>>迷走のアオハル


“今日、会えませんか”

シンプルな誘い文句だった。連絡先を教えてほしいとせがまれた割に、あの日以降轟から名前へ連絡が入る事はなかった。明日から学校が始まる。それとこのタイミングは何か関係しているのだろうか。メッセージを既読にしてしまった手前、返事は早くしてあげるべきだ。
洗面台でハブラシを咥えたまま、ううーんと名前は首を傾げた。

“お昼過ぎでも良いなら”

“大丈夫です”

既読はすぐに付いた。ついでに返事も早かった。オールマイトは明日からの事前準備で既に出払っている。名前は特に用事はない。待ち合わせ時間と場所の詳細を送って、名前は溜めこんでいた洗濯物をやっつけにかかった。


***


「……」

「………」

待ち合わせたのは、以前ナイトアイとランチを摂ったあのカフェだった。今日の日替わりは魚介のトマトスープパスタだ。2人して同じものを食べる。しかし、会話はない。決して嫌な沈黙ではない。名前も人には合わせるがどちらかと言うと食事のときは会話をしない方であるので気まずいとも思わない。きっと轟も同じなのだろう。

「…そのスーツ」

「ん?」

「コスチュームなのか?」

じっと見つめていたのはそういう事かと名前は一人納得する。歳の割に妙な落ち着きを見せる轟は感情を表に出さない。前に会った時と恰好が変わっていないから気になったのだろう。

「そう。私の師に当たる人がスーツだったから、何となくね。触ると分かるけど伸縮性があって通気性も抜群なの」

「…そうか」

「仕事柄いつ何が起こるか分からなくて私服はあんまり着れないから、折角誘ってくれたのに不自然な恰好でごめんね」

「いや、気にしてない」

ぱくりとムール貝を口に運ぶ。既に食べ終わった轟がじっとこちらを見てくるので何だか恥ずかしい。思わず見返すと、轟の口元に目がいった。

「轟くん」

「なんだ」

名前が小さく手招きをすると、轟は素直に身を乗り出してくれた。透かさず名前はナプキンで彼の口の端を拭う。真っ白いナプキンは特徴のあるオレンジに少しだけ染まった。
「もういいですよ」と名前が言っても轟は目をぱちくりとしたまま微動だにしない。何か悪い事をしただろうか、と名前は内心首を傾げるが、思春期の男の子に安易にこういう事をするのは教育上よろしくないのかもしれないと考え直した。
自然と脳内に人の一人や二人個性で殺しかねない形相の某爆発少年が思い浮かんだのはここだけの秘密だ。

「名前さんは、誰にでもやるのか…こういうの」

「いや?多分轟くんだからだと、思うけど…?」

「…そうか」

誰にでも、という対象人物が思い当らなかったのが実際のところだ。
オールマイトはそんな食べ方をしないし、自分の周りに年頃の子がいないからやっていい事の良し悪しの判断が難しい。
案の定、轟の発言に名前は内心申し訳ない気持ちでいっぱいになった。お詫び序にデザートのカタラーナを付けた。ほろ苦いカラメルと甘いカスタードはコーヒーに良く合う。特に気にしていないのか「甘ぇ」と最もな感想を述べた轟は自分では食べない部類のデザートだからか始終不思議そうにしていた。
この短時間で随分彼の僅かな表情の変化に気づけるようになったものだと名前は自分でも吃驚していた。表情の些細な変化が分かるので──まだ彼が晴れやかな顔をしていないのも名前は気付いていた。

「明日から、雄英に通う」

ぽつりと轟は静かに話し出す。話の腰を折るわけにはいかないので「うん」と小さく相槌を打ってその先を促した。
左側にそっと触れる轟の顔は憂いを帯びている。触れた左側──色濃く残る火傷痕の話は名前の眉間に皺を寄せる程度には、重たい内容であった。

「クソ親父の言う通りに、俺はなるつもりはねぇ」

「俺は──お母さんの個性だけで、上に行く」

確かな憎悪の感情を瞳に宿し、轟はハッキリと言い放つ。名前の記憶に残るあの無邪気な少年をここまで変えてしまったのは、実の父親と母親。何とも悲しい話である。轟の話を聞いて、先日のエンデヴァーの物言いがやっと名前の中で繋がった。
この話をしたからといって轟は名前には何も望んでいない事は、彼女自身気が付いていた。ただ気持ちを吐ける場所が欲しかったのだろう。言い知れぬ感情と思いが胸の中に溜まり続けていくのが怖かったのだろう。名前がただ一つ言えることは──

「好きに生きればいいんですよ、一度きりの人生なんですから」

「そう、だな」

どう好きに生きたらいいのかなんて、齢15の少年に分かるわけがないのは十分承知の上だ。大切なのは、父親の概念に囚われず自分という人間を見つめ、道を見つけること。それが十代においての大きな課題であると名前は思っている。

「エンデヴァーのコンティニューに付き合いたいなら話は別ですけど」

悪戯に名前が微笑むと間髪容れず「絶対嫌だ」と最後の一口のカタラーナに思い切りフォークを突き立てた。こういうところはまだまだ子どもだと胸中思う。
少しだけすっきりとした顔つきの轟を見て、ほっと息を吐いた。

「払う」

「要らないです」

「払う」

「受け取りませんよ」

「…」

「こういう時は大人を立てるべきです」

有無を言わさずカードでちゃちゃっと会計を済ませてしまった名前に轟は成す術がない。「次は中華にしましょうかね」と呟いた言葉は轟が拾った為独り言にはならなかった。

「…また出掛けてくれるのか」

「勿論。若い子とご飯を食べるのに誘う理由はあれど断る理由なんかないでしょう」

「名前さんだって、十分若ぇ」

「ふふ、褒め上手ですね。将来が楽しみです」

「思ったままを言っただけだ」

ありがとうございますと笑う名前は轟を完全に子ども扱いしている。それに不服を覚えるが、今はこの立場でも悪くはないと思っている。
知らないうちに外堀を埋められていざ追い詰められた時、この人はどんな顔をするのだろうか。思わず口の端を上げた轟を不思議そうに名前は見やる。
「何でもねえ」と曖昧に誤魔化して、轟は次はいつ誘おうかと一人思案するのであった。
 Top 

×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -