>>弱者のわきまえ


「あれ、相澤先生ご無沙汰して──」

「ちょうどいい、来い」

「えっ」

八木が資料室へ籠ってしまった為──恐らく教員名簿と生徒名簿を見ているのだろう──手持ち無沙汰になってしまった名前は、一人懐かしさを覚えながら廊下を歩いていた。新学期初日とあって、校内は浮かれた空気が所々感じられる。この前まで自分も高校生だったのになあと歳月の流れる早さを実感していると、曲がり角で一人の男に遭遇した。首元にくるくると特殊布を巻いた、目を充血させた無精髭の男──抹消ヒーロー・イレイザーヘッドこと相澤消太。名前の知る限り彼は例年ヒーロー科を受け持っていた筈だ。もしかしたら緑谷の担任かもしれない。
名前は相澤にずるずると首根っこを掴まれ大人しく引き摺られていたが、ふとある事を思い出した。

「相澤先生、これから入学式では?」

──あの、そっちグラウンドじゃ…

「これから個性把握テストを実施する。お前も手伝え」

「…ええー」

相変わらずこの学校は色々と自由らしい。投げられた端末を握り、がっくりと名前は項垂れた。


***


「死ねえ!!!」

こんな掛け声をする人間は限られている。暴言が服を着て歩いているような、爆豪は名前にとってそんな印象だった。表現的には強ち間違いではない。

「記録は」

「…705.2mです」

ソフトボール投げのぶっ飛んだ数値に、途端クラス全体がわっと湧き上がる。個性の使用を可とすれば、こんなバカみたいな数字好きなだけ叩き出す事ができる。しかし、日常生活において個性の使用は法律で禁止されており、学校内での体力テストもまた然り。
現時点において自らの個性の最大限を把握している生徒は恐らくこの場には居ない。
出ている数値を端末の中の生徒名簿のところ、爆豪勝己を選択し記録する。これが終わるまでどうやら解放されないらしい。
大人しく八木のところに居るべきだったと名前は少し後悔した。何しろ居心地が悪いのだ。
「苗字名前だ」と相澤に名前のみの投げやりな紹介をされた為、先程から複数の視線が突き刺さるかのように名前へと向けられている。針の筵に座る思いとはこの事か。
その中の数名は名前の知る人だ。緑谷、轟そして、中でも射殺さんばかりの鋭い視線を向けてくる爆豪。自分は彼に何かしただろうか。
爆豪が投げたソフトボールを個性を使って回収しながら名前はそんな事を思った。手の中のソフトボールは心なしかまだ熱を孕んでいる。

「面白そう…か」

ぴくりと名前の指先が無意識に反応する。周りの空気がぴりっとしたのは気のせいではない筈だ。
何気ない生徒の発した「面白そう!」という言葉に刺激された相澤は「最下位者は除籍処分にしよう」と言い放った。途端、生徒の表情ががらりと変わる。
これが単なる嘘を含んだ挑発なのか、付き合いの浅い名前には真意が計り知れない。ただ確実に言える事はこの言葉を聞いて緑谷だけがこの場に居る誰よりも顔色を悪くさせた。

『3秒04』
『5秒58』
『7秒15』
『4秒13』

測定ロボの隣で記録をしていく名前は最近の子は凄いなあと顔には出さないが胸中思う。入試の時に今年は中々豊作だと評価されていただけに期待値も高い。相澤の真意を分かっているのかいないのか、生徒たちは各々好調な記録を出していく。そんな中一種目、二種目、三種目と競技が終わっていく度、緑谷の表情が焦りに変わっていくのが名前の目からもハッキリと見て取れた。

“名前今どこ?”

“相澤先生に捕まってグラウンドです。緑谷くんも居ますよ”

八木とそんなやりとりをしたのは数分前。そろそろ来るはずだ。
ボール投げで女子生徒が「∞」記録を出した為、名前は新しいボールを手に持って緑谷に手渡した。は、は、と浅い呼吸を繰り返している。

「…落ち着いて」

「は、い」

「大丈夫、やれるよ」

ぐっと頷いたのを見て、去り際彼の癖っ毛の強い頭に触れる。気休め程度でも良い、オールマイトに言われた言葉を思い出してくれれば。
緑谷が大きく息を吸い込む。その力み具合を見て、何となく直感で「あ、やばい」と思わず口に出してしまった。入試と同じ、100%を出す気だ。
名前が止めるより先に、相澤が動く。個性を消し、緑谷に近づいて行く相澤の言い分は尤もだ。
気怠げに名前の元に戻ってきた相澤は充血した目を少しでも潤わせる為に透かさず目薬を点す。「次、2回目だ」告げられた言葉に名前は小さく頷いた。
不意に視線を感じ、どこから?と名前が辺りを見回すと、校舎の影から巨体を隠すような体勢のオールマイトと目が合った。小さく手を振られる。メッセージの返事もないし入学式にでも出ているのかと思いきや、やっぱり緑谷の事もあってこちらに来たらしい。しかし、もっと良い見学法はなかったものか。
呆れた顔をした名前を見て「どうした」と相澤に問いかけられるが、今の状況では「何でもないです」と誤魔化す他なかった。
グッと歯を食いしばる緑谷の様は、先程と変わらないように見えた。隣で相澤が大きく溜息を吐いた。

「見込み──ゼロ」

「…おや」

先程とフォームは同じであった。──ボールが手を離れる直前までは。腕ではなく指先、その一点に力を集中させる事を、彼は土壇場で思いついたらしい。

「…記録は」

「…、」

「苗字」

「あっ、はい…705.3mです」

「まだ、動けます!」と涙目になりながらも拳を握った緑谷を見て、相澤はここに来て初めて口角を上げた。
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