になる程。しかしそれを難なく乗り越えてきたのは、彼のクラスメイトたちだった。轟の個性の特性を知っているが故だが、その反応速度は他のクラスの追随を許さない。そして彼らの前に現れた第一の障害物「仮想敵ロボ・インフェルノ」は一人でも多くを蹴落とさんとばかりにその巨大な体躯を武器に襲い掛かってきた。

『1−A轟!!攻略と妨害を一度に!こいつぁシヴィー!!』

「…良い競技ですね」

「うむ…個人戦に見えてああしてライバルたちとの一時的な協力の場が設けられている。実戦向きな内容だよ」

「あ、すみませーん。ミネラルウォーターを1本ください」

「はいはい!まいど!!」

体育祭の競技内容にまるで興味を示していない経営科は主に仲間同士で注目株の個性の将来的な運用についての議論かこうして場内の“お客”相手にリアルな商売をするかのどちらかだ。お金を渡して水を受け取った名前はキャップを開けてちびちびと喉を潤した。
各所に設置されたカメラロボは生徒たちの絶妙な映像をリアルタイムで会場に届けてくれる。殆どの生徒が倒れた仮想敵の攻略、複数で連携して仮想敵に立ち向かう中、そこを器用に飛び出して行くのは爆豪を始めとしたA組の生徒たちだ。

『一足先を行く連中、A組が多いなやっぱ!』

「他の科やB組も決して悪くはない!ただ…」

「“経験の差”ですかね」

訓練だけでは決して得られる事のない、試練を前にした時の臨場感。その時、自分はどう動いたらいいのか。何を最善とすべきか。それらをあの数十分で経験したA組はきちんと己の糧としている。

「楽しくなってきましたね。ポップコーンも食べていいですか?」

「良いけどおやつは程ほどにね」

はあい、と軽快に返事をして、名前は再び商売に勤しむ経営科を呼び止めるのだった。
 Top 

×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -