>>止まる足音


地を蹴ってオールマイトの隣に立った名前は、フー、と大きく息を吐き出した。オールマイトは何も言わない。
──大丈夫かと声を掛ける事も、生徒たちに言ったように安全な場所へ避難しなさい、とも。
どんなに怪我を負っていても、意識があり、彼女の意思がある限り、オールマイトは名前が隣に立つ事を許している。それは、彼女が紛れもなく彼の相棒(サイドキック)であるという証明に他ならない。
苗字名前はオールマイトにとって今現在ただ一人の、隣に立つ事を許された存在である。
どちらも手負いである。それは第三者から見て明白な事実であるが、彼らの深い部分まで知り得ている緑谷ですら思う。危機的状況に変わりはない。けれど、嗚呼、どうしてこんなにも安心するのだろうか。場違いにも、そう思った。

「…お元気そうで」

「…君もね」

互いに視線を一度だけ交え、笑みを浮かべた。それが2人の合図だった。大きく息を吸い込んだ名前が片腕を地面に振り落とす。叩きつけられた拳が地面を割り、地鳴りを響かせながら脳無と死柄木、髪依に襲い掛かった。
砂埃を隠れ蓑にオールマイトは死柄木と脳無に、名前は髪依にそれぞれタイミングをずらしながら応戦する。オールマイトの勢いに気圧され大きく後退した死柄木は再び脳無と拳を合わせたオールマイトに呆れたように声を上げた。

「“ショック吸収”って…さっき自分で言ったじゃんか」

「そうだな!」

笑みを湛えながら何十、何百発もの拳を繰り出すオールマイトを横目に、名前は髪依を見据えて笑った。

「随分と顔色が悪いみたいだけど?」

「…名前ちゃんが、ひどい事するからだよねえ」

ぽたり、ぽたり。患部を押さえる指先から滴り落ちる命は、着実に削られている。血に染まった指先が毛束を無理矢理引き抜き、そこから生まれた作り物が名前に襲い掛かるが、彼女は意にも介さない。

「私が失血死するのが早いか、名前ちゃんの個性のキャパオーバーが早いか」

「負けず嫌いだからね、私」

「オールマイトが来た途端張り切っちゃってさあ、空元気なんてダッサイだけじゃん」

オールマイト(雇い主)が頑張っている時にサイドキック(従業員)がサボっている訳にはいきませんから」

風の刃が髪依のコピーを切り裂く。コピーの後ろに居た本体も巻き込んで風圧が彼女の肩を切り裂いた。
血飛沫が舞う。全身血塗れになりながら、髪依は死柄木の横に降り立って膝を着いた。失血で視界が霞んでいるのだろう、焦点が合っていない。
オールマイトによってUSJ外に吹っ飛ばされた脳無は、恐らく再び襲い掛かってくる事はないだろう。
「やはり衰えた」グッと拳を握りながら、オールマイトは言う。

「全盛期なら5発も撃てば充分だったろうに。300発以上も撃ってしまった」

「それだけ年を取ったという事ですね」

「痛いとこ突くね」

隣に立つ名前も、遠くで見ている緑谷も、解っていた。もう、時間切れ(タイムオーバー)なのだと。

「さてと(ヴィラン)。お互い早めに決着つけたいね」

「チートが…!」

ガリガリと首筋を掻き毟る死柄木は、オールマイトと名前を見据えながら独り言を繰り返す。

「全っ然弱ってないじゃないか!!あいつ俺に嘘教えたのか?!」

「どうした?来ないのかな?!クリアとか何とか言ってたが…出来るものならしてみろよ!!」

空気がドッと重くなった。名前よりも威圧感があるそれに、背筋に冷たいものが走り抜ける。思わず数歩後退した死柄木とその場から一歩も動けない髪依は、変わらぬ英雄の存在を再認識して何を思っているのだろうか。
砂埃を意図的に巻き上げて、名前は震える腕を無理矢理押さえつけた。──もう、これ以上は無理だ。少しでも意識が途切れれば膝の力が抜ける。
歯を食いしばってそれに耐えているのは、敵を前にして無様な姿を晒すまいとする彼女の意地だ。

「オール、マイト」

「…ああ、分かっているよ」


「脳無さえ、脳無さえ居れば!!」と首筋を掻き毟る死柄木は、策がなくなったようでまるで子どものように癇癪を起している。それを宥める黒霧はワープゲートだけではなく死柄木のストッパーの役割も担っているに違いない。敵にしては恐ろしいくらい冷静な判断力を備えている。
黒霧はオールマイトと名前、そして遠巻きにこちらの様子を窺っている子どもたちを見て、「まだ勝機はあります」と道を示した。ダメージを受けているオールマイトと名前、棒立ちの子どもたち、髪依は怪我を負っているものの、自分と死柄木はほぼノーダメージ。連携すればまだチャンスはあると、黒霧の言葉に死柄木は先程の動揺が嘘のように落ち着きを取り戻していった。
再び暗い色を宿した瞳に、名前は引く気がないのだろうとらしくもなく舌打ちを溢した。何があっても、敵にオールマイトのトゥルーフォームを見せる訳にはいかない。
──その為なら、自分が犠牲になる事も厭わない。
黒霧と死柄木が動き出したタイミングで、名前はオールマイトの前に立ちふさがる。彼の制する声に応える事は、今だけは出来なかった。
名前が瞬きをした一瞬で、彼女は大きく息を呑んだ。「な、んで」思わず声が出た。

「2人から」

拳を握った緑谷があの一瞬でこちらに突っ込んできていた。彼が狙う先は、黒霧の隠された身体部分だ。

「離れろ!!」

黒霧の横に居る死柄木は、黒霧の中に手を突っ込みながら不敵に嗤った。思う事は黒霧とて同じである。「二度目はありませんよ!!」今度は仕留めると確かな殺意が牙を剥いた。黒霧を介して緑谷に向けられた死柄木の手は、緑谷に触れる前に一発の弾丸によって阻止された。
「来たか!!」というオールマイトの声に反応して、名前が地を蹴る。緑谷の脇腹に手を回した彼女はそのまま彼と共に数メートル離れた場所へ移動した。あの距離に居ては邪魔なだけだ。着地をした名前は、緑谷を解放するなり崩れ落ちるようにその場に膝を着いた。「名前さん!!」耳元で緑谷の声がして、肩に手が置かれる。
恐らく折れているであろう彼の足を気遣えなかったのは申し訳なく思うが、限界だった。身体が言う事を聞かない。ぐ、と無理矢理首を彼の方へ向けて、名前は言った。

「ありがとう」

「え、」

「君が居なかったら、守れなかった」

言葉を理解するのと同時に、緑谷の目の淵に薄い膜が張る。オールマイトが言っていたように、本当に泣き虫だなあ、と力なく頬に手を伸ばして名前は笑った。
決壊した涙がぽたぽたと流れ落ちる。「泣かないで」と言った言葉はちゃんと彼に届いただろうか。遠くなる意識の中で、名前はそんな事を思った。
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