>>春を報せる


ビルとビルの間を流れる風は、強く荒々しい。ヒュルル、と風音が耳を撫で上げ、まるで何かを伝えたいかのように鳴き続ける。朝日が煌々と照らす中、人々が忙しなく動き回るのを邪魔するように砂埃と建物が崩れる轟音が響き渡った。平穏が崩れ去る瞬間は、酷く脆い。
風が不穏な空気を運んでくる。高層ビルから一人の女が足に小さな旋風を纏ってゆらゆらと浮いていた。結い上げた長い髪を留めている赤いリボンが毛先と共に風に弄ばれる。
小さく息を吐き出した後、女はスーツのポケットからスマートフォンを取り出し、彼の人へと通話ボタンを押した。
当たり前のようにワンコールで出た相手先が言葉を発する前に、「貴方が動く必要はありません」とまるで行動が視えているかのように抑制の言葉を発した。
程なくして出現した巨大女ヒーローが派手な音と共に(ヴィラン)を蹴り飛ばすのを視界の隅で捉え、ほら、ね。とでも言いたげに、女はスマートフォンを耳に当てながらその先を紡ぐ。

「…ヒーローは、貴方だけではないんですから、そう気負わずとも大丈夫ですよ」

「貴方はヒーローである前に、一人の人間です。目的をお忘れですか?探すのでしょう、後継者を。──オールマイト」

大きく上がった歓声と警察の到着を知らせるパトカーのサイレンが風に乗って聞こえてくる。電話を切って、朝からどこも忙しいものだと女は吐息を吐き出した。
くるくると指先を弄ぶと、それに応えるように風がひゅるりと巻きついて踊る。そのまま指先を空高く掲げると、あれ程騒いでいた風音がぴたりと大人しくなった。
この市に彼女らが越してきて、まだそう日は経っていない。どこに行っても犯罪というものは日常にぴったりと寄り添って離れない。
それをあの人は根絶する為に、ただひたすら、奔り回る。その迷いのない大きな背中を追いかける事をあとどれくらい許してもらえるのだろう。
それは本人にも、彼女にも、誰にも解らない、神のみぞ知る“限界”。どうか最後のその時を迎えるまであの人の横に立っていられますように、と。
伏せた瞳を潤ませて、彼女はただ、願う。



***



──(ヴィラン)を見付けた。ちょっと片付けてから帰るね

そんな言葉と一緒にらしくもない猫絵文字付きでメッセージが送られてきたのはお昼過ぎ。まったく、本当に忙しない人だと苗字名前は本日何度目かの溜息を吐く。
随分長い買い物だとは思っていたが案の定、敵が絡むと、オールマイトは色んな意味で周りが見えない。“いつもの事”である。名前はあまり気に留めなかった。
まさかこの事件を通じて出会った人間が後の彼女たちの運命を大きく変えるとも知らずに。
ドォオォン!と商店街に建物が倒壊する音と熱風が上がったのはそれから数十分後の事である。
名前が駆けつけると、そこは既に野次馬で溢れかえっていた。野次馬たちから漏れる会話でオールマイトが先程闘っていた敵だと知った彼女は思わず眉を顰めた。

オールマイトがあんな雑魚を逃した?──馬鹿な。

兎に角彼に連絡を取っている時間はない。どうやら中学生の人質がいるようだし、爆炎の勢いも酷い。消火も間に合っていないこの状況では応援を待つなど以ての外だ。
名前が野次馬から飛び出すより早く“何か”が野次馬を抑え込む警察官とヒーローたちを掻い潜って前に飛び出した。

「………子ども?」

かっちゃん!!と叫ぶあの子は、ヒーローでも何でもない、一般市民の中学生の子どもだ。人質の友達か。それにしても無謀過ぎる。誰の静止の声も耳に入っていないのか、少年の足は加速を続ける。

「!今度は誰だ!?危ないから、一般市民は下がっ──」

不自然にパワー系ヒーローデステゴロは言葉を詰まらせる。ふわりと揺れる風を纏うその女を、彼はよく知っていた。
「あんたがいるという事は、」続いたその言葉は彼女の風圧に掻き消された。両足に旋風を纏う事で彼女は人の何十倍も速く動く事が可能だ。

「──君が」

「救けを求める顔してた」

少年の発した言葉が名前の耳に入ってくる。どくりと脈打った心臓は、彼の言葉に反応したのだろうか。
少年に振り下ろされた拳を名前が風圧で吹き飛ばしたのと、見慣れた背中が割って入って少年の腕を掴んだのは同時だった。名前とは比べ物にならない風圧が広範囲を吹き飛ばした。もう少し加減は出来ないものだろうか。
人質の少年を風を使って上手く抱き留めながら名前は呆れたように息を吐いた。野次馬の中に紛れていたのは、どうやら自分だけではなかったらしい。
ぽつりと頬を濡らした雨が彼の吐血をも洗い流すように、さあさあと降る。立ち尽くす背中を見て随分無理をしたようだと名前だけが感じていた。

「他に、痛むところは?」

「……ねえよ」

グッと歯を食いしばって、座り込んだままの少年は口数少なく最低限の事しか答えない。周りのヒーローたちの称賛の言葉も聞こえているのかいないのか。辛うじて大きな怪我はないという意思表示をして、少年はまた悔しげな顔を残したまま俯いてしまった。

「アンタ、何なんだよ一体」

俯きながらも、周りの話は聞いていたらしい。デステゴロと名前の会話も例外ではなく。不審な色を浮かべた紅い双眸が名前を射抜くように見つめていた。
「…口の端、切れてるね」鋭い眼光も臆さず、緩やかに指先でそこに触れると乱暴に払われる。今にも噛みついてきそうなその態度に、今どきの子どもは怖いなあと困ったように名前は笑った。

「苗字名前」

「あ?」

「私の名前。オールマイトの相棒(サイドキック)をやっています。よろしくね──爆豪くん」

ぴくりと爆豪は僅かに肩を揺らした。警察からの事情聴取の時に名前も爆豪の傍にいた。名前を知ったのはその時だろう。だから疑問ではなかった。乱暴な口ぶりだが随分聡い少年だと名前は目を細める。

「……帰る」

立ち上がった爆豪は誰に言うでもなくそう呟くと、背を向けて歩き出した。
その先にいるもう一人の少年──緑谷出久を睨みつけながら。
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