>>追いかけっこは得意


(ヴィラン)連合襲撃事件から2日。1日の臨時休校を挟んで翌日より雄英は通常通り授業を再開させた。多くの在籍生徒が事態の把握に疑問符が付く程、今回の襲撃事件は信じ難いものがあった。まさか雄英で、と誰しもが口を揃えた事だろう。
こうした意味では事態はまだ収束に向かってはいないのかもしれない。
被害を目の当たりにした1−Aの生徒は気の休まらないまま朝のHRを迎えようとしていた。

「皆──!!朝のHRが始まる!席につけ!!」

チャイムが鳴り、教壇に立った飯田が声を張り上げる。完全には完治していない傷が少し痛む。それが起きた出来事が現実であったと囁くように告げるのだ。それでも、緑谷は内心変わらぬクラス風景にホッとしていた。
ガラリと教室のドアが開いて、「おはよう」と入ってきた全身包帯男にクラスが一瞬静まり返る。一拍置いて湧き上がった「相澤先生復帰早ええ!!」という声を煩わしそうに聞き流しながら、相澤はよろよろと教壇に立った。
「先生!無事だったのですね!!」と飯田がホッとしたように声を上げたが、全身包帯だらけ、加えて両腕を骨折しているので三角巾で固定しているその姿を、果たして無事と言ってもよいものか大きな疑問が残る。対して相澤は、自分の怪我に関しては無頓着なようで「俺の安否はどうでも良い」と心配の声をばっさりと切り捨てた。

「何よりまだ、戦いは終わってねぇ」

その一言が1−Aを違った意味で震撼させる。相澤の目は真剣そのものだった。緑谷の後ろの席に峰田が「まだ(ヴィラン)が?!」と頭を抱える。全員がごくりと固唾を呑んで相澤の言葉を待った。

「雄英体育祭が迫ってる!」

「クソ学校っぽいの来たあああ!!」

朝から振り回されっぱなしである。雄英の体育祭がどんな催し物なのか、知らない者は恐らくこの中には居ない。──ただの学校のイベントだと軽く見ている者も。
しかし雄英が一昨日(ヴィラン)に侵入され、襲撃されたばかりだという事実を忘れてはならない。そんな中で例年通り体育祭を開催して良いのかという疑問が飛び交うのは当然だった。

「逆に開催する事で雄英の危機管理体制が盤石だと示す…って考えらしい。警備は例年の5倍に強化するそうだ」

「何より、雄英の体育祭は最大のチャンス。(ヴィラン)ごときで中止していい催しじゃねえ」

ガラリと再び教室のドアが開く。入ってきた小柄なその人物を見て、クラス中がより一層騒がしくなった。
「…元気そうだな」「相澤先生と比べれば」ふぁ、と欠伸を噛み殺しながら名前は何食わぬ顔で手に持ったプリントを数え始めた。プリントを持つ手は随分と小さい。身長も峰田と同じくらいか。相澤は正直、名前がここまで小さくなっているのを見たのは初めてだった。見た限り、恐らく暫く個性の使用は難しいだろう。
「お察しの通りです」数えたプリントを各列の前の席の生徒に手渡しながら名前が言う。

「本来ならば私は体育祭の警備に回る予定でしたが、見ての通り戦力外なので」

「先生!傷はもう大丈夫なんすか?!」

我慢できず、といった感じで切島が手を挙げる。倒壊ゾーンでの怪我の件を彼なりに心配しての事だろう。「大丈夫ですよ」プリントを配り終えた名前がグッと拳を握る。

「リカバリーガールの腕はお墨付きですから。──何なら確認しますか?」

にやりと少し意地悪気に笑った名前に切島は言葉を詰まらせて頬を赤らめる。可愛いなあとその反応を窺う名前の頭を透かさず包帯だらけの腕が小突いた。
同時に「先生!是非オイラに!!」と名乗りを上げた峰田には、容赦なく蛙吹の舌先が頬を張った。蛙の個性を舐めてはいけない。席が離れていても伸縮自在の舌からは逃れられない。

「体育祭の詳細はプリントの通りだ。各自目を通しておくように。それから──」

「苗字は雄英在学中3年連続体育祭において1位の成績を収めている。それがどういう事か、“今”を見れば一目瞭然だ」

3年連続、1位…と、相澤の言葉を鸚鵡返しにして視線が名前に集まる。う、と言葉を詰まらせてまんまと生徒を焚き付ける為の材料にされたと名前は恨めし気に相澤を見た。当の本人はどこ吹く風で「精々励むように」と締め括りHRを終わらせた。
ふぁ、と名前は欠伸を漏らして目を擦る。まだ身体が本調子でないのは本人が一番よく分かっていた。今必要なのは充分な睡眠と食事だ。1日半も寝ておいてまだ寝れるだなんて、可笑しな身体だ。自嘲を漏らしてオールマイトに見つからないうちに仮眠室へ戻る事にした。
リカバリーガールのお小言も大概だが、名前にとってはオールマイトが一番厄介だった。寝起き早々お説教を食らったのは苦い思い出として暫く名前の中に滞留するだろう。


***


昼休みになった。ぼーっとする頭を押さえながら、名前は一人食堂に向かっていた。仮眠室では名前と入れ違いで緑谷が入ってきていた。オールマイトも緑谷も名前が居ても気にしないであろうが、話の内容は重大である。当事者同士で話すのが一番良いだろうと考え、敢えて席を外した。
食堂は相変わらず混んでいたが、空腹には耐え難かった。周りの生徒が物珍しげに名前を見やる。混んでいるとは言えスーツを着た小学生程の身長の女の子が紛れていたら、誰であってもつい好奇の視線を送ってしまうのは仕方のない事だ。
特に気にする事なく、ランチラッシュにから揚げ定食と焼きそば2人前を注文して名前はトレーの隅に置かれた頼んだ覚えのないプリンを見て頬を緩めた。きっと、彼なりに心配してくれているのだろう。さあどこに座ろうかと思った所で、横から伸びてきた手が名前の持つトレーを攫った。

「轟くん?」

この身体だと、随分と逞しく見えるなあと自分のと名前のトレーをそれぞれ片手で持つ轟を見上げて場違いにも名前はそう思った。
轟は無言で空いている席に歩いていく。その後ろを生徒にぶつからないよう避けながら、名前はついて行った。

「茶色いものって、なんでこんなに美味しいんだろう」

キラキラと目を輝かせて小さな口がから揚げを咀嚼する。この小さい身体の何処にこれだけの量が入るのだろう。そう疑問に思ったのは轟だけではない筈だ。
それを時折見ながら蕎麦を啜る轟の表情はいつもと変わらないように見えて、どこか違っているようだった。

「…食うか?」

焼きそば2人前もぺろりと平らげた名前の口元に轟は天むすを持っていく。
ハッとした表情で食べていいのかと轟を見上げた名前の顔は、本人には言えないがお菓子を前にしたその辺の女児のする表情と変わりなかった。美味しいともぐもぐ食べる名前の頭を思わず撫でそうになった衝動を轟は辛うじて抑えた。自分が末っ子だからか、今の名前を見るとどうしても構いたくなる。きっと妹が居たらこんな感じなのだろうなと、轟は一人変わらぬ表情の下でぼんやりとそんな事を思っていた。

「さて、行きましょうか」と、プリンも綺麗に完食した名前がご馳走様の後にそう付け足して席を立つ。トレーを返却して轟は静かに名前の後をついて行った。
空き教室に入るとカーテンが閉められている所為か教室内は昼間だというのに薄暗い。振り向いた名前は轟の顔を見るなり困ったように笑った。

「どうしてそんなに苦しそうな顔をするんです」

「………」

ぐ、と唇を真一文字に結んだまま、轟は名前の言葉に応えようとはしなかった。否、何と返したらいいのか分からなかったのかもしれない。
朝のHRで見た時も、食堂で会った時も、轟は名前に何か言いたげで、けれど言葉にする事はなかった。今思っている事を、何と言葉に表現したらいいのか迷っているようだと始終名前はそのように感じていた。
小さな手が轟を手招く。素直に名前の目の前に来た轟にしゃがんで欲しいと言って、名前は彼の目の前でジャケットのボタンを外し、シャツを捲り上げた。
突然の事に目を見開く彼を前にしても名前は動じない。「傷、どう見えますか」喉につっかえていた気持ちを、名前は簡単に汲んでしまった。薄暗い中でも分かる、真っ白い肌が目に入る。脇腹に視線を移すと、そこにはやはり、あの時の火傷の痕が残っていた。
残ってしまうだろうとは思っていた。
けれど──改めて見てしまうと、重いものが圧し掛かってくる。

「悪かった」

眉を下げた轟の頬に小さな手が触れる。「ちゃんと見てください。あの時よりも状態が良くなっているの、分かりますか?」ぱちりと轟が瞬きをする。確かに、あの時よりも火傷の範囲が狭くなっているように思うし、皮膚の色も──。「轟くんと、リカバリーガールのお蔭です」轟を見る名前の瞳は酷く優しげだった。

「火傷はその後の処置次第で大きく変わります。火傷直後の轟くんの冷却と6時間以内の適切な処置。幸い受けた傷も内臓に損傷がなかった為この程度で済みました」

「けれど──火傷以上に、轟くんを傷付けてしまったのは私です。本当に、ごめんなさい」

「…名前さんは悪くねぇ」

「それから、ありがとう」

「っ、」

「君のお蔭で私は最後まで動く事が出来た。オールマイトの相棒としての役割を果たせた。本当に、ありがとう」

しゃがんだままの轟の頭に触れる小さな手。ゆるゆると撫でるそれに堪らなく泣きたくなったのは何故だろう。ぐっと唇を噛み締めて、轟は露出されたままのシャツを掴んで下ろした。

「責任は取る」

「……え?」

今度は名前がぽかんとする番だった。責任?何の、と挙動不審に目をキョロキョロとさせる名前に轟はお構いなしだ。「けど、後3年は待ってほしい」続けられた言葉に名前はらしくもなくあたふたとした。

「大丈夫、轟くん、大丈夫だから」

「…大丈夫じゃねえだろ」

「顔に傷が付いた訳でもないし…否、顔に傷が付いたとしても、責任を取れだなんて言わないしだから本当に、気にしないで」

「…俺が責任を取りたいって言ったら困りますか、名前さん」

ふ、と名前は短く息を吐き出した。頭を撫でていた手が轟の正面に移動し、指先が彼の額を弾く。少しだけ個性が含まれたそれが、確かな痛みと共に轟に尻もちを着かせた。
轟を見下ろす名前は、先程の慌てた様子が一変、女児のする表情とは思えない程笑みを湛えたまま冷淡に言う。

「法律の足もとにも及ばない子どもが、何を言っているの」

去り際一度だけ轟の頭を撫でて、名前は明るいドアの向こうへ姿を消した。弾かれた額に触れ、轟はゆっくり瞬きをする。
「じゃあ18歳になったら、いいのか」という轟の独り言が誰もいなくなった教室に余韻を残した。

(八木さん、最近の子どもって…怖いですね)(え、どうしたの名前)(……)


 Top 

×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -